第7話 みつけた

 妹のマネージャーとなり、一年が過ぎた。

 

 普通の社会人なら最初の一年目なんて仕事を覚えることに必死であっという間だったと言うのだろうが、俺にとってこの一年は長かった。


 というのも、やることが無いのだ。


 妹の本来のマネージャーである佐々木さんが優秀すぎるのか、または俺が愚鈍なだけなのか……いや、その両方だろう。


 俺のこの一年でやったことといえば、ほとんど妹の話し相手だ。

 それも仕事に関してではなく、ただの世間話。今日の作った朝食はどうだったかだの、休みはどうするかだの、そういった事ばかり。


 

 何か仕事を探そうと模索はしてみたが、悉く空回りし、佐々木さんの手間を増やすだけだった。

 何かすることは無いかと尋ねれば、佐々木さんには妹の傍にいろと言われ、妹からは離れるなと言われる。



 はっきり言って、退屈だ。

 何もすることが無いということがこんなにも辛いとは知らなかった。

 妹と佐々木さんが忙しそうにしている時ほど、そう感じる。


 そういえば、前に田中が似たようなことを言っていた。

 自由すぎるのも、困ったものだ。




「ハァ……」



 俺は喫茶店に並びながらため息を吐いた。

 

 今妹は収録中なのだが、もうすぐ休憩に入る。

 その前に妹の好きなカフェオレを買いに来ている。

 ある意味、俺に与えられた唯一の仕事らしき行為だ。


 こんな時くらいしか息を抜けないのが情けなくなる。



「いっその事、クビにでもして欲しい……ん? 温泉、かぁ」



 レジの横に置いてある広告のチラシが目に入る。

 温泉宿の広告だ。

 ほぼ働いてないのだから疲れてもいないし、休みが欲しいわけでもないのだが、何故かそれを見て無性に行きたくなった。



「どうせ、俺がいてもいなくても咲の仕事に影響はないし、な」



 そうと決まれば俺の行動は早かった。

 喫茶店から買い物を済ませ、急いでテレビ局に戻り、余りある暇な時間を使って宿を探した。



 しばらくして、良さそうな宿を見つける。

 なら次は日程だ。休日では人も多くてゆっくりできないだろう。

 平日、二泊三日で計画を立てよう。


 そして妹のスケジュールを確認する。

 別に妹と一緒に行くつもりはないのだが、妹が一番忙しいときに自分だけ遊びに行く、というのは避けたい。


 しかし、佐々木さんからもらった妹のスケジュール表はなんと一ヶ月間ほとんどが埋まっている。

 


「……逆に考えれば、いつでもいいってことかなぁ」



 あまりにも無責任な考えだが、先にも言った通り、俺がいてもいなくても妹の忙しさに変わりはないのだ。


 ただ、休みを取る時は妹にではなく、佐々木さんに申告することにしよう。

 なんとなく、忙しい妹に休みをくれというのは後ろめたさがある。





 一週間後、俺は温泉宿に来ていた。


 休みをもらう際、佐々木さんからは「咲さんの許可は取りましたか」と聞かれ、つい嘘をついてしまった。


 今朝、新幹線の中で謝罪と事後申告をスマホで妹へ送信したが既読はまだついていない。始発に乗るためにだいぶ早く起きたので、妹はその時まだ寝ていたのかも。


 兎に角、俺は日常を忘れて旅行を満喫することに専念した。



 温泉、料理、景色、買い物――初日から優雅な日を送った。

 

 俺が唯一社会人になって嬉しいことと言えば、自由に使えるお金ができたことだ。

 妹も俺も、まだ実家に暮らしているため家賃も食費もかからない。

 暇つぶしの時々やるゲームに課金したって、それを上回るほどたくさん給料が入ってくるため貯金は増える一方だ。


 使う当てのないお金の使い道として、今回の旅行は最適だった。



「ふぅー、料理旨かったぁ。今日はもう夜も遅いし、寝るか」



 俺は一日を満喫した。……しすぎたおかげで、普段なら暇つぶしに必ず見るスマホを宿に着いてから一度も見ていなかった。


 それに気づいたのは、翌朝起きて時間を確認するためにスマホを覗いた時だった。

 




「ふぁ~、よく寝た。今、何時だろ……って、うわぁ」



 目が覚め、いつもの習慣でスマホを確認する。

 そこには妹からの着信履歴があった。それも100件。

 実際はそれ以上かもしれないが、履歴に残る限界が100件までなのでそれしか分からない。


 そしてメッセージがたった1件だけ。




『明日、行きます』




 どこへ? ……場所の記載がない。

 俺は今回の旅行先を誰にも伝えていない。

 それに妹は今日も学校に仕事と忙しいはずだ。


 だからこの場所に妹が来ることは絶対ない。



「まさか、な……」



 俺は胸騒ぎがし、すぐに妹へ電話をかける。


 もし、万が一俺の居場所を探しているのだとすれば「心配するな」といって諦めてもらうために。



 トゥルルルル……



 呼び出し音が続く。妹は電話に出ない。

 


「……さすがに考えすぎかな」



 電話を切ろうとした瞬間――



 コン、コン、コン


「お客様、朝早くに申し訳ありません」



 宿の人だ。一体どうしたのだろう。



「はーい、どうしましたか?」


「お連れ様がご到着になりました。お通ししてもよろしいでしょうか」



 お連れ様――一体、何を言っているんだ。

 俺は一人で旅行に来たというのに。


 ふと、通話を切り損ねたスマホを見る。

 それはまだ呼び出し音が鳴っており、応答がない。


 

 ……偶然だ。

 扉の向こうから、電子音が鳴っているのは――それが妹の着信音と同じ設定なのは、偶然だ。



「すいません。たぶん、人違いです」



 俺は宿の従業員に人違いだと否定した。


 すると扉の向こうで鳴っていた電子音が鳴り止む。


 それと同時に俺のスマホの呼び出し音も鳴り止んだ。



 切れた、のか?



 画面を覗くと、通話が繋がっていた。


 俺は震える声で確認する。



「さ、咲? 今、どこにいるんだ?」


『……』



 返事が無い。



 ブッ、ツーツー



 通話が切れた。



 コン、コン、コン



 そして再び扉をノックする音。

 

 

「従業員さん! さっきも言いましたが人違いです。俺は一人で来ました!」

 

 

 俺は、つい怒鳴るように叫んだ。

 不安や恐怖をかき消すように。


 そして、その叫びに応えたのは先ほどの従業員ではなく――



「みつけた」


 

 妹の声だった。



「さ、咲!? なんで、どうして」


「はやく、ここを開けて……――開けなさい」



 妹の声には明確な怒りが込められていた。


 俺は恐る恐る扉を開けると、そこには帽子を深々と被り、マスクと伊達眼鏡で顔を隠した妹が立っている。


 そして妹は無言のまま俺の横を通り抜け、部屋の奥へと進む。

 俺は扉を閉め、後を追うように部屋へ戻った。



 先ほどまで俺が寝ていたベッドに座り、足を組みながら俺を見つめる妹。

 その前で、床に正座する俺。

 まるで喧嘩してるときの親父と母親みたいだ。



「いい宿ですね」


「……うん」


「広くて綺麗なのに、人が少なくて」


「……うん」


「平日だからでしょうか? 皆さん、お仕事ですもんね」


「……」


「私も学校とお仕事がありました。もちろん、ここにいてはどちらも行けませんが」


「ごめん、なさい」


「何がですか? 兄さんは、何について謝っているんですか?」


「学校と仕事、休ませちゃって……ごめ――ふごっ」



 妹は突然、俺の顎を掴む。

 俺は頬を挟まれ、河豚みたいな口になって喋れなくなった。



「学校? 仕事? ――違うでしょ? そんなこと、どうだっていい」


「へっ?」


「今まで欠かさずに兄さんの朝ごはんを作って食べさせてきたのは誰ですか?」


「さ、さきしゃんでしゅ」


「兄さんは佐々木さんに休むことを申し出たそうですね。答えなさい。兄さんの仕事は何? 佐々木さんの手伝い? それとも私?」


「しょれも、さきしゃんでしゅ」


「よく分かっているじゃないですか。兄さんにご飯を食べさせているのは、私です。兄さんにお仕事を与えているのも、私。兄さんにとって一番大事なのは私でしょ!?」


「……しょのとおりでしゅ」


「だったら何で、何で何で何で何で何で、なんでわたしに黙っていなくなったの?」


「ごめん……」



 妹は俺の顎を掴んでいた手を外し、両手で顔を覆う。



「はぁ……。兄さん、あまり私を困らせないで」


「……うん」


「理解できたなら、誓って。もう二度と私から離れないって」


「……わかったよ」



 妹は、おもむろに俺の顔の前に片手の甲を出す。

 俺はその意図が掴めず、妹の顔を見た。


 

「何をしているの? キスして」


「えっ」


「誓ってくれるんですよね? なら、手にキスしてください」


「そ、そんな……」


「兄さんは口だけの人なの? そんな軽薄な人なの?」


「わ、わかった。わかったよ」



 俺は、妹の手の甲にそっと口を当てる。


 映画のような、主人に忠誠を誓うような、そんな儀式。

 

 俺は妹に、忠誠を誓うように手にキスをした。




「……次はありませんよ。兄さん」


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