第195話:蝕む魔力

 スズがエステルさんに寄り添っていると、昼寝をしていたセリーヌさんが目を覚ました。

 グーッと背伸びをするような仕草は、完全に小さい子供の寝起きだ。


「ふわぁ~、喉が渇いたのじゃ。リリアー! 水じゃー、水が欲しいのじゃー!」


「私は子守りをするためにいるんじゃないんだけどな」


 そう言いつつも、リリアさんはまんざらでもなさそうだった。

 老婆の介護から子守りに仕事が代わったとはいえ、セリーヌさんが元気なことが嬉しいみたいだ。


 セリーヌさんが水を要望したのに対して、リリアさんは5つのウォーターボールを作り出した。

 迷うことなく世界樹の根元にぶつけて、バッシャーンッと水が弾き飛んでいく。


「染みわたるのじゃー」


 どういう体の構造をしているんだ。

 コップで水を飲むんじゃなくて、樹の根から吸い上げるタイプなのか。


 当然、笑いのツボが浅い古代竜は笑い転げている。

 さっきまで重い話をしていただけに、エステルさんが可哀想だ。


「久しぶりに生き生きした姿を見たと思ったら、完全に樹の一部になっておるな」


「およ? エンシェントドラゴンのエンちゃんなのじゃ! 懐かしいのじゃ!」


 古代竜を『エンちゃん』と呼ぶのはセリーヌさんだけだろう。

 キャッキャッと騒ぎ始める彼女の姿は、2,000歳の女性とは思えない。


 世話をするおじいちゃんドラゴンと孫みたいなハイエルフである。


 そんなにワイワイされるのは困るんだ。

 こっちは罪悪感に押し潰され、まだ泣いている人がいるから。

 もう少し静かにしてほしい。


「いやー、さすがに死んだと思ったのじゃ」


 重いワードをぶち込むのもやめていただきたい。

 さりげない言葉で心に傷が付く、デリケートな問題なんだぞ。


 そんな重い空気に気付いたのか、セリーヌさんはこっちに振り向いた。

 フィオナさんとスズを交互に見ながら、樹の蔦を使ってクレーンのように持ち上げ、スーッと空中を浮いて近付いてくる。


「およよー? モエモエの魔力を感じるのじゃ。人間から感じるということは、もうおらんのじゃなー。そっちの子からはヘキヘキの魔力を感じるのじゃ」


 指を差されたフィオナさんは混乱している。

 当然、モエモエの魔力を感じるとは言われたスズも何のことかわかっていない。


 いや、僕もサッパリわからないから、通訳をお願いするように僕の顔を見ないでくれ。


 それとも、ハイエルフが思っていたキャラと違ったから助けてほしいの?

 そうだよね、あの人2,000歳過ぎてるのに、ここにいる誰よりも子供っぽいからね。

 きっとハイエルフは、精霊の魔力が満ちていれば子供のまま成長しない人種なんだと思う。


 よかったよ、僕は永遠に子供を武器にして過ごすことができそうで。


「ハッハッハ、こやつにネーミングセンスは皆無だからな。先ほど言っておった、神獣の名前のことだ」


 付き合いが長いであろう古代竜はさすがに詳しいな。

 それなら、モエモエは火の神獣でスズだろう。

 ヘキヘキは……フィオナさんが壁のような防御魔法を使うためか。

 確かにネーミングセンスは全くない。


「良い名前なのじゃ、余は気に入っておるのじゃ!」


 ネーミングセンスをバカにした古代竜に、セリーヌさんはプンスカと怒っている。

 だんだん子供っぽい姿にも慣れてきたよ。


「私も1つ聞きたい」


 今まで話を聞いていただけのスズが、じっとセリーヌさんを見つめて問いかけた。

 なお、1番話に関係のないカイルさんはまだ落ち込んでいて、シロップさんはハイエルフのニオイの研究に忙しい。


「どうしたのじゃ?」


「私は魔物に殺されたところを、モエモエが助けてくれた。それから魔力の質が変わって、うまく魔力をコントロールできなくなってきている。対処の仕方がわかるなら、教えてほしい」


 モエモエの受け入れが早いことは諦めよう。

 獣王のことをすぐにゴッチャンというあだ名で呼んでいたし、フェンネル王国の国王をオヤッサンと呼ぶし、フィオナさんも呼び捨てだ。

 僕みたいにイチイチ気にするようなタイプじゃない。


 それよりも、スズはチートキャラだから魔力をうまく使えないところなんて見たことが……。


 そういえば、エステルさんと戦った時は少し様子が変だったな。

 いつもより炎が黒かったし、クッキーを食べて魔法攻撃力が上がっていたとはいえ、魔法を使った反動が強いように感じた。


「ふむぅー、恐らく精霊の魔力を多めに注入して、無理やり体を治癒させたんじゃろう。肉体的な問題も含めて、魔力が循環しないと死んでしまうからのー。その結果、命を繋いだものの日に日に魔力が侵食を始めてしまった、ということじゃな」


 思い当たる節があるのか、納得するようにスズは頷いた。


「2年前から異常を感じて、少しずつ戦闘に支障が出始めた。限界まで魔力を振り絞ると暴走してしまい、炎が黒く染まってしまう。その時はいつも、体の内側から溢れ出すような痛みに襲われる」


 スズ、そこまで悩んでいたなら、両想いの僕に相談するべきだよ。

 解決策は何1つ提案できなかったと思うけど、気休めで甘噛みくらいはさせてあげたのに。

 余計な心配させないように隠していたんだろうけど、何かあってからでは遅いんだから。


 異世界の記憶を振り返ってみると、僕はスズの黒い炎を2度見ていることを思い出す。


 最初に見たのは、フェンネル王国でダークエルフと戦った時。

 トドメを刺す時にフルパワーを出して、炎が黒くなっていた。


 あの時、戦闘中に料理を食べて回復させたはずなのに、スズも1日寝込んだ、とフィオナさんが言っていた。

 強敵と戦ったことによる疲労だと思って気にしていなかったけど、魔力の浸食による痛みで動けなかったに違いない。


 エステルさんと戦った後の時も、1人で苦しんでいたのかな。

 雪遊びを誘ってもスズは断って、昼寝をしていたから。

 魔力の浸食による痛みが酷くて、遊べるような状態じゃなかったに違いない。


 ん? もしかして……、


「スズってさ、王都でBランクになったのに、どうしてフリージアに戻ろうと思ったの?」


 王都で冒険者ギルドへ行った時、スズが戻ってきたことに歓迎ムードだった。

 誰もがスズのことを知っていたし、頼りにされていたことも想像できる。

 正義感の強いスズのことを思えば、依頼が困難な王都を中心に活動するはず。


 わざわざフリージアで冒険者活動をする必要はない。

 当時のスズはハイエルフを探していたはずだから、王都の方が情報も得やすいはずだったのに。


「……高ランクの依頼は、魔法を使わないと対処できないことが多い。あの時の私は、魔法が使えなかった。正確に言えば、うまくコントロールできずに暴発させてしまっていた」


 物理攻撃だけで戦うのは限界が来て、王都を離れてフリージアを拠点にした、ということか。

 お金も溜まっていたし、リーンベルさんと過ごして心を落ち着かせたかったんだろう。


「でも……」


 何かを話しかけたスズは、僕に向かって右手を差し出してきた。

 それだけで、なんとなく理解してしまう自分が怖い。


 君は本当に料理スキルの効果について詳しいよね。

 まさかクッキーを好きで食べていたわけじゃなくて、自分の魔力を安定させるために食べていたなんて。

 ……いや、多分どっちもだと思うけど。


 思いもよらない悩み事を打ち明けられた後に手を差し出されたら、クッキーを渡さずにはいられない。

 当然、そんなことをすれば、鳩が餌をもらうようにやって来る者がいる。


 神聖な世界樹の前で、スズとリリアさんによる餌付けが始まると、スーッと樹の蔦が伸びてきた。

 絶妙な力加減でクッキーを潰すこともなく、セリーヌさんの元へ運ばれていく。


「……ほーん、さすがに男のハイエルフは器用じゃな。精霊の魔力を封じ込めたクッキーを食べることで、一時的にモエモエの魔力が安定していたんじゃろう」


 不思議なこともあるもんだな。

 スズに好かれるために餌付けをしていただけなのに、まさか延命措置をやっていたとは。

 寝込んだリリアさんを雑炊で助けたこともあるし、セリーヌさんはスパンキングで復活したばかり。


 クッキーで延命してても、もう何も感じなくなってきたよ。

 慣れというのは恐ろしいもんだ。


「うぉぉぉぉ、おいしいのじゃーーー!」


 クッキーを一つ食べたセリーヌさんは、真面目な雰囲気から一転して、子供っぽくなってしまう。

 欲に忠実になって、もっと食べようと近付いてきた。


 僕の心情としては、お腹を空かせた鳩がもう1匹来たような気持ちである。


「おい、セリーヌ婆。急いで食べると喉に詰まらせるぞ」


 リリアさん、あなたもいつもこんな感じですよ。

 手と蔦を使っているので、倍速にはなっていますが。


「うぐっ」


「ほら、詰まるって言っただろう。まったく」


 コップに水を汲んで飲ませることもなく、リリアさんはウォーターボールをバッシャーンッと樹の根にぶつけた。


「ふぅ、助かったのじゃ。もう少し落ち着くのじゃ」


 どういう体の構造なのか、もう気にしないようにしよう。

 樹の根で水を吸い取って、喉のつまりが取れるならそれでいい。


「それで、スズの魔力を落ち着かせられないんですか? ハイエルフの女性は、精霊の魔力のコントロールに長けていると聞きましたけど」


「んにゅー、モエモエが生きておれば、落ち着かせるのは容易いことなんじゃが……」


 神獣が死んでから、もう2年が経っている。

 スズの魔力と干渉しあって、精霊の魔力が変質しているのかもしれない。


 クッキーを食べながら、セリーヌさんはスズの体を見続けている。

 魔力を診断するように真剣な顔をしている姿は、やっぱりただの子供ではない。

 2,000年もハイエルフとして生き続けているから、何か気付いてくれるといいんだけど。


「今は肉体的に安定しておるし、精霊の魔力を抜くべきじゃな。不足した魔力分を放置するのは危険じゃが、ちょうど男のハイエルフがおるからのぉ。魔力を注入すれば、暴走することもないじゃろう」


 ……ハイエルフの魔力を注入?

 その言葉を聞いて、反応するように僕のお尻に激痛が走った。


 待ってくれ、僕のお尻はまだ復活していない。

 右手の上にクッキーを出し続けているけど、左手はお尻に添えて漏らすようなスタイルで立ち続けている僕を見て、可哀想だと思わないのか?


 もちろん、普通はスズさんに叩かれるなんて、ご褒美に分類されることぐらいわかっている。


 でも、スズさんは高ランク冒険者で腕力が強い。

 子供のような体格をしたセリーヌさんとは、次元が違う痛みを伴うはず。

 お尻が腫れているような状態で受けるべきじゃない。


「わかった、どうすればいい?」


「お尻を叩くんじゃ」


 みんなの視線が僕のお尻に集まると、僕は反射的に両手でお尻を隠してしまう。


 その姿を見て、フィオナさんは思っただろう。

 正当な理由でお尻を叩けるなんて羨ましいと。

 私もヘキヘキにもらった魔力を抜いて、ハイエルフの魔力を注入したいと。


 そして、こうも思っただろう。

 叶わないのなら、せめてスパンキングのお手伝いがしたいと。


 こういう時のフィオナさんは行動力に満ち溢れている。

 マズいと思った時には、もう遅い。

 サッと動いて足払いをかけ、僕をこかして一瞬で四つん這いにしてきた。


「スズ、早く叩きましょう。タツヤさんのお尻の音を間近で聞きたいのです」


「わかった、すぐに叩く」


「ちょ、ちょっと待って! まだ精霊の魔力を抜いてないし、こっちにも心の準備が……」


「大丈夫なのじゃ。自然と精霊の魔力は押し出されて、ハイエルフの魔力に入れ替わるのじゃ」


 なんて都合のいい魔力交換システム!


 助けを求めようと四つん這いのまま振り返ると、リリアさんが酷く軽蔑するような顔をしていた。

 今までまともだと思っていた、フィオナさんの嬉々とした表情に引いてしまったんだろう。

 嫌悪感全開で僕達を見下ろしている。


 誰よりも息を荒げたフィオナさんがスズに催促を続けると、突然猛烈な痛みと共に、パァァァァァン! と、破裂音が響き渡った。

 その瞬間、僕は全く動けなくなってしまう。


 セリーヌさんのような儀式として叩かれるスパンキングではない。

 愛する者に叩かれるという、ラブスパンキング。

 即座に痛みが快感に変換され、体が勝手にお尻を突き出してしまう。


 セリーヌさんが「おちりー! おちりー!」と喜ぶ中、

 スズが「弾力がいい」と僕のお尻を褒めながら叩き、

 フィオナさんが「もう少し右も叩いてください」と謎の指示を送り、

 リリアさんが「こいつらクソだな」と蔑んでくる。


 そんな中、自らの過ちに反省するエステルさんは、頭を抱えて落ち込み続けていた。

 私はなんてことをしてしまったんだと。


 僕はなんてことをされているんだと思っているけど。

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