おきゃん

カフェにて女の云う事は。①

「モウ、疲れました」

 ぽつりと声が落とされました。八月の初め、遠くの方で蝉がわんわんと鳴いている、まだの高い時間のことでした。地元のカフェに来てほしいと、目の前に座っている女に呼ばれて私は此処にいるのです。

 女は私の同窓で、高校からの付き合いですから、もう四、五年の仲でしたが、いつでもその考えは読めません。私は、その間にも女が闇を抱えていることは感じつつも、その中に踏み込んだり、こころの深いところを覗いたりというのが出来ずに、知り合ってからずっと、表面のところを遠くから眺めているだけであったのに、女のことを少しは理解しているようなフリを続けていました。

「疲れたって云うのは、なんだい、その、何かあったのかい?」

 女は静かに首を横に振りました。薄く笑みさえ浮かべていましたが、口元だけで描かれた弧ほど気味の悪いものは無く、私はそれに寒気を感じながらも平気なように振る舞い、「じゃあ如何どうしたというのだい」と重ねて尋ねました。

「アタシねえ、気附いてしまったンです。この世界はアタシのようなバケモノが生きるところではなかったのだって。アタシは人間の親から、人間の母の胎から産まれた……人間だ、ってずっと思ってきましたけれど、ええ、アタシはね、人間じゃあなかったのですよ、おほほ……」

 私には女が何を云いたいのか分かりませんでした。何処かの令嬢でもあるかのような装いをしたこの女は、よく難しい話を私に聞かせるのです。内心ウンウンと呻っておりましたが、態度に出すのはなんだか癪だったので黙っていると、女はそれを見透かしたように私と目を合わせるとひとつ頷きました。

「急に人間でなかったのだと云われても、何を云いたいのか御理解できないでしょう。ええ、善いンですよ。アタシが言葉足らずでありましたわ、御免なさいね。ではね、今から、貴方にはツマラナイ、かもしれないお話を致しますから。少し長くなりますけれど、一寸チョット聞いてくださいね。途中で飽きて眠ってしまわないで、どうぞお願いします」

 冷房と店員の音以外にはほとんど何も無く、田舎のために人も少ない中で、女は静かに静かに話し始めました。幼児の眠る前に母親が読み聞かせをするような、柔らかい声でした。カランと氷が割れて、それを合図にしたように、その『ツマラナイ話』を私に、私にだけ、語って聞かせたのです。口だけの笑みを浮かべたまま……。



 アタシは、ヒトの子どもでありますのに、どうもヒトと附き合うのが苦手で、近附きすぎたり、離れすぎだりして、長い縁を結ぶのがどうしても出来なかったンです。

 さて、そんなアタシの産まれた家は、アンマリ善いところではなかったのですけど、貴方とは高校からの縁ですからね、多少はご存知でしょう? ……愚痴にして吐いておりましたからね、懐かしいような気がしますわ、あの頃のアタシたちは十五、六の子どもでしたからねえ、本当に懐かしい……。ああ、御免なさいね、今は家の話をしているのだったわ。……ええ、それで、アタシの家のヒトはね、みんな仲が悪くって。爺様は……そう、父方の……アタシが小学生だか中学生だかの時に亡くなられたのですけど、生前はよく怒鳴っていらしたわ。それでね、爺様が亡くなられた後も、婆様と父様、父様と母様、母様と婆様ってふうに、本当に仲が悪くて……アタシは、八方美人していましたから、それはそれで大変でしたのよ。母様は他所から嫁入りなさったヒトでしたし、相性がね……仕方のないことですけど……。あとは、何と云えば善いかしら、そうね、人間性……とでも云いましょうか、随分なところが欠けているものだから余計に……尊重とか調和とかね、それが出来なくて。

 具体的にお話ししますわ。

 父様は御口がとっても悪いヒトで、よく罵ったり嫌味とか説教とは名ばかりの八つ当たりみたいなことを云ったり。云い方がいつもキツくて、声も大きいし……アタシがそれにビクつくとまた腹を立てるから……。掘れば掘るほどありますわ。

 母様に対しては「腐れ女」「蠅の塊」などと仰いますし、鍵をかけて締め出すなんてことも多々ありました。チャイムを鳴らしても電話をかけても絶対に開けませんから、アタシが開けに行くのです。

 婆様に対しても「余計なことをするな!」とか「何もしないで居るのも大変だろうから早く死ね」とか仰いますのよ、実母に対して……本当、恐ろしいヒト……。

 アタシも「糞の役にも立たないくせにのうのうと生きていやがる」とか「誰に生かされてると思ってるんだ」とか……「血を分けてやった道具としか思えない」とも云われましたっけ。アタシは一体何の道具なのだったのかしらね。他にもたくさん、今も云われ続けていますけれど……昔は、蹴られることもありましたね。そうそう、アタシ、片附けが苦手で……部屋の物を一式捨てられたこともありましたね。ランドセルとか教科書もみんな。ゴミ捨て場から母様が拾ってきてくださって……今は、アタシも学習しましたから片付けるように努力していますけれど。

 父様は、外には善い顔ばかり見せるので、アタシが家の中での父様のことを話しても、誰も信じてくれないのです。それどころか、あんなに善い父様を悪く云うなんて、とアタシが睨まれる始末でした。

 母様は"糠に釘"と揶揄されておりますけれど、普段は、ええそんな通りのヒトでした。父様に酷いことを言われても「真に受けて傷ついていてはキリがないから聞き流してる」と云って、けれど少し顔を顰めるヒト。それがまた父様の気に障ることも多いので善い悪いはなんとも云えません。「実家に帰れ!」と怒鳴られてもまた始まった、と呆れていらっしゃることが……今でも、ありますわ。それから、学歴を気になさるヒトで、それは、自分や親兄弟が、地方にしてはいいところを出ていらっしゃるために、他人を見下しがちでした。本人に自覚はないようですけれどね。毎晩お酒を煽りなさって、たまにですけれど、ひどく酔われたときはヒステリックを起こして号泣、なんてことも。鍋やら食器やらをガチャンガチャンと大きく鳴らしたり号泣する姿に、アタシは強い不安を覚えてどうにかなりそうでした……。本当に、たまに、ですからまだ大丈夫ですよ。

 婆様も、父様ほどではありませんが、御口の悪いヒトです。なかでも母様への悪口は絶えませんし、近頃は年老いた自分を哀れめ慈しめとばかりに苦労話な不幸話を聞かせてくるのでした。お前の母親はどこがどうダメで云々、お前もあの母ににて云々、俺たちの時代は云々……。アタシ以外に聞いてくれるヒトもないものだから、アタシばかりが附き合わされるのです。そうだわ、婆様は母様の出した大皿の料理をご自分で取っていって(しかもべろべろと舐めた箸で!)食えたもんじゃないと本人の目の前で云って残すとか、云いがかりをつけて母様に虐げられていると云って泣いてみせたり……アタシは慰めるのも何か嫌で、そういうときばかり知らんぷりをしていました。


 仲の悪いくせに、ご飯はみんなで、なんてルールもあるものですから、また大変。……アタシにとっては、この家のヒトたちは、恨めしいのです。愛などないくせに、家族を演じているから。


 ああ、最初、アタシは人間の親から産まれたと云いましたけれど、訂正しますわ。家族のみんな全て、人間ではない、もっと違う生命体だったのです、きっと。人間だと思い込んでいるだけの……そう、哀れな集合体ナニカ

 それに気附くのにこんなに時間を要してしまったアタシの莫迦ばかなこと……。人間であったのなら、きっと、共感とか受容とか、尊重なんてことも出来たンじゃないかしら……ええ、今更なことですわね。然し、アタシは在り得もしない"もしも"を望んだり空想したりしたくなる時があるのですよ。


 残念なことに、アタシ以外のナニカたちは、まだ自分をの一員だと思っているみたいで……見た目を上手につくりすぎてしまって、その身体で何十年も生きてきたものだから、勘違いしたままでいるのです。皮を剥いで、その中身を自覚してしまったら、恥入って死んでしまうンじゃないかしらと心配になるわ。に憧れて、それらしく生きようとしているみたいだけれど、ヒトではないナニカ--そう、バケモノ、バケモノが正体ですからね、少し繕ったくらいじゃあ、遠くて遠くて……。結局のところ、みんな失敗しているンです。バケモノがになるには途方もない努力と技術が必要なのに、バケモノの奇妙なところが残りっぱなしで歪な物だから、モウ、周りの、本物のたちはアタシたちの正体に気附いていらっしゃるンじゃないかしら。そんなことでは、いつか殺されてしまいますわと忠告をしてさしあげたいのですけれど、アタシのような二十歳前後の小娘の云うことなど、聞きやしないでしょうね。……バケモノだと理解しているのは、アタシだけですからね、集合体かぞくたちからも奇異な目で見られるようになってしまって……まったく、どうして勘違いしたまま生活していられるのか不思議でなりません。正体を知っている方からすれば、あまりに滑稽で阿呆で、笑いすら起きません。


 アタシは逃げ出したくなって、アタシを知るヒトのいない、バケモノたちも会いに来られないところまで行くことにしました。ええ、貴方はご存知でしたわね、そう、短期大学に通うという名目で……。けれど、すぐにバケモノだとバレてしまって、1年ほどで泣く泣く帰ってきてしまったのです。もしかしたら、バケモノたちも変わっているかもと思ってもいましたが、全くお変わりのないようで……困りましたわ。

 でも、こうして貴方と直接お話しが出来ると思えば、悪い選択ではなかったのかも、しれませんね。……貴方が居てくださってよかった……有難う。

 ……大学のほうではね、初めは善かったのですよ。勉強にサークルを掛け持ちしてアルバイトをして、田舎にはないようなお店を見て回って……。そのうちに、アタシは調子に乗ってしまったのです。バケモノでも受け入れてもらえるンじゃないかって、勝手な期待をして……化けの皮を、ぴらりと捲ってしまった……愚かでしたわ……。

 アタシは場所を追われ、責められ、多くのものを失い、傷を負いました。アタシの思い描いていた生活はあっという間に崩れました。アタシにはバケモノというレッテルがでかでかと貼られ、これから一生に冷笑され、後ろ指をさされ、その視線に怯えながら、いつ殺されるか分からぬ恐怖に囚われて生きていかなければならないのです。


 「今はね、病院……精神科に通わせてもらっているのですよ。いつか……また……」

 私は女の話を黙って聞いていました。手元のアイスティーはもうほとんど無くなって、氷だけでした。空のグラスを見て、女は店員を呼ぶと、私の分のアイスティーとそれから自分の分のアイスコーヒーを追加で注文しました。私もなかなか他人が苦手で、店員を呼べずにいたので、女が代わりに頼んでくれたのを有り難く思いました。

「ところで、お前は私にそんな話をして一体何が云いたかったんだい。家族の話や今日こんにちまでのことを語りたかったのかい? 私にはお前の考えが……その、イマイチよく分からないよ」

「おほほ……そうではないのですよ、ただ語りたかったのではないのです。貴方にいろいろお話ししたのは、初めに云った、アタシがバケモノだというのをしっかり知っていただきたかったの。バケモノの間に産まれて育った、バケモノなの、アタシは」

 そこまで云ったところで、店員が先刻さっき注文した品を運んできました。慣れた手つきで空いたグラスと交換していきます。私が小さく頭を下げることしかできなかったのに対して、女はにこやかに微笑み、店員に礼を云いました。その姿を見ると、私は首を傾げるほかありません。なぜなら、最近は礼儀のなっていない輩も多く見かけるのに、女はとても丁寧で礼儀正しく、人間らしかったからです。自分をバケモノだと云って差別化することが噛み合っていないように思えました。

「……私にはお前が人間らしく見えているよ。それに、お前をバケモノだと云うには、なかなか難しいところがある。……人間とは何か、バケモノと如何違うのかを考えなければならないのではないか?」

 女は云われて初めて気が附いたとでも云うような顔をして、少しだけ瞳を見開きました。自分はバケモノ、とだけ考えていたようで、人間とは何かというのを、考えてはいなかったのです。

「……なるほど、確かにその通りですわ。 では、人間とは何かという話をしましょうか。……あの、お手間を取らせてしまって申し訳ないのですけど、一緒に考えてくださらない?」

 そうして私たちは、人間という生き物について語らうことになりました。まるで莫迦なことをこんなに討論したのは初めてでした。

 

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