兄だった俺と妹だった女
秘密基地少年団
第1話 ふざけんな
俺たちは近所で評判の子供だった。
二歳年上の兄である俺『柳川 浩介』とその妹『柳川 咲』の兄妹。
俺たちはいつも一緒に公園で遊んでおり、道行く人にも愛想よく元気に挨拶をすることで評判な子供だった。
……正直に言うと、先の説明に間違いがある。
その間違いを正すと、『評判の子供』だったのは『俺たち』ではなく『妹』だ。
妹は顔立ちがはっきりしていて、所謂"普通の子供"とは一線を画する可愛らしさがあった。
一番わかりやすく例えるなら、美人で有名な女優やアイドルが子供の頃の写真を出すと明らかに一人だけ目立っているような、あれだ。
ともあれ、俺の妹は二歳の頃からその片鱗が見え始め、近所でも有名だった。
『これは間違いなく別嬪さんになるなぁ!』
『将来テレビに出れるんじゃない? 今のうちにサイン貰っておこうかしら』
俺たちの両親は最初の頃、それらはただのお世辞だと思っていたらしく謙遜していたが、妹の成長と共に「もしかしたら」と、芸能事務所に子役として応募をすることにした。
すると見事に芸能事務所に所属することとなり、有名企業のコマーシャルや朝のドラマなど多くのメディアに露出する人気の子役となっていった。
両親は大いに喜んだ。
自慢の我が子だと母は喜び、うちの娘が一番かわいいと惚気る父。
両親だけじゃない。近所の大人たちも地元のスターだと誇らしげだった。
当然、兄である俺も妹の活躍を喜んでいた。
多少の嫉妬や劣等感も無いといえば嘘になるが、兄妹仲が良かっただけにそれを露骨に態度にすることはなかった。
やがて、幼かった妹が六歳になり小学校へ入学となった頃。
妹に僅かな変化が見られた。
昔から妹はよく笑う子だった。
楽しそうに、嬉しそうに。
そんな妹が、おかしな笑い方をするようになった。
感情の無いような、中身のない渇いた笑い声。
それに気づけたのは、兄妹の特別な繋がりがあるから――というわけではない。
俺が小学校に通いだしたのと妹の芸能活動が盛んになる時期が重なり、妹との会話がそれまでほとんどなかったからだ。
だからだろう。
いつも妹をサポートするために近くにいる両親や芸能事務所の大人たちがその僅かな変化に気付けなかったのは。
俺は、自分だけが気付いてしまったこの違和感が恐ろしくなり、両親に相談した。
「最近、咲の様子がおかしい」
「んー? そお? 何も変じゃないわよ」
「どうしたんだ急に。もしかして妹離れができないのかぁ? ハッハッハ」
「笑い方がおかしいんだ。嘘っぽいっていうか……それに、あいつ、俺のこと『兄さん』って他人行儀っぽく呼ぶし!」
「別におかしくないわよ。むしろ前より可愛く笑ってるじゃない。咲も大人になってるんだから、浩介もお兄ちゃんとして大人になりなさい」
「母さんの言う通りだぞー。咲ももう小学生になったんだし、昔みたいに『にぃたん』なんて呼ぶの恥ずかしいんだろ」
「チクショー! 大人はいつも分かってくんねー!」
「おっ、なかなか感情のこもった台詞だな。お前も芸能人デビュー目指すか? なーんてな、ハッハッハ!」
必死に訴えても相手にされない。
まるで俺がただ駄々をこねているだけのような空回り感。
しかし、俺だって確証があるわけじゃない。
もしかしたら両親の言う通り、ただ妹が成長しているだけなのかもしれない。
そんな風に自分を言い聞かせて納得させようと思っていたとき、玄関の鍵が開く音がしてきた。
――ガチャガチャ……ガチャン
時刻はもう夕方の18時。
妹が芸能活動のレッスンを終えて帰ってくる時間だった。
「ただいま」
「おかえりぃ~! 今日も頑張ったわねぇ」
「さきぃー! 偉いぞぉ! お前は偉い!」
妹の味気ないただいまに対して、熱烈なファンのようなテンションで迎える両親。
親父に至っては一体何が偉いのか不明だ。締まりのない顔でデレデレして妹の頭をひたすら撫でている。
両親の奇行とも呼べる対応に若干引いている俺に、妹は目を向けて再び同じ言葉でただいまを言った。
「ただいま。兄さん」
「……おう。おかえり、咲」
短いコミュニケーションを終えると、妹は浴室でシャワーを浴び、自分の部屋で着替える。
そして部屋から戻ってきて初めて我が家は夕食をいただくことができる。
これが我が家のルーティーン。
――まるで、我が家の中心は妹であるかのように。
夕食を食べながらテレビを観ていると、妹が出演しているバラエティ番組が始まっていた。
人気芸人の司会者が妹を褒めたたえるように話をしている。
『咲ちゃん、めっちゃ可愛いんだよ。ここ最近の子役でも一番なんじゃないかな? 前に別の番組で一緒になった時なんか大御所の怖い大人たちがデレデレしちゃってたもん』
『あんたも怖い大御所だよ!』
ハハハー
「きゃー! 一番だって、いちばん! やっぱり咲ちゃんが一番!!」
「はい! はい!! うちの子です! それうちの子でぇ~す!」
「食事中にうるさいぞ親馬鹿ども」
「なによー、浩介。咲ちゃん褒められてるってのに!」
「……」
はしゃぐ両親を注意する俺。黙々とご飯を食べる妹。
テレビではついに妹が喋るシーンとなる。
『フフフ、ありがとうございます! 皆さんにとても良くしてもらっています』
『ほら、みて、これですよ。この歳でこんなしっかりと喋れる? 俺6歳の時なんかまだ日本語喋れなかったもん』
『お前何人やねん!』
『フフフ』
『笑い方も上品! 本当に可愛い笑顔だねぇ』
テレビの人たちは妹を絶賛していた。
そこに映る妹は、確かに俺の同級生の女子と比べたってしっかりとした言葉遣いだし、笑顔もしっかりと可愛いらしい。
ふと、テレビの中の妹と向かい側に座る妹を見比べる。
(なんか、表情が乏しくなったな、お前)
声には出さなかった。
両親は相変わらずテレビに映る妹に釘付け。
目の前の妹はテーブルにならぶ料理を黙々と小さな口に運んでいる。
俺は、この不気味なバランスを崩さないよう妹に習い黙々と食べることにした。
夕食を終え、家族団欒の時間を過ごし、就寝の時間を迎える。
妹の部屋は2階にある俺の部屋の隣。両親は1階の寝室だ。
俺たちは2階に昇る階段に二人で向かう。
その途中の廊下で珍しく妹が話しかけてきた。
「兄さん」
「……ん、え? 何か言った?」
少し寝ぼけていた俺はまさか妹が話しかけてくるとは思わず、反応に少し遅れる。
「今日、一緒に寝てもいいですか?」
「ん。いいよ」
「ありがとう。枕、とってきます」
俺が小学校に入学するまで妹とは一緒の部屋だった。
入学した後は教材やら何やらで俺の持ち物が増え、両親も気を利かせて俺に部屋をくれた。
元々親父の書斎にするつもりだった部屋だったが、母親が書斎に籠るのを許さないと猛反対した結果、空き部屋になっていたので丁度良かったらしい。
俺と妹が別々の部屋になった最初の1ヶ月は毎日のように俺の部屋に潜り込んでいたが、半年が過ぎる頃には慣れてきたのか別々に過ごすようになった。
それ以来、妹とはあまり話した記憶がない。
部屋の電気をつけ、若干緊張しながら妹を待つ。
少しして、部屋のドアをノックしてから入ってくる妹。
芸能活動を始めてから妹はマナーというか、大人っぽい所作をするようになっている気がする。
礼儀や伝統が厳しい芸能界で自然と身に着けたのだろう。
実際にどうなのかは知らないが、ネット記事で妹のことをそう評価したものを見たことがある。
「電気、消すぞ」
「はい」
ピッ
照明のリモコンを操作して電気を消す。
一つのベッドに一つの大きな布団。俺と妹は枕を並べて仰向けになっている。
当然、急に寝れるわけでもなく、俺は妹に話しかけた。
「なぁ、咲」
「なに? 兄さん」
「お前、少年ステップ見てる?」
「見てないです」
「今、鬼殺しの剣って漫画がめっちゃ流行ってるんだぜ」
「それなら聞いたことあります。番組で取り扱ってたから」
「おっ、なんだよ。知ってんじゃん」
「内容は知りません」
「えー……お前、普段何が楽しいの?」
「お仕事です」
「……悲しきキッズ」
「……」
「イテっ! 抓るなよ」
「兄さんが悪い」
「兄に逆らうとは生意気な」
「兄さんより優秀です」
「兄より優れた妹など存在しない」
「ここにいます」
「……」
フー……やれやれ、しばらく会わないうちに勘違いをさせてしまったようだ。
ここは兄としての威厳を思い出させてやらねばならない。
俺はベッドから起き上がり、妹の頬っぺたを片手で掴んで引っ張りながらもう片方の手で脇腹をコショコショする。
「――ッ!! やめへっ! アハ! アハハハ! やめへよぉ!」
「どうだ、兄の偉大さを思い出したか、愚妹よ」
妹は脇腹をくすぐる俺の腕を掴みながら、もう片方の手で俺の急所を掴む。
「――ッ!? お、お前……それ、意味がわかってやっているのか……!?」
俺は身の危険を感じ、身体が硬直する。
そんな俺を見て、妹はニヤリと邪悪な笑顔を浮かべた。
「昔、お風呂で兄さんのを引っ張ったらお母さんに怒られたのを思い出したの。やっぱり、ここが弱点なんだ」
「やめ、やめろ……お、おふっ、ニギニギするな! ぁ、や、やめてっ!」
「フ、フフ、ハハハハ! お願いします、は?」
「……ッ! お前ッ! 調子に乗るなよッ――ァ、ヤメテ強ク握ラナイデ」
「兄さん、カワイイ」
「~~~~っ! 離さないともう二度と口利いてやんないぞ!」
「――――」
突然、ニギニギと強弱をつけて脅していた凶悪な妹の手が止まる。
妹を見てみると、放心したように空虚を見つめて固まっていた。
「さ、咲?」
声をかけた次の瞬間、俺の股間に強烈な痛みが走る。
「~~~~!!!!」
声にならない叫びと、何が起きたか分からない驚きで蹲る俺。
「――んな」
何かを言っている妹。
しかし、俺は痛みでそれどころではない。
妹は起き上がり、蹲っていた俺を押し倒して馬乗りになる。
「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな、ふざけんな」
「ひぃっ!」
最近の妹からでは聞くことのできない強い言葉。
それを耳元でしっかり聞こえるように連呼する妹。
俺は恐怖で声がもれた。
「取り消せ取り消せ取り消せ取り消せ取り消せ」
「わ、わかった。わかった! 今の嘘! 嘘だから!」
俺の言葉に、妹は肩で息をしながらも落ち着きを取り戻した。
「フー……フー……、ごめんなさい兄さん。少し、取り乱しました」
「あ、あぁ……」
「はやく寝ましょう。明日も学校とレッスンがあるので」
「あぁ……」
再び二人並んで仰向けとなる。
ただ、先ほどと違うのはまだ妹の手が俺の股間を握っていることだ。
俺は冷や汗が止まらない。
「それと」
ビクッ
妹の一言一句に先ほどの痛みがぶり返し、身体が反射的に反応する。
「明日の夜は私の部屋に来てください」
「……」
「返事は?」
口調はとても穏やかだ。
しかし今、妹の顔を見てしまうと俺は握られたまま漏らしてしまうかもしれない。
先ほどから痛いほど感じる妹の視線が、怖かった。
「返事」
「――……はい」
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