西暦四万年! 妖精代の地球?!
■ フーガ・ガーンズバック姫の「発明の館」
西暦という年号が非局所的になって四万年ほどが過ぎた。
ここは「妖精代」の地球。地質年代でいうと、古生代・中生代・新生代につづく大きな時代区分だ。
なぜ、そうなったかというと人類を含むあらゆる種族に変化が起きた。それほどの年月がたったわけだ。
というわけで、今はエルフ耳の種族が地上の覇者だ。
湖畔に立つレンガ造りの建物は月明かりよりも輝いていた。
この中世ヨーロッパ風の世界では不夜城とか摩天楼という言葉が忘れ去られて久しいが、まさにそういう形容詞が当てはまる。
「電灯」が箒のように闇を掃く。
その奇妙な姫君の城は「発明家の館」と囃し立てられていた。
魔法が森羅万象を司る妖精代において、いにしえの向こうに忘れ去られた機械いじりに没頭しているからだ。
何不自由せぬ富豪の娘が毛皮を纏って石窟に住みたがるようなものだ。
もとより、フーガに身寄りは無かったが。それでも一向に構わなかった。彼女はマドモワゼル・ナインテールという小娘を助手にしている。
城では若い女衆を集めて、
「TSですか……女性が召還されて男になって、女を好きになるとか、そう簡単に事が運ぶのかなぁ」
赤茶けて崩れかけた書物をフーガが慎重に紐解いている。
今夜のテーマは「旅」だ。
異世界トリップものとよばれる古書を肴に女たちがとめどない話をしている。
「さて、旅立つ人にはそれぞれの葛藤があります。ジェンダーの遍歴も一つの旅です。男と女、その往復だけが旅路でしょうか?
そして、もう一つ、移住先のジェンダーが安住の地となるのかどうか」
ナインテールがパラパラとライトノベルをめくる。
「この時代の男性TS作家の作品に見られる、女の子になれた、スカートが履ける、恥ずかしいけど可愛くなれて万歳的なテーゼに対し、女から男の性転換ではどうなるのかしら。以外に越えがたい壁があったりして」
机の上には「異世界でチートな王女様になりました」だの「非モテ男がロリババア転生で逆ハー」だのテンプレ小説が積み重ねてある。
「確かに二項対立概念としての男女格差。物語の題材として、競争を通じた性差争いは飛びつきやすいテーマですね」
「でも、女の敵は女。ジェンダー内格差が戦争に発展したらどうなるかを描いた作品はあまりないですね」
「そういえば、持てる男と持てない男が恒常的にいがみ合ってるってのはあんまり聞きません」
「そんな葛藤の中、女の子がどうやって自分なりの元気をゲットするのでしょうか?」
「男だと簡単ですわよね。かっこいい、強い、敵を倒した。無敵だぜってのは快楽でしょう」
「女性の心理から見ると敵味方に関係なく犠牲者に心を痛める方に向いてしまう」
フーガとナインテールはトークを盛り上げたが、さっぱり反応がない事に気付いた。
がらんとした宴席に二人だけの声が空しく響いていた。
「……さすがに話題の選択をしくじったみたい。集まりが悪すぎるわ」
「先生。夜はこれからでしょう」
ナインテールは窓からとっぷりと明かりが落ちた城下町を眺める。
エルフの若奥様は夜型だ。
退屈した彼女らが夜伽のあとの寂しさを埋めるために群れ集ってくるはずだ。そう、信じたい。
「どうかしらねぇ」
フーガが指を加えていると、鈴を転がすような声がする。
「おまかせください」
「貴女は?」
ナインテールが振り向くと十五、六歳くらいの妖精が漂っていた。トンボのような四枚羽が邪魔になるのだろう。当然、何も身に着けていなかった。起伏に乏しい胸部、産毛すら生えていないくびれた腹部、肉付きに乏しい手足。
フーガはつい目が行ってしまう。
「じ、自己紹介はあとで……。ナインテール、この子に何か着せてあげて!」
助手は素早くクローゼットからタオル地の布を取り出し、妖精の胸に巻く。彼女の両足にベージュ色のアンダーショーツとボーダー柄のビキニを履かせた。
赤らめた顔を悟られないように背けつつ、フーガが吐息した。「……ふぅ。続けてちょうだい」
「今宵の語り部は、わたくしめにお任せを。わたしは女のよしなしごと、秘めごとをつかさどる妖精リアナン・シー」
「ようよう! まってました」
ナインテールが拍手をする。
「本日のお題は旅でしたわね? お聞きになりますか? わたくしの一族の長い長い恥辱と流浪の物語を」
フーガが身を乗り出して促す。
「語りたまい。雪辱の想いを」
うやうやしく一礼すると独特の節回しで語り始めた。
そもそも、わたくし達リアノンの民は豊穣をもたらす妖精です。
つつましくも、豊かに草木に囲まれ暮らしておりました。
妖精の恋人を名乗るに相応しい命を宿し、育み、見守るのが習わしです。
しかし、自然に従うことを良しとしない我が国王は「産業革命」を唱える輩にそそのかされ、機械の抗いによって国を奪われたのです。
都は戦争兵器で灰と化し、リアノンの郷も火の粉を被りました。
王は国中の強者や魔導士を集めて挙兵しました。
機械ども、特に
この様に、いくさには多数の兵が要りまする。
リアノンの民も王のために兵を挙げようとしたのですが……
子宝にめぐまれぬ民の悲しさよ。
ああ、忌まわしき「環境破壊」とやらが原因で十分に健康な男手が揃いませんでした。
激怒した王にリアノンの民は蔑まれ、慰安の役を命じられたのです。
いったい、わたくし達がなにをしたというのでしょう。
一通り、聴き終えたフーガはドレスの袖がベトベトになるほど泣き濡れた。
「リアノンの里には女の子しか生まれなかったの?」
ナインテールが恐る恐る尋ねた。
「男女比は一対千百の割合です……」
「ええっ? ということは……ええっと……三歳で赤ちゃんを?! 若すぎるってもんじゃないわよ」
フーガがのけぞった。
「先生! そんな計算するなんて、はしたないですっ」
二人のやり取りを聞いていた妖精はひと言、「ひどい……」と嘆いて突っ伏してしまった。
「あ……泣かしちゃった。先生、い〜けないんだ♪」
「あなたが妙なツッコミするからよ。ナインテール」
フーガはいじけた娘を抱き起す様にリアノンをなだめた。
「あなたの因縁の旅に終止符を打ってあげる。私たちに出来ることならどんな手段に訴えても」
リアノンはこくこくと首を立てに振ると、どこからともなく小さな水晶球を取り出した。
そこにはシア・フレイアスターの生涯がうつろっていた。
「これがリアノンの民を苦しめている環境破壊の張本人です。一族の総力を結集して関係者を歴史ごと切り取って、封印しました。しかし、この女の放つ因業はけた外れに強力で、封じ切れるものではありません」
マドモワゼルは何か閃いたようだ。先生に耳打ちし、二人で笑い転げる。
「そうねぇ。それは面白い考えだわ」
リアノンの方に向き直ると、笑いを堪えながら言った。
「今宵、これより、呪いをかけましょう。『はぎとりごめん』の呪いを」
「何をするんです?」
首を傾げるリアノンにフーガは笑いを堪えながら教えた。
「リアノン一族の歴史を正し、シア・フレイアスターとその子孫どもに未来永劫続く懲罰を加える」
彼女はリアノンの水晶球をビリヤード台ほどの装置に載せると電極を向けた。黒光りする鉄球が馬鹿でかい碍子の先についている。
「この
「先生、能書きはあとで。セレクトロンの半減期は短いんですよ」
「よし、ニュートリノシールド・チェック」
フーガが実験開始の指示を出す。
「チェック」
マドモワゼルが復唱する。
「時空連続体追随レーダー、チェック」
「チェック」
「世界線固定座標、ロック・オン」
「ロック・完了」
「いよいよスタートするぞ。世紀の大実験だ」
フーガが操作レバーを押し倒すと、電極からねっとりとした電流がほとばった。
水晶玉が白濁した。もうもうと水蒸気が湧き上がる。
雷鳴とも龍の咆哮ともつかぬ轟音が周囲を聾する。
耳鳴りがようやく消えるころには、水蒸気も水晶球も雲散霧消した。
宴席の壁に三百六十度見渡せるパノラマビューが開いた。
「これでシア・フレイアスターのどこに出しても恥ずかしい生涯をどこからでも見渡せる。宴を続けよう」
モニターにシアが顔をエルフ耳の先まで赤らめ、鼻水垂らして泣きじゃくる見っともない光景が映った。
マドモアゼルが酒とつまみを運ぶと、さっそくどこかで噂を聞きつけてきたのか、ご近所のエルフ奥様が集まって来た。
「ぎゃはは」「うふふ」「おっかしーい」「馬鹿じゃん」
おおよそ女子力とは縁遠そうな笑いが館中に轟いた。
■ 上映会
時空間とは上下、左右、高さの三つの空間的次元に時間の流れを加えた四次元的な領域のことだ。
端的に人間の一生を時空間で表わすと、生まれてから死ぬまでの写真を積み重ねた物と言える。
もちろん、その前後にも時空間は続く。遥か祖先の時空からまだ見ぬ子孫の時空まで連綿と並んでいる。
いわば、シア・フレイアスターの生涯は妖精リアノンによって恣意的に切り取られた。
彼女の時空連続体は水晶球に封じ込められ、フーガの実験台で弄ばれている。
映画の登場人物がスクリーンの外を窺い知ることが出来ないように、水晶宮の中のシアは自分の境遇に無自覚だ。
そして厄介な事に、こうして外科手術的に手を加えられた過去は、そのまま改変された史実となってしまうのだ。
下町のオバハン丸出しの嘲笑を浴びて、シアの過去が回り始めた。
……
「過去に向かって撃てるとしたら?」 木製のカウンターごしにメイドさん姿のシアがたずねる。
聞こえなかったのか、それともいきなりな質問に面を食らったのか男は黙々と燻製に噛り付いている。
まったく、人という生き物はタイミングよく耳が不自由になる。はぁーとシアは片肘を立てて、ため息をついた。
あの日もそうだったよね。ぼーっとしてたら、いきなり「召喚」されちゃったんだ。
彼女の声には長年にわたって抱き続けた想いがにじんでいた。
もう、足場の定まらない人生はたくさん!
わたしは、あの時からイエスタイヤーのせいで人生が狂ったんだ。きっぱり、引導をわたしてやる!
髪の中で妖精特有の長い耳が、へにゃっと萎れるのがわかる。脚を閉じてスカートの布地を膝で感じられるように抱える。
無意識に涙が潤んでくる。目の前の現実が溶け、シアの意識はいまわしい記憶へ沈んでいった。
男は食うだけ食うと、呆けているシアを小ばかにした様な目で睨み、立ち去った。
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