第76話:君の好きなクッキーだよ

 リリアさんの部屋に入ると、帽子をかぶったまま横になっていた。


 近付いて顔を覗いてみると、僕のように痩せている様子はない。

 いつものリリアさんが眠っているだけのように見える。


 これも回復魔法のおかげかもしれない。

 点滴も食事もしてないのに、体型が変わらないなんて不自然だ。


「治療はうまくいってるんですか?」


「回復魔法で出来る限りの治療はやってもらっている。俺も詳しくはわからないが、魔力を消費しすぎた副作用らしくてな。いつ目覚めるか全く予想がつかないらしい。明日目覚めるかもしれないし、1年後に目覚めるかもしれない。もしかしたら、それ以上かかるかもしれない。いつ起きてもおかしくない顔をしてるくせにな」


 余計なことを聞いちゃったかな。

 ちょっと空気がしんみりしてしまったよ。

 普通に寝ているように感じても、3週間も目覚めていないんだ。

 みんなどことなく元気がないもんね。


 僕はアイテムボックスからクッキーを取り出して、リリアさんの口元まで持っていく。

 魚みたいにパクッと食いつくかと思ったけど、何の反応もなかった。


「なぁ、顔に置いてみたらどうだ?」


 カイルさんのこの一言がダメだったんだ。

 どうしたら1番面白くなるか、という議論が男3人の間で始まってしまう。


 ほっぺたはチャーミングで口元はちょっと可愛い。

 鼻の穴の前に2つ置くのもなかなか良かったよ。

 でも、両目の上にクッキーを乗せるのが1番面白かったね。

 普段鋭い目をしているリリアさんが、丸いクッキーの目をして可愛かったんだ。


 ……シロップさんにめちゃくちゃ怒られたけど。


 いつも優しかったシロップさんが、恐ろしいほど怖かった。

 だって、「今は遊んでる場合じゃないよね」って、マジトーンだったからね。

 正論過ぎて、「はい、ごめんなさい」しか言えなかったよ。


 それでもカイルさんとザックさんが遊んでるから、シロップさんがボコボコにしているよ。

 絶対にシロップさんの前でふざけるのはやめよう。


 僕は反省をして、フィオナさんに3回だけ頭を撫でてもらった。

 それ以上は冷静な思考能力を奪われてしまうからね。

 当初の予定通り、クッキーを大興奮して作り始めていく。


 みんなクッキーを作るところは初めて見るらしく、ボコボコに殴られてた男2人も興味深そうに僕の作業を見ていた。

 匂いフェチであろうシロップさんは、クッキー生地にめっちゃ近付きながら匂いを嗅いでいるよ。


 もうわかっていると思うけど、シロップさんが前のめりになるもんだから、おっぱいが見えている。

 黄色とは予想外の色だったけどね。

 何の色かは言えないけど。


 シロップさんのおっぱいパワーで幸せになっていると、自然と周りの空気も和やかになっていた。

 少し時間が経つと、フィオナさんまでシロップさんと同じように香りを嗅ぎ始めたから、おっぱいが並んでて大興奮だったよ。

 ピンクと黄色のコラボレーションに、思わず大量にクッキー生地を準備してしまう。


 猛スピードでクッキーを作り出す僕に疑問を思ったフィオナさんは、途中でおっぱいを見られていることに気付いた。

 バッと急いでしゃがみ込んできたから、僕も急いでしゃがんで回避したよ。


 そこは見ようとしないでね、恥ずかしいんだから。


「クッキー生地ができたので、次はオーブンで焼いていきますよ」


 4つの魔石オーブンをアイテムボックスから取り出し、クッキー生地をオーブンの中に入れていく。

 焼き始めると、オーブンから熱気と共に、あま~い香りが部屋にあふれ出す。


 そういえば、スズもこの匂いに釣られて起きて来たことがあったっけ。

 同じクッキー仲間だから、本当に香りで起きてくれるといいんだけど。


 みんなクッキー作りに興味があったのか、オーブンで焼かれているところをジーっと眺めている。


「作っている時も良い匂いがしましたが、焼くと香りが広がりますね。ここまで良い匂いがするとは思いませんでした」


「良い匂いだね~」


「リリアも喜びそうだな」


 焼き始めてすぐ、部屋に良い香りが充満する。

 みんなチラチラとリリアさんの方を見てるけど起きる気配はない。


 1度焼き上がったので、もう1回クッキーを焼いていく。

 それでも、リリアさんが目覚める気配はない。

 もう充分にクッキーの香りが充満しているだけに、何も変化がないのは寂しい。


 バンッ


 逆に釣れたのは、クッキー仲間のスズだった。

 勢いよく扉を開け、ダッシュでオーブンの前に向かって体育座りをした。

 その表情はすでにだらけきっている。


「いい匂い、和む」


 君の行動の方が和むよ。


「リリアちゃん反応しないね~。みんなでクッキー食べてみようか~。ずっと女子会してたし~」


 シロップさんの一言で、急遽お茶会が開催することになった。

 いつも食べていないカイルさんとザックさんもガツガツ食べている。

 どうやらお腹が空いてたみたいだ。


「カイルさんとザックは、甘いもの嫌いじゃないんですか? いつもクッキーとかプリンとか食べないですけど」


「俺たちは甘いものより肉が食いたいだけだな。甘いものが嫌いってわけじゃない。ザックなんか豚汁を食べ始めてから、酒すら飲まなくなったからな」


 酒の代わりに豚汁って初めて聞いたよ。

 健康にはそっちの方がいいんだろうけどさ。


「俺は酒なんて飲めないが、なんとなくこいつの気持ちはわかるぞ。豚汁を1杯でも多くおかわりするために、酒を飲まなくなったんだろう」


 カイルさんの言葉にザックさんがうなずく。


 アルコール依存症を豚汁で改善できるのは、この世界の住人ぐらいだろう。

 今度は豚汁依存症になるけどね。

 脂質の取り過ぎには注意しy……いや、君らはそもそも食べ過ぎだよ。


 そのままお茶会をしていると、シロップさんがリリアさんの様子を見に行ってくれた。


「ねぇ~、リリアちゃんの口って開いてた~?」


 その言葉に全員が首を傾げていた。


 開いてた気もするようなしないような……。

 でも、口が開いてたらクッキーを突っ込んでいる気がするんだよね。

 顔に乗せて遊んでたくらいだもん。


 みんな同じことを考えたのか、一斉にリリアさんの方へ向かっていく。


 確かにリリアさんの口が、2cmほど開いている。

 みんなで顔を合わせて、確認をする。

 もう誰も迷うことはない。


「おい、クッキー突っ込まねぇか」


「クッキー入れるべき」


「食べそうだよね~」


「入れてみましょう」


 ザックさんもうなずいている。


 僕はクッキーを1枚取り出して、リリアさんの口の中に入れてみる。

 すると、口が閉じてクッキーを食べ始めた。


 もぐもぐもぐもぐ。


 ゴクリッと飲み込むと、おかわりを欲するように口が開く。


「おい、リリア! 起きてるのか!」


「 ……… 」


 カイルさんが声をかけても、体を揺すっても全く反応がない。

 ただポカンと口が開いているだけ。

 きっと無意識でクッキーを食べているんだろう。


 もう1度クッキーを入れてみる。


 もぐもぐもぐもぐ。

 また口が開く。


 その時、僕は閃いた。

 クッキーのどさくさに紛れて、雑炊を突っ込もうと。

 雑炊の効果で治癒すれば、目を覚ますかもしれない。


「シロップさん、少しずつクッキー突っ込んでてもらえませんか? お腹がいっぱいにならないように与えすぎないでください。今から雑炊を作りますから」


「は~い」


 シロップさんにクッキーを預け、早速雑炊を作り出す。

 昨日作った時にご飯を多めに炊いていたから、10分もあれば作れるだろう。


「なんで雑炊なんだ? クッキーを食べてるし、プリンの方がいいんじゃないか?」


「以前、風邪を引いた人に雑炊を作った経験があるんです。その人がすごい勢いで食べ始めて、食べ終わったら完治したんですよ。昨日僕も実験して、ステータス異常の衰弱(中)が雑炊で回復しました。リリアさんがどんなステータス異常かわからないですけど、食べさせたら治るかもしれません。クッキーで口を開けさせて、雑炊を突っ込みましょう」


 誰も僕の言葉を疑う者はいない。

 普通に考えたら、怒られる話だろう。

 目を覚まさない人に無理やり雑炊を食べさせるなんて、正直頭がおかしい。


 でも、みんなの意見は満場一致で賛成だった。

 藁にもすがるような思いで、リリアさんに目覚めてほしかったから。


 思っていたように、10分ほどで雑炊が完成する。

 熱々だから、そのまま食べさせることはできない。

 できるだけ冷ました後、リリアさんの口へ運んでいく。


 そこにいたみんなが願った。

 ちゃんと食べて目覚めてほしいと。


 もぐもぐもぐもぐ ごくんっ


 リリアさんはしっかり雑炊を食べて飲み込んでくれた。

 そこまではよかった。

 でも、今度は口を開かなくなってしまった。


 シロップさんが体を揺すっても、声をかけても起きないし、口も全く開かない。


 回復効果はあったとしても、たった一口では効果が薄いんだろう。

 寝たきりなんだから、無理矢理口に入れてしまうと喉に詰まらせるかもしれない。

 あくまでクッキーだと思ったから、食べてくれたんだと思う。


 雑炊作戦は失敗してしまった。

 多少起きる時間は早くなるかもしれないけど、落胆する気持ちの方が大きい。



 期待していただけに重い空気が流れてしまう。



 そこにスズがクッキーを1枚持って、リリアさんの鼻に近付ける。

 口が開いた。


 あっ、雑炊入れよう。


 もぐもぐ。クッキーを近づける。口が開く。雑炊入れる。

 もぐもぐ。クッキーを近づける。口が開く。雑炊入れる。

 もぐもぐ。クッキーを近づける。口が開く。雑炊入れる。

 もぐもぐ。クッキーを近づける。口が開く。雑炊入れる。


 寝たきりの病人にクッキーで誘惑して雑炊をぶち込むという、世にも不思議な治療行為が行われていく。


 見守る人たちの顔は険しい。

 複雑な心境でいっぱいなんだろう。


 みんな無言で過ごしているのは、僕達にかける言葉が見つからないんだと思う。

 そんな中、真剣な顔でクッキーを近づけてくれるスズのフォローには感謝したい。


 その時だった。


「クッキー、希望」


 リリアさんがしゃべった。

 目を閉じたまま声を出し、クッキーを要求してきた。


 ごめんね、雑炊ばっかり突っ込んで。


「リリア? 起きたのか?」


 カイルさんが体を揺すっても反応はない。

 どうやらまだ起きていないようだ。

 無意識にクッキーを希望したのかもしれない。


 スズがクッキーを近づけると、また口が開いた。

 雑炊を入れてあげる。


「クッキー、希望」


 雑炊を入れる。


「クッキー、希望」


 雑炊を入れる。


「クッキー、希望」


 雑炊を入れる。



 すると、リリアさんの目がギンッと開き、鼻に近づけていたクッキーを食べ始めた。


「リリアちゃん、起きたんだね……」


 ようやく目を覚ましたリリアさんに、シロップさんは泣きついた。

 子供のように「リリアちゃ~ん」と、何度も名前を呼んで泣いている。

 カイルさんとザックさんは、リリアさんに背を向けて体を震わせていた。


 リリアさんは泣きつくシロップさんの頭を撫でながら、もう片方の手でクッキーを要求してくる。


「クッキーはたくさんありますけど、先に残っている雑炊を食べてください。体の調子が良くなりますから」


「……了解」


 きっと起きたばかりで、まだ状況がつかめないんだろう。

 それでも、残っていた雑炊を渡すとゆっくり食べ始めてくれた。

 泣いて喜ぶシロップさんにクッキーを預け、不死鳥フェニックスを残して退室する。


 あの3人はずっと彼女が起きることを待って、昼夜問わず毎日看病していたんだ。

 僕達は席を外すべきだろう。

 色々話したいことだってあると思うから。


 僕達はその足で、国王の元へ向かった。

 リリアさんが目覚めたことを報告すると、号泣するほど喜んでいた。


 国を守るために身を犠牲にしてくれた彼女に、国王も心を痛めていたんだろう。

 近くにいた王妃様は国王をなだめつつも、1粒の涙をこぼしていた。



- 30分後 -



 僕達は部屋に戻って、3人でお祝いのプリンを食べることにした。

 プリンの嬉しい副作用は、食べると癒されすぎて、だらしない笑顔が見れることだ。

 そのだらしない笑顔を見て、僕はだらしなくニヤニヤしてしまうよ。


 ガチャッ


 いきなり扉が開いたので振り返ると、手を差し出してくるリリアさんがいた。

 その隣で、シロップさんも嬉しそうな顔でプリンを要求してくる。

 僕はとりあえず、プリンとスプーンを2人に手渡す。


 感動の再会でしばらくこっちに来ないと思ってたのに、なぜ早くもデザートを要求してくるんだ。


「カイルさんとザックさんはいいんですか?」


「討伐済み」


 ……え?!


「2人がずっとからかうから~、怒ったリリアちゃんが倒しちゃったよ~」


 あの2人はシロップさんにボコボコにされたばっかりなのに。

 ザックさんなんてしゃべれないのに、どうやってからかったんだろうか。


 プリンでだらしなく微笑むリリアさんに、クッキーも置いてあげる。

 すると、スズとリリアさんのクッキー争奪戦が始まってしまった。

 2人とも豪快に両手で食べ進め、出しておいたクッキーがあっという間になくなってしまう。


「「 クッキー 」」


 一緒に無表情で注文しないでほしいと思いながら、もう1度クッキーを置いてあげる。

 また、2人でガツガツとクッキーを食べ始めていく。

 これがクッキー仲間同士の祝い方なのかもしれない。


 この後、同じことを5回も繰り返す2人を僕達はずっと眺めていた。

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