第69話
最初に感じたのは、異臭だった。
「何? このにおい」
玄関を開けて、嗅いだことのない匂いが鼻腔へ飛び込んでくる。思わず鼻をつまみ、口で息をする。それでも臭いは感じてしまうが、いくらかマシだった。
毒か?! 一瞬疑ったが、そうではないようだ。蛇の時から感覚は鋭いから、人間であれば問題にもならない程度だろう。体積の大きい人間には、身体にすぐ異常の出るようなものではないだろう。
「ソージ君! いるー?」
「いますよー!」
いつもと変わらない返事だった。他人の家の匂いだからだろうか。ソージ君といる時に変な匂いがするとは思ったことがないので、それで慣れない匂いなのかと思った。
「ちょっと待ってくださいね。まだ食事中なので」
これ幸いに、おじゃましまーすと言って勝手に入った。
え? ちょっと、という戸惑いの声を無視してソージ君の声の元に行く。
えらい美人が、ソージ君の向かいにいた。
血は争えず、美しい金糸の髪に白い肌。細い一重の目が、少し困ったようにやや垂れている。ソージ君並みに痩せているが、薄幸の美女という言葉がよく似合う。
「あら? あなたが噂の、新しいお友達?」
驚いた顔のあと笑って、淡いピンクの唇が動いた。声はきれいだがか細く、普通のことを言っているのに儚い。
体が弱いというのは聞いていたけれど、こんな美人だとは聞いていなかった。
「突然お邪魔してすみません。ヒジカの家でお世話になってる蛇です」
「よくいらっしゃ」
言葉はコホ、コホという咳で途切れた。
「大丈夫ですか姉さん! 食器は片付けておくから、布団に戻って」
「え。ええ、お友達と仲良くね」
お姉さんは僕にも、ゆっくりしていってと残して、背を支えるソージ君に押されて、奥へと去っていった。
体が弱い姉をかばって、僕を突然には入れたくなかったのかもしれない。そう考えると申し訳なくなった。
そう思って目を伏せると、食卓の上に皿。それに乗っているのは、謎の黒い物体だった。
「……何これ?」
「姉さんは小さい頃から病弱で、でも、ずっとボクを育ててくれたんです。姉さんはヒジカさんと同じ年だったから、体の調子が良い時は一緒に遊んでいたらしいですよ」
そう言って、ソージ君は困ったように笑った。お姉さんに聞こえないよう、家の外に出た。村の柵に二人で腰かけている。
「……うん」
「村のみんなが優しかったから、あの頃はまだ少なかった食べ物も分けてもらって」
「うん」
「だから今、狩った獣の余った分をみんなに返せてるのが、嬉しいんです。姉さんは家事の時だけ起き上がって、家のことをずっとしてくれています」
「うん」
ソージ君は、空を見上げるように首を上げて、軽く笑う。痩せすぎて、顎から頬から、皮膚が骨に張り付けただけのように見える。
「だからか、村のみんなはあまり食事時はうちに来ないんです。姉さんの負担にならないように、ボクが姉さんへ孝行できるように」
「……うん」
ソージ君は柵から腰を上げた。僕に向き直る。少し前まで皿の上にあった謎の黒い物体を、少しだけかじる。
「それでも、今日は久しぶりに人と会えて嬉しそうでした。いきなり入って来て何だと思ったけど、ありがとうございました」
僕も柵から腰を上げて、ソージ君に体を向けた。
「それだぁぁぁあああ!」
「だくまた!」
はっ! 思いっきり顔を殴ってしまった。ソージ君は謎のうめき声を上げて倒れている。ごめん。
「何そのダークマター? 毒かと思ったよ!」
狩って二人に配分したものは、トージス家とコドム家に比べれば少なかったものの、二人にしては多いものだった。
どうやれば馬の肉が謎のカリカリした黒いモノになるんだ。
ガリガリのソージ君は失神していたので、引きずってトージス家に連れて帰った。手間だがお願いすれば、お母さんは昼食をもう一つ作ってくれるだろう。
その日、薄幸の美女ミィ・オキが稀代の料理音痴だということが判明し、オキ家の二人はトージス家の食事を食べるようになった。二人はそれまで嫌いだった食事が素晴らしいものだということを、いまさら知った。
今まで二人そろって食事は辛いものだと思っていたらしい。異臭のするそれを、興味本位で一口齧ってみたら
スキル《毒作成LV1》を獲得しました!
……ソージ君の虚弱もお姉さんの病状も、きっとよくなるだろう。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます