第12話

 ひかりは部屋に入ってから「今日はありがとうございました」と言うと、立ったままでいる。

 清吾は「今日は疲れたでしょう」と声をかけ椅子に座るように促した。


「いえ、久しぶりで楽しかったです。翔太も喜んでいました」

 ニコニコと話しながらひかりはロングスカートをふわりと靡かせて、ストンと軽やかに椅子に腰かけた。


 自分の部屋に誰かが居る事が、ましてや女性がいるなんて事に違和感を覚えながらも、清吾はひかりが話し始めるのを待った。

「…………」

 ひかりはニコニコと笑顔を浮かべて黙っている。

「…………」

 清吾はひかりの言葉を待った。

「……………………」

 ひかりはニコニコ笑ってはいるが、彼女が緊張しているのが清吾にジワジワと伝わってくる。彼女の笑顔はどこかぎこちない。


 清吾も清吾の方で女性が自分の部屋にいる事に緊張し出した。清吾は今日一日で随分ひかりに慣れた気がしたが、流石に自分の部屋に二人っきりでいる事にはまだ慣れてはいない。


 これからの事で何か意見か要望でもあるのだろうか? そんな事を推測しながらも一向に話が進まないので、清吾はドキドキしながらも「どうしました? 何かありましたか? 」と切り出した。


 彼女は一呼吸置いた後、もう一度息を思いっきり吐き出した。

「ええ、ハイ! 覚悟を決めて参りました! 」

 そして無理やり作ったような笑顔で、自分を鼓舞するように大きめの声で宣言した。


「あっ、ハイッ! ハイッ! 何でしょうか? 」

 ひかりの気迫に思わず清吾は身構えた。


 ひかりの口元は強張ったように上がり、笑ってはいるようだが、緊張の面持ちである。

「まず始めに、何の得にもならない私たちを拾ってくれて、感謝しかありません。ありがとう御座います。私も二十六歳です。ですから色々と分かっているつもりです。私がどうしなければならないかという事くらい……。だから大丈夫です。大丈夫なんです!!! 」


 彼女の言葉の真意が何なのか皆目見当がつかなかった。ただ神風特攻隊のような覚悟を決めた彼女の瞳に清吾は「へっ、へへえぇっ!! 」と大名の問いに答える農民のような返事をしてしまった。

 同時に清吾はひかりが二十六歳と言っていたのを聞いて、老けて見えたがまだ若いんだなと呑気に思っていた。


 すると突然、彼女はカーディガンを脱ぎ出しブラウスのボタンを外し出した。清吾には何が起こったのか分からなかった。そして彼女は全てのボタンを外し終えブラウスの中から白い肌と黒いブラジャーが見えた。

 黒とは、なんとも刺激的な色だ。彼女は随分着痩せするようで、細身ながらもかなり……って、そんな場合ではない。 清吾はやっと先ほどのひかりの言動を理解した。


「うぉぉぉぉいっ!!! そう言うことかぁ!! ちょっ、待っ、ストップー!!! 」

 清吾は大声で慌ててひかりの行動を止めに入った。

「違う違う違う!! そんな訳ない! 俺はそんな卑怯な事考えてませんから!! 」

 清吾は大袈裟に目を瞑って、見てはいないですよとアピールをしながらも、キョトンとしているひかりに早く服を着るように促した。


 清吾自身が慌てふためきながらも誤解が解けるように、ひかりに説明して彼女を落ち着かせようとした。


 一大決心をして清吾の部屋にやって来たひかりだったが、その必要が無かった事を知って緊張の糸が切れたようで、一瞬ホッとした顔をしたのも束の間、勘違いをしていたのが解って恥ずかしいのか、ひかりは顔を真っ赤に染めて涙目になっている。


 彼女たちを迎え入れた事をそのように誤解されていたのは心外だがそれよりも、それ程の決死の覚悟を要さなければならなかったのが地味に清吾を傷つけた。


 それほどの覚悟で臨む事なら、そんな事をしなければ良かったのに。 彼女が無理やり必死に笑顔を作っていたのかと思うと清吾は心が痛んだ。


「すみません、すみません」と繰り返すひかりを宥めて部屋から追い出す事に成功した清吾は、「やはり少し勿体なかったかな」という気持ちが湧き出した。だが直ぐにそんな下品な考えを改め、「恋人にフラれたこんな時こそ己の心を強く持たねばならない」と自分自身に言い聞かせた。

「弱っている時こそ、なんの得にもならないプライドだけは持ち続けるべきである」なんて事を誰かが言っていたような、言ってなかったような。


 清吾は二本目の酎ハイを開けて、外の大雨の様子を眺めた。彼は降り続く雨を眺めながら、今夜はぐっすり眠れそうだと思った。

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