碧のアクシア

たて あきお

第1話 序章



 火星暦 2103年。


 この日、五歳の誕生日を翌日に控えたジーナ・ヴォルコフは、始めて袖を通したワンピースをばたつかせながら興奮していた。

 小さく区切られた宇宙船の窓にじっとかじりつき、外の景色を見ながら出発を今か今かと心待ちにしている。彼女の乗る宇宙船は満員の様で、駆け込んできた乗客が着席しようと船内を慌ただしく往来している。隣に座る父親のマクシミリアン・ヴォルコフは窓側を占領して離さない愛娘へにこやかに問いかけた。


「ジーナ、何か面白いものでも見つけたのかい?」

「ん〜ん、なにもないよ」

「そうか? 何も無いのか。その割には随分と楽しそうだね」


 何も無いは彼女の常套句であり、真に受けてては先に進めない事などマクシミリアンには分かりきっていた。


「パパ、あたらしいおうちは、おにわにでてもいいんだよね?」


「ああ、好きなだけ走り回っても良いぞ」


「おはなもいっぱい、い〜っぱいさいてるんだよね?」


「いっぱい咲いているかは解らないが、ママと一緒にお花で一杯にすると良い」


「うん」


 そんな二人のやり取りを、父親の向かいに座った母親が優しい笑顔で見詰めている。そしてソワソワ落ち着かない娘に釘を刺すことも忘れない。


「うふふ。でもジーナ、ちゃんとママのお手伝いをしないと駄目よ。ジーナが良い子で頑張ってくれたらお花の種をいっぱい買ってあげる」


「うん、がんばる」



 ────『間もなく当機は【ヴィーナスポート】へ向けて出発致します。ご搭乗のお客様は着席の上シートベルトを着用してください。

 業務連絡、搭乗員はセレクターレバーをアームドへ移行してください。再度、お客様の確認をお願いします。

 続いて避難口についてご案内申し上げ………』────




 機内アナウンスと共に扉が閉められ機密が上がったのであろう、船内の物音の響き方が変わった。腹の底から響き渡る振動と、エンジンの野太い重低音が客室の緊張感を釣り上げていく。ポーン・ポーン・ポーン・ポーンと離陸一分前を告げる4チャイムが鳴った。これは旅客機を運航していた頃の航空会社の名残だ。



「いよいよ出発か……」


 何年も待って、やっと移民船団の搭乗チケットを確保出来た父親が誇らしげに笑う。


「ほらジーナ、地球とはそろそろバイバイだよ」

「バイバ~イ。ねぇ、はやくかせいにつかないかな?」

「焦ることはないさ。あっという間だよ」


 家族の乗った船が、他の移民船団と共に轟音を響かせ宇宙へと舞い上がって行った。



 ◇◆◇



 時は、遡ること50年余り。


 地球暦 2053年8月15日


 人口増加に端を発する食料問題と地球温暖化、そして度重なる環境汚染で地球は手の施しようがない死の惑星へと変わりつつあった。


 森林は切り倒され粗末な畑作地帯へと変わり、汚れた水により満足な収穫さえ望めない。頼みの綱の日光にいたっては、大気汚染により日射量に陰りが見えていた。


 仮に風雨により大気が浄化されても、待っているのは暖かい陽射しではない。呼吸困難を引き起こす程の激しい咳や、強烈な眼の疾患をもたらす光化学オキシダント、殺人的な紫外線を浴びれば軽度の火傷と水膨れ、皮膚癌の発症も避けられなかった。

 そして有害なダストを含む灰色の酸性雨は、飲料水はおろか緑の大地をも枯らす死の水であり、人類を蝕むのに充分であった。


 そんな世界を憂いてだろうか。

 日本に在住していた老紳士・オフ・ミッター卿が、世界最高齢となった誕生日のこの日、世界を震撼させる大事件を起こす。

 ギネス新記録を祝したテレビの取材陣の前で、自分は遥か昔に地球を訪れた宇宙人の生き残りであると明かしたのだ。


 最初は誰もがまともに取り合おうとしなかった。家族はとうとう痴呆症が発症してしまったかと困惑した表情をみせる。取材陣も、たまには変わった取材で撮り高が稼げるかもと面白半分に話を合わせる。


 しかし取材が進むにつれ、場がざわつき始めた。与太話にしては出来すぎている内容に、老人が提示した証拠の資料の数々。更に関係者を驚かせたのは、富士の樹海に隠されたオーパーツの存在を語ったことだった。


 最後に彼は「もう生きるのは疲れた、そのオーパーツはくれてやるからワシを後世まで崇めよ」と語ると、ベッドに横になって眠るようにその生涯を閉じた。享年百二十五歳。


 取材のさなかに死亡するというショッキングな話題性と、連日繰り広げられる有識者の仮説に世間も大いに盛り上がった。そしてそのムーブメントは留まることを知らず、国連規模の調査団が組織された。


 やがて卿の遺言通り、惑星のテラフォーミングを可能とさせるオーパーツが発見される。



 人類は新たな惑星への移住計画にわいた。各国が競うように研究開発に取組んで、幾つかの惑星にてテラフォーミングの実現に目処がついた。


 その中で最初に火星がテラフォーミングを実行し成功、移住可能な状態にまで到達した。


 ここで人々を呆れさせたのは、有力な経営者や権力者達。いざ受け入れが始まるや否や…… 彼等は逃げるように、先を競って地球を後にしたという。

 それらを庶民は白い目で嘲笑いつつ…… 抽選で選ばれた者達から、大規模な移民船団に乗り未知の新天地へと旅立って行った。




 あれから半世紀……


 テラフォーミングによって莫大な量の氷河を溶かし、地表面を覆う水と、空気を含んだ大気を得る事に成功した火星。


 その青みがかった火星を見た人類は………


 ”あお惑星ほし”と呼んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る