第47話 対話へ

 ヒルマは明らかに怒っていた。ユサを守るように自分に引き寄せ、アキを睨みつける。


「お前何者だ? 勝手にユサに触るんじゃない」


 アキが突然現れたヒルマを見上げる。糸目でよく分からないが、もしかしたら睨み返しているのかもしれなかった。


「貴方こそ誰です? どうもユサの周りをうろちょろとしている様ですが」


 アキは立ち上がると服の後ろをパンパン、とはたいた。ヒルマは偉そうにアキを見下ろした。


「俺はユサの旦那だよ。分かるか? だ、ん、な。俺達は夫婦。なあユサ」


 まあそういう設定になってはいる。それに否定するとヒルマもアキもどっちも面倒くさそうだったので、ここはとりあえず肯定しておくことにした。


「あ、ああ。そう、俺達は夫婦なんだ」


 ヒルマに守られてると理解した途端涙は引っ込んだ。出てしまった涙もヒルマの服に吸い取られてもうなくなった。

 アキが驚愕の表情になった。


「何でこんな適当そうな金も持っていなさそうな男と……!」

「今見た目だけで判断したよね」


 ヒルマが言ったが、アキは無視した。


「ユサ、貴女は私とのことがショックでこんな粗野な男と?」

「粗野って酷くない?」


 ぶつぶつとヒルマがユサに同意を求めた。まあ身奇麗ではないし全体的に雰囲気も緩いし中身もかなり適当なので、アキの観察眼はまあまあ正しい。


「否定出来ない」

「いやそこは否定してよ」

「仕方ないだろ、お前何でも雑じゃないか」

「俺の細やかな性格を分かってないなユサ」

「今までどこにそんな要素があったよ」

「えーと」

「……貴方達、話聞いてます?」


 アキが我慢できず会話に割って入ってきた。ヒルマが思い出した様にユサに尋ねてきた。


「あの男とのことがショックって、どういうこと?」

「ああ、あいつ俺が殺したと思ってた奴なんだ。生きてた」

「ユサを裏切った紅国こうこくのクソ野郎か! そんなのが何で墨国ぼくこくに居るんだよ」

「知らねえよ」

「……皇子に同行して来てるんですよ」


 アキが半ば呆れた様子で答えた。


 その言葉の意味を理解した途端、ユサの頭の中が真っ白になった。


「あいつが……来てる?」


 アキが頷く。


「ユサもご存知の通り、紅国こうこく墨国ぼくこくは経済協定を結ぶ程の深い繋がりを持つ国同士ですからね。皇子ももう成人を迎えられていますから、ここ最近は大使として国外へと赴く機会も増えました」

「ユサ、行こう。聞きたくないことは聞かなくていい」


 顔色が白くなったユサを見て、ヒルマが心配そうに声をかけてきた。アキが少し悔しそうに、諦観を漂わせつつ言った。


「ユサ、貴女は私のこともその男に話しているんですね。――この後、おふたり共お時間をいただけますか? 少し話がしたい」

「ユサ行こう」


 ヒルマがユサの肩を押すが、ユサは踏み留まった。


「ユサ」


 ヒルマが眉を顰める。ユサは小声でヒルマだけに聞こえるように話す。


「ヒルマ、この階と、上にもうひとつあるんだ。こいつなら部屋の中まできっと入れる」

「でも」


 ヒルマは不服そうだ。自分の欠けたものなのに、ユサを優先しようとする。考えなしで、底抜けに馬鹿なのだ。


 ユサは安心させる様に笑ってみせた。


「だってお前は俺の命を預かってるんだろ? 守ってくれるんだろ?」

「そりゃそうだけど。ユサが嫌な思いするのは嫌だし」


 まだごねている。仕方ない。ユサは口に出した。


「一緒に台所に並んでイカを捌くんだろ?」

「……勿論だ」


 よし、釣られた。ユサはアキを振り返った。


「一度下に降りないといけない。その後で合流でいいか?」

「勿論です。その格好で彷徨うろつかれてもこちらも困りますし」

「じゃあ玄関口の所で待っててくれ」

「分かりました。では後程」


 そう言うとアキは口の端に流れる血を手の甲でぐいっと拭うと、くるっと背を向けて立ち去って行った。


 ヒルマがユサの口に付いた血を親指で拭い、自分の服の裾に擦り付けた。


「嫉妬ってこういう気持ちなんだな」


 ポツリと言うが、ユサは何と返答すればいいのか分からず黙った。


 そんなユサを見て何を思ったか、ヒルマがユサに笑いかけた。


「ユサが班の奴らと一緒にいなかったから慌てて飛んできたんだぞ。もう給金配ってる頃かもしれん」

「じゃあ急がないと」


 労働分はしっかりともらわないと働き損だ。


 ヒルマは辺りに人気がないことを確認すると、ひょいとユサを抱き上げた。


「しっかり捕まってろ。走るぞ」


 金は欲しい。ユサは頷くと首にしがみついた。ヒルマが一気に走り出す。揺れを最小限に抑える為に更にしがみついた。


 汗ばんだヒルマの首が温かくて、それが少し安心出来た。







 給金は最後の方だったが無事受け取ることが出来た。


「ユサどこ行ってたのよもう。じゃあまた明日ね」


 更衣室で先に着替え終わったメイが手を振って先に出て行った。ミラはもうとっくに帰宅してしまった様で挨拶すら出来なかった。


 更衣室を出た所でヒルマと落ち合う。髪は後ろでひとつに結んだままだった。


 部屋の外に出てキョロキョロすると、城側の方の硝子扉の前にアキがピシッと立っていた。ふたりに気付くと後ろを向いて城の中へと入って行く。着いてこいということだろう。


 ヒルマがユサの腰に手を回す。


「おい」

「どこか触れてないといなくなりそうで怖い」

「お前は乙女かよ」

「もう乙女でいいよ」


 とりつく島もない。ユサは小さく溜息をついた。まあ夫婦の設定だ。しかも先程アキにキスをされてしまったことをヒルマは気にしている様子なので諸々諦めた。


 ふたりをチラリと振り返ったアキのこめかみがピク、と動いた様な気がしたが、こちらこそユサの知ったことではない。こいつは過去そのものなのだから。


「先程の階に行きましょう。あそこが一番人が少ないので」


 他国の城の内部もよく把握しているらしい。元々アキは側近としてとても重宝されていた。皇子の命令とはいえ寵姫に手を出して、その寵姫に刺されてもまだ皇子の側に置かれているということは、それだけ優秀で国としても手放したくないのだろう。


 まあ簡単に言ってしまえばヒルマと正反対の頭脳派タイプの人間だ。


 3人は無言で上の階へと登って行く。正面の人通りの多い豪華な階段ではなく、従業員が使う奥の狭い階段を行く。人目につかない為だろう。


 ヒルマが腕で支えてくれているので何とか登れているが、階段をひたすら登るのは一日の労働後には厳しかった。自然と息が上がる。ヒルマが耳元で囁いた。


「抱っこする?」

「しねえよ」


 ヒルマの唇が不服そうに尖った。ヒルマはすぐ調子に乗るのだ。時折きっちり釘を刺さないとどんどん調子に乗るのが目に見えていた。


 ようやく6階に着いた。


「こちらへ。中に談話室があります」


 アキが書庫へと続くドアを開けた。受付だろう、中に座っている男に軽く手を上げた。向こうもアキのことを知っているのか、深々とお辞儀をした。


 光はこの先から差している。やはりアキがいないと通れなかった。何としてでも出るまでに見つけたかった。


「この中だ」


 ユサが小声でヒルマに教えた。ヒルマも目線だけで返答した。ようやく合図だけで会話が通じる様になってきた。多分。


 図書室だろうか、本棚が立ち並ぶ広い部屋に出た。部屋の端を沿う様に進むと、やがて先程アキが言っていた談話室なのだろう、小部屋がいくつも並んでいる場所に辿り着いた。光は通り過ぎた本棚の方から差していた。本の中のどれかなのか。


 ユサの目線に気付いたのだろう、ヒルマも本棚の方を見た。ユサと目が合い小さく頷いた。


 アキが談話室のひとつの中に入って行った。その後をヒルマ、ユサの順に続く。中はこじんまりとしていて、テーブルに椅子が4脚あるだけの部屋だった。


「座りましょうか」


 そう言うとアキは先に座った。ユサはドアを閉じると、アキの対面に座ったヒルマの隣に座った。


「で、話って何なんだ?」


 愛想のあの字もない態度でヒルマが切り出した。


 アキが答える。


「皇子についてです」


 ユサは思わずびくっと反応してしまった。あいつだけはどうしても怖い。ヒルマといる間に大分男への恐怖心はなくなってきたが、あれだけは別物だった。


 ヒルマがユサの肩を抱いて引き寄せた。アキの目線が肩を掴むヒルマの手に注がれる。


「皇子はまだ貴女を諦めていません」


 アキが死刑を宣告する様な雰囲気でそう言った。

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