テレキャスターと普通少女
水卜みう🐤
第1話 テレキャスターと原付バイク
端的に彼女を表せと言われたら、大半の人は『普通』と表現するだろう。とりたてて優秀でもないけれど、皆には『いい子』と言われる。輝かしい存在とは言えないし、でも影に隠れるには明る過ぎる。友達も多くはないが、かと言って少なくもない。色で例えるならネイビー、どこにでもありふれたそんな存在。そんな『普通』の女の子。
秋田県大館市。県の北部に位置し、青森県との県境にある田舎町。かつては『黒鉱』と呼ばれる複雑硫化鉱物が多量に産出され、鉱山の街として栄えていた。閉山した今となっては産業としての役割は残っていないが、街の随所にその面影が見て取れる。
彼女はその街の小高い丘の上にある県立高校に通う一年生。名前は
そんな『普通』な少女が今日は珍しく遅刻をしてしまった。いつも六時半に鳴るはずの目覚まし時計は、深夜にマンガン電池からのエネルギー供給が絶えて事切れていたのだ。慌てて朝食を摂ることさえ省いてしまった楓は、すぐに着替えて自転車に跨り学校へと向かったのだが、残念ながらタイムオーバーとなってしまった。しかも運悪く、今日は生徒指導の先生が校門で張り込んでいたのだ。
「放課後、職員室に来るように」
普段から何も問題など起こすことなく真面目に生活していた楓にとって、その言葉はまるで重罪の判決のように聞こえた。ただ一回のうっかりミスではあるが、真面目ゆえに『学校には遅刻してはならない』というべき思考に囚われていたのである。初遅刻ですっかり肩を落としてしまった楓は、仕方なく授業の始まっている自分のクラスへトボトボ向かい始めようとした。
その時、楓の背後からは原付バイクの軽いエンジン音が近づいてきた。
「おい!またお前か!今月に入って3回目じゃないか!」
原付バイクの主は激昂する生徒指導の先生の前で止まり、ヘルメットを取ってエンジンを切った。その原付バイクの女子生徒のことは楓も知っている。と言うより、この学校で彼女のことを知らない人はまずいないだろう。
「ごめんなさーい、朝飯が美味くて遅刻しましたー」
なんともすっとぼけた理由を軽く言い放つ彼女の名は
そんな渚の姿を見て呆気に取られた楓だった。遅刻者が自分ひとりではないということに少し安心したのだが、渚の素行不良はずば抜けた成績のおかげで相殺されているということもあるため、それでも楓の遅刻に対する自責の念が晴れるということにはならなかった。
「遅刻もそうだが、うちの学校は許可がなければ原付バイクでの登校は禁止だ。――しかも何だそのバッグは、そいつはギターケースじゃないか」
「そりゃそうだろ、ギターをギターケースに入れて何が悪いんだ?」
「そんな話はしていない。――教科書とか、参考書はどうした」
「そんなもん、ロッカーに置きっぱなしに決まってるだろ」
生徒指導の先生は呆れて頭を抱えた。本当にお前は学校に何をしに来ているんだと怒鳴りたそうな雰囲気であるが、渚に強く言ったところで暖簾に腕押しだと言うことは先生の経験上自明なのだろう。
「――いいか?お前ら二人、放課後職員室に来なさい。分かったな?」
渚は生返事を返すと、しばらく間を置いて「えっ?二人?」という不思議な顔をして楓の方を見た。
「なーんだ、今日は私だけじゃないのか」
そう言って、彼女はまたヘルメットを被りエンジンをかけ、駐輪場へ原付バイクを転がしていった。楓はその姿を呆然と見届けていたことに気づくと、小走りで教室に向かったのだった。
放課後、生徒指導の先生に言われた通り職員室に向かった楓は、その入口扉の前で立ち尽くしていた。小学校、中学校と、悪いことをして職員室に呼び出されたことがなかった楓は、その扉からとてつもない重圧を感じていた。しかも、高校生になってから職員室へ来るのは初めてだ。この扉を開けたらどんなことを言われ、どんな仕打ちを受けるのだろうかと罪の意識が余計に強調されていく。
「よう、今朝の遅刻魔さんじゃん。……何してんの?」
それはお前もだろ、とツッコミを入れた先には渚が立っていた。渚は職員室前で何も出来ずに突っ立っている楓を見て不思議そうに首を傾げる。
「職員室……、初めて入るから緊張しちゃって」
「なんだよそんなことかよ。大丈夫大丈夫、こういうのはササッと入ってチャチャッと叱られて帰ってくりゃいーの。行こう」
渚は楓の手を取って職員室の扉を開け、身体に染み付いたような慣れた動きで生徒指導の先生の前に楓を連れて行った。
「おう、来たか。――まずはそっちの初犯の方から」
『初犯』と呼ばれてしまった楓は背筋を伸ばし、先生の方を見た。あまりに緊張していたせいもあって、先生から何を言われたのかはあまり覚えていない。おそらく、次回は気をつけろ的な事だろう。
「――よし、そんじゃ次、『常習犯』」
『常習犯』と呼ばれた渚はヘラヘラしながら先生の言葉を受け流していた。このメンタルの強さが楓には羨ましい。そして楓のときよりも三倍くらい時間をかけた説教が終わると、ようやく二人は職員室の重い空気から開放された。
「いやー、いつにも増して長かったなー、斉藤の話」
「あの先生、斉藤っていうんだ」
「なーんだ知らないのか?生徒指導の斉藤、お説教も長ければ、担当の倫理の授業でも話が長ったらしい事で有名なだぞ」
本当なら学生生活の間、楓にとって斉藤の名前は知っておきたくない名前だったし、斎藤に名前を知られたくもなかった。渚はもはや友達のように斉藤のことを軽くあしらっていたけれども、それができない楓はまともに斉藤の話を聞いていたら心が折れていたかもしれない。
「よーし、お説教も済んだし憂さ晴らしに遊ぼうぜ。あんたも来なよ」
「えっ?あっ……、うん……」
学校イチの素行不良に遊びに誘われるとは思っていなかった楓は、思わず承諾してしまった。というよりもしこの誘いを断ってしまったら、これからこの不良少女に何をされるのかわからないというやんわりとした恐怖感もあった。
「大丈夫大丈夫、別にまた斉藤に怒られるようなことはしねーよ。――ついてきなよ」
言われるがままに楓は渚についていくと、校舎裏にある旧部室棟にたどり着いた。ここは昔、運動部が使っていた部室棟であるが、数年前に新しい部室棟が完成したので、空き部屋が文化部に譲渡されたのだ。
「軽音楽部……?」
「そう、ここが私の巣みたいなとこ。部員も実質私だけだから思う存分遊べる最高の部屋さ」
軽音楽部という看板が掲げられていたその部屋は鉄筋コンクリート造りの六畳間で、日当たりが悪く、まだ日が出ているのに独特な暗さがあった。
「ギターは弾いたことある?」
「ない。全然ない」
渚は楓に問うが、その返答の如何に関わらず、部屋の壁に立てかけられていたギターケースのチャックを開けた。そのギターケースはもちろん、今朝渚が背負っていたものだ。
「じゃーん!どうよ、Fender USAのテレキャスターだぞ?いいだろー」
どうよと言われても、ギターのことを何も知らない楓には上手なリアクションを取ることなど不可能だった。少なくとも、このギターがエレキギターであるということぐらいしか楓には分からない。渚は黒地に白いピックガードがついたメイプル指板のテレキャスターを見せびらかしたあと、スタンドに置き、シールドでギターとアンプを繋いだ。
「親父のギターをこっそり借りてきたんだ。鳴らしてみたくてしょうがなかったんだよね」
渚がウキウキでアンプのスイッチを入れ、音量のつまみを時計回りに少しひねると、スピーカーからは増幅された弦の振動が鳴り始めた。テレキャスターのビックアップセレクターをセンターポジションにすると、特徴のあるジャキジャキとした歯切れのいいサウンドが響き渡る。初めてエレキギターの出音を感じた楓は、その音の大きさに一瞬怯んだ。普段テレビから流れてくる音楽や、スマホアプリで聴き流す音楽と違って、その音は生々しく、まるで生きているかのようなそんな気さえした。
「どう?弾いてみる?」
「で、でも私、ギターなんて……」
「簡単なコードを教えてやるから。それをかき鳴らすだけでもいい」
言われるがままに楓はテレキャスターを担がせてもらい、渚から簡単なコードを教えてもらった。コードというのは和音のこと。六本あるギターの弦を、フレットと呼ばれる指板に付いた音程を弦に与える金属棒の手前で押さえる。この押さえるポジションの組み合わせでギターは様々なコードを奏でることができる。楓は渚の言われるがままに人差し指で三弦の一フレット、中指で五弦の二フレット、薬指で四弦の二フレットを押さえた。要領が掴めないせいでかなり無理に押さえていて手が痛い。この左手が限界を迎える前に、楓は右手で握ったおにぎり型のピックで六本の弦を思いっきりかき鳴らした。
『普通』に呪われた楓が人生で初めて鳴らしたそのEメジャーのコードは、まるで呪いを解いていく魔法のようで、脳天を突き刺す刺激的な音だった。
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