第55話 彼の名はヒジカ・トージス(前)





……イ、大丈夫カ? オーイ」


 声が聞こえる。えっと……? 【邪神】に会って、からかって……?


 どうなった?


 誰かの声が聞こえる。体中が痛い。あの邪神ヤロウ結構な力で投げやがった。


 眼を開くと、水色の服を着た犬耳男が僕を押し倒していた。


「わっ! 誰!?」


 僕が驚いて上体を起こすと、犬耳男は背を逸らしてぶつからないよう避けた。


 へぇ、反応が良い。


「気付イタカ。ヨカッタ」


 犬耳……、いや狼男か? 狼男は人の良さそうな顔で笑う。


 どうやら【邪神】に放り投げられて気を失った僕を、介抱してくれた人らしい。初めて会う人が狼男とは予想外だったが。


 出入口の景色がガタゴトと揺れている。ここは――、馬車の中かな? すごい。多分初めて乗った。


「オ前、名前は? 何でアンナトコロデ素っ裸デ?」


 呆けていると、狼男が聞いてきた。言葉がわかるのは《異世界言語(全人)》のお陰だろう。改めて顔を向けると、その美貌に驚かされた。


 狼男は銀髪のセミロング、きれいな目(瞳は青だった!)をしていた。うっすらと頬にも白っぽい産毛が生えている。長身でガタイの良いハリウッド俳優を彷彿とさせる。少なくとも、自分が住んでいたであろう日本には存在しない造形。


 人が好さそうで、かつ、着ている水色の服もちゃんとしたものだ。邪神はこの狼男に拾われることを狙って投げたのかもしれない。


「僕……。名前? あれ、僕は何をしていて……?」


 それなら乗っかろう。とりあえず、記憶を失った振りをしておこうかな。


「マサカ……、記憶喪失……!?」


 狼男は狼狽しだした。狼だけに。


「そう……みたいです。何も、思いだせない、名前も……」


 そもそも無いね。


「……辛イ目に会っタノカモシレナイ。オ前ノヨウナ子どもの亜人がアザだラけで《魔の大森林》の前で裸で倒レてイたから、何事カト思っタガ」


 そういえば服を今世では着たことがない。アザは邪神のせいだあの野郎。とりあえず、力無く笑っておこう。


「何も、覚エてイナイノカ? 住ンデイタ場所は?」


 沈痛な面持ちで、俯き加減に首を左右に振ってみる。それを見た狼男は泣き出しそうな顔になった。



    スキル《あざとい》を獲得した!

    称号―《演技派》を獲得した!



 天の声がうるさい。しかしヤバい。ちょっと心が痛みだしてきたよ。


 僕のことを亜人と言っていた、と思って自分の腕を見ると、褐色の細い腕に鱗がところどころ。


 魔化が10%になっているようだ。これで魔物の僕を《亜人》と勘違いしてくれたのだろう。


 狼男というか、美しいが顔つきに残る幼さから、10歳くらいの僕より数歳上ぐらいの少年だろう。しかしやたらデカい。


 狼少年というと語弊があるから、このまま狼男と呼ぼう。


 バレるかもしれないので《鑑定》は使っていないが、骨や肉、その使い方と身のこなしでわかる。


 この男は《グリーンゴブリン》より少し強い程度だ。ガタイは良いし素質はあるようだが、まだ若く強者との戦闘はやっていないのだろう。


 森には人間の形跡はなかった。おそらく人間は弱く、よほど魔物と戦う者でなければ高位の魔物を知らない。だから僕を《亜人》としか思えないのだろう。


「見知らぬ僕を助けていただき、ありがとうございます。あなたは?」


 僕にはこの世界の知識が無い。当面はこの人の好さそうな狼男に同情させて、人間や亜人の生活について知りたいところだ。


 狼男はハッとしたような顔で、こちらを見返す。銀の派手な髪ときれいで力強い青い瞳に目がいっていたが、よく見れば……、この服は軍服か?


「悪イ、申し遅レタ! 俺はヒジカ・トージス。勇者候補の狼亜人ダ」


 ヨロシク頼ム! と魅力ある精悍な笑顔を向ける。



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