第1話 少女と歌

少女に物心がついた頃には、

彼女が父親に暴力や暴言を振るわれるのは当然のことになっていた。


機嫌が良ければ無視をされる、舌打ちをされる程度で済んだが、

機嫌が悪い日であれば、酒瓶を投げつけられたり、

「悪魔」「化け物」「疫病神」と罵られながら、殴られたり蹴られたり…。

当然、暴力を振るわれれば体は痛むし、

痛めつけられることが辛くない訳はなかった。

それでも、少女がそれを抵抗も反抗せず受け入れていたのは、

父親や周囲の人々たちの言葉で、自分は母親殺しの化け物なのだから、

罪深い存在であるのだから当然のことだと、ずっとずっと言われ続けたからで、


(これは、私がお母さんを殺してしまったからだ)

(悪い事をした私が罰を与えられるのは正しいことなんだ)


そう彼女は自分の中で受け止めてしまうようになっていた。


「お父さん」

いつだったか、彼をそう言った時

「誰がお前のような化け物の父親だ」「二度とそんな風に言うな」と

酷く激昂した父親に、体中に青あざができるほどにボコボコに殴られたことも

村の人たちに「母親殺しの化け物」と陰口を叩かれ、

子供たちに石を投げられ、苛められても


辛くはなかった

辛いとは考えなかった

それは"当然のこと"だから


悲しくはなかった

悲しいと思う資格がないと思った

悪いのは自分だから


(……でも、ちょっとだけ寂しい…かな…)



お父さん、お母さん


弾んだ声で呼びかける、自分と同じくらいの年の子供の声が聞こえる。

その瞬間は、激昂し泣きながら自分を叩く父親の姿を、声を、思い出して

ちくりと胸が痛んだ。



とある日曜の朝。

村人たちが、村唯一の教会に集まり神への礼拝を行う日。

農民が多いこの村では太陽神ティダンを信仰していて、

村の中央にある石造りの教会の入り口には、

輝く日輪をモチーフにした銀のメダルが掲げられていた。

日の光を反射してキラキラと煌くそのメダルは、

少女にとって少しだけ眩しい存在で、そしてひそかなお気に入りだった。

それは単純に「キラキラしていてキレイだから」という理由でもあったし、

村の誰もが敬い慕う神様の象徴として、子供らしく純粋な憧れがあったのかも知れない。


普段は、忌み子である少女が教会の近くをふらふらしていると、

縁起が悪いだとか、目障りだとか怒られてしまうから、

少女は教会に近づくことはできないで居たのだけれど、

日曜礼拝のその日、その時間だけは、ほとんどの村人たちが教会の中へと集まる為、

彼女が教会の近くに来ても誰にも気づかれずに済むのだ。


だからその日だけは、

礼拝が始まった頃、少女は自分もこっそり教会へと向かう。

石造りの建物にそっと寄りかかりながら、

微かに耳に入ってくるオルガンの音色と人々の歌声に耳を澄ませた。


暖かで優しい、包み込むようなメロディーと

それに乗って紡がれる美しい言葉たち


これまで口汚い言葉しか与えられなかったことがなかったから?

聞いたことがない芸術に触れた感動?

その理由は、少女自身にもわからなかった。


ただ、それはどんな暴力よりも遥かに衝撃的に

少女の心を揺さぶって、虜にするには十分過ぎた。

訳も分からず胸が熱くなり、涙が出たその瞬間のことを、

少女はこの後、長い長い時を生きても忘れることはなかったのだから。







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