第17話 5th day.-1/プラスチックスマイル/PLASTIC SMILE
<プラスチックスマイル/PLASTIC SMILE>
月下に一人の演舞が開く。冬の街並みを取り囲むは惨劇のブタイウラ。
演劇のプロローグはすでに始まっている。誰が為に鳴り響いた鐘のうるさい開幕の合図。
遅れてしまう。早くしなければ、遅れてしまう。冬の道を走る走る。
遅れてしまう。早くしなければ、遅れてしまう。出番の待つ駅へ走る走る。
区々と並ぶ観客を、淡々と紡いだ言葉を、唯々淡々とこなしていく。その魂よ、忘れまい。そのこなすべき役を、忘れまい。紡いだ言葉は響いてく。
ハンプティダンプティよ、忘れるな。決して後ろを振り向くな。
その研いだ牙を唯々淡々と鳴らしていく。カチカチと牙と牙を合わしながら、その
ハンプティダンプティよ、忘れるな。その心を
プラスチックスマイル/5th day.
寒い、雪は降っていないのに凍えるように寒い日。街は暗く、辺りに空の光は届かない。辺りには何もなく、ずっしりとした湿気だけが溜まっている。手を伸ばしても何もないのに、この身体は何もないのに唯々濡れている。それは赤く、冷たく滴り落ちる。
―――その目覚めは、トモシビが次々と消えていく哀しみ。覚醒は唐突に、されど淡くゆっくりと広がる。そして、ゆっくりと消えていく、―――――意識の中のそれは笑う赤黒い髑髏の月。あたしの心は、夢幻へと堕ちていく。
***
―――覚醒は唐突に訪れた。目を覚ませばいつもより早い朝だった。時刻はまだ日の昇らない午前五時三十分。いつもより少し早い朝は快適で、気分は晴れていた。
カーテンを開けて、窓を開ける。ヒンヤリとした風は少し強く、覚醒した頭に鋭く刺さる。空を見上げると分厚い雲が所狭しと広がっているが、石畳には水溜りはない。どうやら雨は降らなかったようだ。
「・・・・・・珍しい空。でもよかった。今日は思っていたよりはいい日かも」
冷たい風が吹き付けてくる中、伸びをして睡眠で鈍った身体を解す。冷たい空気が眠気を完全に消し去ってくれた。気持ちと身体のギャップなんて気にしない。いつもの憂鬱さもない朝なのだ。それは私にとっての今唯一の救いなのかもしれない。
居間へと下りる。辺りは静かで、風の音が木霊している。歪な気配も無い。
早い朝はいつもこうだ。なにもない空間で、私一人が息している。夏ならば虫の音が庭の先から聞こえる。風の音は空の上。静かに響き渡る空間に佇んでいる。そんな空間はいつもならもう一つの存在が寝息を立てているのに、そんな"いつも"は今はない。
「・・・・・・元に、戻るよね。きっと、戻ってくるよね」
静かな空間に弱音を吐く。劇的な変化ってのはどうも苦手だ。苦手でも、自分自身のこの順応性には恐ろしいものがある。少しは戸惑えばいいのに、私の中は変化していない。考え方も、生活も、若干の変化はあっても根本的なものは何も変わっていない。本物の宗次郎はきっと苦しんでいるはずなのに、私だけいつも通り。そんないつも通りも刻々と時間を刻んでいる。
日も変わって、惨劇の舞台が再び幕開けするまで三日。その七十二時間という時間を、私はどう過ごせばいいのだろう。いつも通り学校へ行って、いつも通り過ごして、そのまま惨劇を迎えるのか。それとも少なからずとも魔術を習い、力をつけて惨劇を迎え討つのか。
そのどっちも私にとっては残酷だ。そんな、気がした。
「やっぱり、私は臆病者だ。自分では何もできない、臆病者だ」
「―――いえ、貴女は貴女なりに善処しています」
振り返ればジーンが立っていた。日も昇らないような時間帯なのに、彼女はいつも通りの姿で立ち会っている。
「おはようございます、アオイ。よかった、今日の目覚めは早いのですね」
「おはよう、ジーン。二日連続屋上から登校するわけにはいかないからね」
「ええ、ジューダスから昨日伺いました。大変だったでしょう、あの人ももう少し考えてくれればいいのですけど」
「ううん、違うの。私がいつも通りちゃんとしとけばジューダスの手を借りる必要も無い訳だし・・・・・・」
―――そう。私はいつも通りしておけばいいんだ。力の無い私は、きっと彼らに立ち向かう事はできない。あれは人と人の争いではない。あの争いに、力の無い者が加担していいものではない。彼女やジューダスも人の姿をしているけど、実際はすでに人としての人生に決着をつけている。二人とも、神の御業の結晶なのだ。現に二人には絶対的な武具がある。
―――雷に輝く槍と空間を切り裂く剣。そのどちらも、きっと私が想像もつかないほどの神代の御業で、彼らはその権能を受け継ぎ、そして私を護ってくれている。それは力のない私の唯一なる可能性。宗次郎を助けるために残された可能性なのだ。
彼らの力はすでに見せてもらった。決着はつかなかったけれど、その力は頼もしい。きっと宗次郎を助け出す力になってくれる、そう確信している。
「うん、私はしっかりしてればいいんだ。いつも通り、そうしておけばいいんだ」
「?」
「わかったよ、ジーン。私は私であなたたちの力になる。きっと、宗次郎を助け出すためにも、よろしくお願いね」
「どうしたのです、急に改まって。ワタシたちはそのために現界していますが」
「うん、だからこそよろしくお願いします。はい、握手」
無理やりに彼女の手をとって握手した。思ったよりも小さい手。その小さな手も、きっと血で汚れている。それでも、彼女は彼女なりの人生を過ごしてきたのだ。彼女の力は、宗次郎を助け出すためにはなくてはならない力なのだ。お願いしないのは罪になろう、その力を貸してくれるなら、私は彼女たちになんだってする。
///
朝食も終わり、今日こそは普通どおり登校すべく、いつもの時間より少し早く玄関へ向かう。玄関に着くとすでにアルスが準備を済ませて待っていた。
「マスター、今日は一緒に行きましょう。昨日のワビっす」
「へっ。そんなの気にしなくてもいいのに」
「いえ、考えてみればこれが正しい形っス。オイラはマスターの使い魔っスから、できるかぎりマスターの近くにいたほうがいい」
「そうなのかな? まぁ、それならお願いします」
「ほいさ! それじゃ、そろそろ学校に行きましょうか」
「うん。ジーン、ジューダス、留守番ヨロシクね。いってきます」
「いってらっしゃい、アオイ」
「おう」
* * *
不思議な気持ちだ。普段通りの通学路を普段通り通っている。周りにも変化はなく、私の心も穏やかだ。違うことは、隣にいるのは宗次郎ではなくアルスだということだけ。その事実も、周りからすれば些細な事で、気づく事はない。
「・・・・・・」
今日のアルスは静かだ。一昨日、初めて学校に行ったときは終始話をしていたのに、今日はまだ一言も話していない。
「―――マスター、昨日の事覚えてます?」
「昨日・・・・・・?」
「
「体調・・・・・・は特に変化はないかな。あの時は少し気分悪くなったけど、部屋に戻った頃には直っていたし、問題はないよ」
「そっすか、それはよかった。でも、マスターに魔力がないことは少し心配ッスね」
「そうなの? ジューダスも言ってたけど、そんなに大事なこと?」
「大事どころじゃないッスよ、大問題ッス。正直、どうやってマスターがオイラの
「んー、ジューダスも変って言っていたけど、たぶん夏喜がなにか仕掛けているかもって言ってたし。だってこの出来事の事を予測していたんでしょ? それだったら私に魔力だとかが無い事も知っていたんじゃないかな。それで“どうにかして”アルスと契約できるように細工でもしたんじゃないの?」
「いや、それのことなんッスけどね、オイラは普通の使い魔とは根本的に定義が違うッスよ。話が難しいから今は話さないッスけど、実際にはありえないっス」
「そうなんだ。でも、今更悩んでも仕方ないんじゃないかな。結果としてはできたんだし、ジューダスも言ってたけどその後の事の方が問題じゃない」
「そーいや、・・・・・・そっすね。んー、でもなんかシックリこないなぁ」
「大丈夫? そんなに悩む問題なの?」
「いや、これはオイラの性格の問題ッス。気になることは完璧に解決しないと気がすまない性質でスから」
「へぇ〜、結構意外かも。アルスって結構適当な子と思ってた」
「マスター、それ失礼っすよ・・・・・・」
「あっ、ごめんごめん。・・・・・・ただね、私に魔力がないことってのは、私には戦う力が無いって事なんだよね。それでいて、後々アルスにも迷惑を掛ける。きっと、その時が来る。それが、少し残念かな」
「どうしてッスか? マスターにはダンナもジーンもオイラも付いてるじゃないッスか」
「そうだよ。そうだけど、迷うの。やっぱり私も貴方たちの力になりたいって。ずっと考えてる」
そして―――諦めている。
「考えてみれば今回の出来事も私と宗次郎に降りかかった火の粉でしょ。貴方からすれば巻き込まれたって感じじゃない。だから、貴方たちだけに頼るべきじゃないって考えてしまうの」
「だから自分も戦いたい、と?」
「・・・・・・うん」
「・・・・・・それだと、マスターはきっと後悔するッスよ。マスターは魔術について何も知らない。本来ならこれからも知るべきではない。坊ちゃんの為でも、こればかりは踏み入れるべきじゃないッス。幸いにもマスターには魔力がない。だからマスターは“人”に戻れるんス」
「でも、それじゃ―――」
「そのためにオイラたちがいるんじゃないっすか。魔力の無い出来損ないのマスターでも、オイラたちの力は絶対ッス。正直、今度ヤツラが攻めてきても返り討ちにしてやれる力があると自負してる。だからマスターは普通の人間でいてほしい」
アルスのその眼は、切なる願いを籠めたものだった。私は魔術師になるべきではない。そんなこと、わかっている。わかっているつもりだが・・・・・・それ故にアルスは私のためを思って魔術師になるべきではないと云う。
「マスター、わかってください。マスターが魔術を覚えてしまうと、きっと坊ちゃんと一緒にいられなくなる。そうなると哀しいでしょ?」
「それは、そうだけど。・・・・・・なんで一緒にいられなくなるの?」
「魔法に繋がる人は成ってしまった瞬間から“人”ではなくなります。世界には魔術師を統轄する機関がある。魔術師が魔術師としてあるのならば、個人ではなく世界のためにその力を使わなくてはいけないッス。陰に潜むなら個に対して完全に隠匿を貫かなければいけないし、ただ他に力を行使することは禁じられている。それに歯向かえばもちろん罪人扱いになる。魔術師になるって事はそれ同等の枷が付く」
「そう・・・・・・なの?」
「そうです。オイラはマスターは人間のままでいてほしい。ナツキのようにはなってほしくない」
アルスの手に力が篭る。人為らざる人。人は力があれば使う。それは抑制できる事ではなく、その事実は覆る事はない。現に力のある人はそれを隠すことはしない。隠匿を守るのならばというが、普通に生活する中で人のサガからそれが完全に成し遂げられるとは思えない。ならば魔術師は民衆の前に出る事は許されない。
つまり、それは“
アルスの眼は言う。夏喜もジューダスもジーンも似た人生を歩んできている。三人とも同じ境遇で似たような結末を迎えている。それを知っていて、私には同じ様になってほしくないと願っている。
「―――わかった、努力するわ」
「・・・・・・マスター」
「ごめんね。私はまだ迷うかもしれない。でも、私は貴方たちを信じる。だからアルス、これだけは約束して。私の事実、貴方たちに預ける。だから、絶対に消えないで」
人が死ぬ事は悲しい。感情の破損でも、その事実は何かしろ心に深い違和感を与える。それは夏喜のことですでに体験済みだ。ジューダスもジーンもアルスも宗次郎も、だれも消えてほしくない。みんな、私を支えてくれている。その中で、だれも欠けてほしくない。
「了解ッス。任せてください」
アルスの顔に笑顔が戻った。その顔は宗次郎のものだけど、やっぱりアルスは笑顔が一番似合っている。
「うん。それじゃあそろそろ学校に向おうか。あんまり立ち話が過ぎると結局遅刻しちゃうじゃない」
「そッスね。行きましょうか」
日常に戻る。私たちの事実は現実とは離れているけど、きっと元に戻れる。そう願う。
道を挟んだ校門前の信号まで来る。ちょうど赤。周りにはちらほらと生徒の姿が見え出した。時間帯はいつもより少しばかり遅いが、遅刻の問題は無い。
「―――!!」
「どうしたの?」
急にアルスの顔が強張った。その緊張はすぐに私に伝わった。―――嫌な、予感がする。
「・・・・・・マスター、屋上、見えますか?」
「屋上・・・・・・?」
そう言われて屋上へと視線を送る。広い屋上の真ん中で一人の女子生徒が立っている。あれは―――
「―――新守、渚?」
「いえ、違うッス。あれは、
「・・・・・・まさか、また」
―――ロキ=スレイプニール。なんで、また……
「マスター、気をつけてください。ヤツのことです、何かしらまた仕掛けてくる。以前は“本人”によって中断したけど、きっと同じ鉄は踏まない。考えたくはないけど、前回のことを考えると、“事を済ませている”かもしれない」
“事を済ませている”、とすれば、新守さんの身に何かがあったのかもしれない。だが、そう考えても、この状況では下手には動けない。彼女が学校にいるってことは、それだけで大きなプレッシャーになる。
それだけに彼女の力は強大だ。ジューダスにあれだけの傷を負わしたのだ、その恐怖が今目の前にある。もしここで下手を打てば、彼女はきっと
「・・・・・・アルス。ジューダスやジーンにはまだ報せないで」
「えっ!? そんなこと言ったって、一大事ッス!! 今ココで報せないと――」
「わかってるけど絶対ダメ! 今報せたら、大変な事になる」
今彼女が姿を現したのはきっとこう云いたいからだろう。
『―――彼らに報せれば、この学校は消える』
私とアルスがジューダスに彼女の事を知らせれば、この学校の生徒すべての命が危なくなる。でなければ、朝一のこの状況で姿を見せる意味がない。なんの関係も無い生徒を巻き込むわけにはいかない。
「―――!! なるほど、汚い手を・・・・・・」
この状況で学校に来いと言うのだ。彼女からすれば、これは遊びなのだろうか。それとも何かの目的があってのことだろうか。それがなんであろうと、狂っている。
「今ココで引き返しても危ないでしょうね。彼女がココに着いた時点で、この学校の生徒すべてが人質になったってことッスか」
「おそらくね・・・・・・」
悪魔の手が学校を包む。その違和感、道を挟んだ先まで伝わってくる。その恐怖を、どうすれば退けられるだろうか。
『―――無駄な考えは止めなよ』
「「!!」」
『何を驚いているのさ。この程度の
脳内に響く歪な声。骨を伝わるその声は、背筋に冷たいものが奔る。
『昼休みに屋上に来なよ。もちろん眠り姫一人でだ。使い魔はついて来ちゃダメだよ』
『なぜだ? 話があるなら今すればいい。なぜわざわざ・・・・・・』
『キミに発言は求めてないよ使い魔。キミには用はない、眠り姫だけおいで』
―――そう言って、彼女の姿が朧へと消えた。先程まで見えていた新守渚の姿は今はいない。
「どうする・・・・・・?」
「どうするったって、ヤツの考えがわからない以上、下手に動けませんね・・・・・・」
アルスの顔に焦りが見える。ジューダスとジーンにこの事実を伝えきれない以上、私たちだけで解決するしかあるまい。
他に犠牲者は出したくない。彼女の思惑通りにはなりたくないけど、従わざるえない状況になってしまった。
「とりあえず、学校に行きましょう・・・・・・。いつまでもここにいても、解決できない」
未だ打開策の見出せないアルスの手を引き、道を渡った。昼休みまでの時間、なんとしても解決策を見つけ出さないと・・・・・・。
_go to "khamsa".
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