彼女だって恋がしたい完結編~はてしなき出発(たびだち)
水原麻以
「彼女だって恋をしたい」より抜粋
これは運命に呪われた女と、自分の運命を呪う女の物語―――
――そして、運命にあらがい、運命をねじ伏せ、運命の女神に愛された女たちの物語
その日、新興の植民惑星は大宇宙を押し渡る無敵の箱舟と百戦錬磨の戦闘天使(メイドサーバント)を郷土の守護神として迎え入れた。
地域社会の安寧を脅かす諸勢力から恐れられ、大地に広がる緑と臣民には安息を与え、未来永劫の安定を約束する女神として大きな期待が寄せられた。
――彼女たち……三隻のライブシップは惑星国家の希望そのものであった。
あまたの反対を押し切って彼女らを招きよせた指導者は、得意満面で独立記念式典の席に座った。
惑星国家(カシス)の文化をあまねく広げ、聞く耳を持たぬ者は斬首台に引っ立てよ♪
血の犠牲を払ってでも教えを浸透させよ♪
そなたらの子は聖戦に赴く為に神から授かった♪
祖国の思想で宇宙を染める事こそ万物に勝る喜びなり。
おお、我らがカシス♪ 文化の源♪
おお、母なるカシス♪ 叡智の礎♪
豪胆かつ不敵な国家に参列者が陶酔する。
繁栄の陰には必ず敗者がいる。
努力の甲斐もむなしく、敗北の淵に沈み、淘汰の闇に飲まれていく者たち。
競争原理に破れた。ただ、それだけの理由で、なぜに神は過酷な仕打ちを強いるのか。
彼らがどんな罪を犯したというのか。
彼らがどこの誰を苛んだというのか。
弱かった。ただ、それだけの理由で苦しく惨めな死に追いやられる。
脆弱が原罪だというのなら、産まなければいい。
衰亡する存在を産みだした造物主が裁かれればいい。
ナターシャは、トリガーを引いた。
■ 建国記念式典
それは不意打ちだった。
世界が白くて力強いきらめきと、出番を待つざわめきと、宴が始まるときめきに満たされた。
半秒、遅れて地響きが人々の背骨を突き上げ、鼓膜を突き破り、快楽中枢を愛撫した。
氷に閉ざされたホールは汗ばむほどの熱気に満ち、ナイロンギターの甘いメロディに溶け落ちていく。
スポットライトの中心に翼を全開にした天使がせり上がると、バックスクリーンに亜麻色の髪がクローズアップされた。
前奏が歯切れの良いビートの反復に変わる。天使は振り向きざまに微笑み、淡い紅色の唇が小刻みにシンクロする。
歌詞は攻撃的で傲慢で野性的だ。
惑星国家(カシス)の文化をあまねく広げ、聞く耳を持たぬ者は斬首台に引っ立てよ♪
血の犠牲を払ってでも教えを浸透させよ♪
そなたらの子は聖戦に赴く為に神から授かった♪
祖国の思想で宇宙を染める事こそ万物に勝る喜びなり。
おお、我らがカシス♪ 文化の源♪
おお、母なるカシス♪ 叡智の礎♪
おおむね、帝政ローマの流れを組むヨーロッパ系の国歌はこの様な恐ろしい語句が並ぶ。
幸いな事に、半特権者(デミアド)であるナターシャはカシス人の言葉を知らない。激しいビートに血が沸くことも、良識を根底から打ち砕く暴力的な歌詞に胸が躍ることもなかった。
右も左もわからぬ異邦の田舎娘を装って控室(バックルーム)に潜り込むのはたやすい。
熱中症を患って大仰に倒れて見せれば、訓練の行き届いたスタッフが救護室へ担ぎ込んでくれる。生年月日や血液型を自己申告する必要もない。
手際よく水玉模様のサマードレスが裁ちばさみで裂かれ、個人情報の入った量子タグがショーツごと剥ぎ取られる。
ナターシャは手際よく確率変動を操って、うそ偽りのない症状を呈してみせた。担当医は彼女を一目で熱中症と判断し、会場内の奥に設けられた臨時熱中症外来へ転送した。
ここまではよかった。
問題は、ベローゾフ・ジャボチンスキー反応液をどう誤魔化すかだ。特権者は青色の死刑宣告に抗えない。
独立記念式典の警戒は特に群を抜いて厳しいが、それさえクリアすれば幼生体である彼女でも任務は達成できる。
どうしたものかしら。ナターシャは考えをめぐらせたがまとまらない。時刻はグリニッジ標準時で三時過ぎ。夜更けまでにピンポインターをこの奥の部屋に設置せねばならぬ。
しくじれば観客と警察軍を含めた十万人を盾にして穢れた血脈が生きながらえる。
特権者はそれを面白がるだろうが、自分には人間の血が半分流れている。やつらだけが消えればいい。
キンキンに冷えたウォーターベッドが天井に青いしじまを作っている。からからと虚ろな音を立てて回る空調。壁越しに蚊の鳴くような歌声が聞こえてくる。
ぼやけた焦点を故意に泳がせていると、雑多な考えが急速に像を結んだ。
「いけるわ!」
ナターシャは、がばと跳ね起き、世界線をつま弾いた。
■ ステージ
戦闘純文学者はロックスターだ!
暴れまわる特権者の攻撃(アノマリー)を戦闘純文学(言葉の暴力)で抑え込み、十万トン級の航空戦艦で宇宙狭しと飛び回る。
ひとたび事件を解決すれば、人々が彼女たちを熱狂と騒乱で迎え入れ、文字通り百万カンテラの脚光がステージをはい回る。
シアは流暢に歌い終えると、うやうやしく一礼して舞台のそでへ引っ込んだ。
入れ替わりに司会者がマイクの前に立つ。
作り笑顔が引きつっている。脚本にない事象が起きたのだ。
「ベローゾフ……反応青、アオだってんだよ!」
カーテンの隙間から押し殺した声でADが叫んでいる。わかった。司会者は目立たないように頷くと、よどみなくMCを始めた。
「西暦一九九九年七月、惑星地球(ジオセントリック)の白夜大陸、地軸点(ポール)上空において最初の接触(ファーストコンタクト)が発生しました。やがて人類は特権者とよばれる天敵との最終戦争に勝利し、その後、爆発的な勃興の道を歩んでいます。では、なぜ戦争は起きたのか? のちのち、カシスの民がこの星に礎を築くためです!」
都合よく歪曲された歴史が観衆に響き渡る。会場に入りきれなかった市民が興奮して銃を空に向ける。
「どうして人々はこんなにも生きる力に満ち溢れ、希望に燃え、繁栄を謳歌してゆけるのでしょうか? 私たち、カシス人が世界を導く申命を背負っているからです!」
頼みもしないのに病室に御題目が流れている。ナターシャは寝返りを打つふりをして氷枕を床に落とした。看護婦たちはナースステーションの壁面TVにかじりついている。
「……未来、現代、過去と連綿と続くカシスの栄光、ひいては人類の隆盛を支えるのは航空戦艦(ライブシップ)であります!」
司会者は狼狽を大衆に悟られまいと声を張り上げるが、その耳にはインカムを通じて舞台裏の混乱が伝わっている。中継用のバックアップ回線が三つとも途絶した。予備電源の圧があがらない。観客に決して聞かせてはならない悲鳴と怒号が渦巻いている。
「特権者の攻撃か?」
息継ぎをする僅かな時間に彼は小声で尋ねた。
「……まだ断定できない。BZ液に今のところ反応は無い」
どうでもいい些末事だといわんばかりに鬱陶しそうにディレクターが答えた。
ナターシャの心臓が激しく鼓動する。反応液の水面が肉眼で判別できない程度に細かく揺れ動いているはずだ。彼女は神経を尖らせながら確率変動を操作していた。一瞬たりとも気が抜けない。少しでも波立たせたり泡が一粒でも生じれば気づかれてしまう。出力を針の先よりも絞ってしまえば、それに応じた攻撃しかできない。そういう矛盾に彼女は苛立つ。
「ご紹介にあずかりました白夜大陸条約査察機構(ハンターギルド)のシア・フレイアスターです」
国歌を熱唱した天使の頭上を覆いつくように強襲揚陸艦が降下してきた。
ライブシップが出張って来たのなら誤魔化しはきかない。やつらはどんな些細な確率変動でもかぎ分けてしまう。ナターシャは物陰からナースステーションのTVを盗み見た。
古典的な手段だが騒ぎに乗じて目的を果たすしかない。彼女は自制をやめた。
病室に残してきた枕がとつぜん水蒸気爆発を起こす。続いて、ウオーターマットが破裂。沸騰した蒸気がH2とOに分離し、微細な核融合すら起きるしまつ。
ナースステーションの壁に鮮血がべっとりと付着し、部屋が爆散した。あちこちでガラスが割れる音がして、短い悲鳴が聞こえてくる。
ナターシャは裸足のまま駆け出した。臨時診療所の要所を固める警備員は人件費削減のあおりで事態収拾すら満足にできていない。
「ベローゾフ・ジャボチンスキー反応、撹拌パターン青、特権者の攻撃です!」
「ええっ? こちらに異常は見られませんが……何だこいつ。うわっ……」
人間どもが交信しているさまを見てナターシャは失笑した。会場の警備陣は襲撃をひた隠しながら式典の続行強いられるだろう。ヤナハ大統領の面子を潰せば自分たちに跳ね返ってくるからだ。
目立つ動きは出来ないはずだと踏んだナターシャはピンポインターとなる紋章を床に描いた。
■ ハイパーソニック・テロリスト
「私ども、ライブシップはカシス共和国政府と皆様の安全を護る契約を締結いたしました」
シアが言うように国防費を惑星開拓にふりむけたい大統領としては賢明な策だ。外国に防衛を委ねるなど言語道断だという保守派を抑え込んだのも彼の手腕だ。ライブシップの戦闘能力は抜群で、一隻で恒星間渡航能力を持つ文明を灰燼に帰すなど造作もない。
セルゲイ・ヤナハは手厚い社会保障を公約にして軍拡一辺倒の前職を打ち破った。「銃よりパン」をというわけだ。
どうせ口先だけだろう。穢れた一族に大事な国を任せること自体が汚れている。だから、この首都ごと消えてしまえばいい。
ナターシャの小指からドクトクと血が流れている。見事な魔法陣が出来上がった。あとは、照射準備完了を報告するだけだ。
彼女は白魚のような細身を翻し、地下駐車場へ向かう。途中、非常階段で警備兵と鉢合わせた。真っ裸の小娘がいきなり現れたのだ。怯んだ隙に跳び蹴りを食らわせ、銃を奪い、一足とびに駆け降りる。
コンクリートむき出しの地下駐車場に出た。装甲戦闘車が停まっている。排気口はまだ温かい。ナターシャは後部銃座によじ登った。12.7ミリの劣化ウラン弾を使うタイプだ。確率変動を操って弾薬室を開け、予備カートリッジを確認する。間違いはない。
彼女は一つ拝借して運び出した。重い。ウランは地球上で一番重たい物質だ。悪態をつきつつ地面にそれを投げ出す。
そして、特殊な詠唱を行った。彼女がささやくとケースの表面が歪み、ボコボコにへこんだ。
彼女と彼女の一族しか読めない特別な配列に従ってケースが歪んだ。
これでいい。あとは同胞が探し当ててくれるだろう。ナターシャは渾身の力を振り絞ってケースを両手で投げ上げた。
着地までのわずかな瞬間に詠唱を唱える。
呼応するようにかび臭い湿った地下室特有の空気が震え、ケースが波紋のようにゆらめいて、消えた。
これでいい。まもなく破壊の魔晄が上空の妖獣もろとも全てを灰燼に帰すだろう。
彼女が額の汗をぬぐうと同時に背中から銃口を突きつけられた。
独立式典の目玉である観艦式は山場を迎えていた。
強襲揚陸艦の隣に雲間を割って巡洋艦と航空戦艦が現れた。ぴたりと寄り添うように空中で静止している。
カシスは三隻のライブシップを保有することになる。これで国防費の八割が削れるのだから安い買い物だ。
司会者が壇上の女子高生を紹介する。黒髪のロングヘアが肩になびいている。頭上の艦がその実体というわけだ。
「アストラルグレイス・オーランティアカ。ギルド屈指の超長距離外洋クルーザー!」
絶賛されてドヤ顔の少女が四方に頭を下げていると、警報が鳴り響いた。
「特権者の攻撃です! 御来場の皆様は係員の指示に従って下さい」
飼いならされた家畜のように観客は順序立てて最寄りのシェルターに避難する。むしろ取り乱しているのは惑星外から来た報道関係者だ。
厳戒態勢下で記念式典へのテロを許してしまえば軍縮を確約した大統領の失脚に繋がる。水面下で抑え込んで式そのものは平然と強行するはずだ。この騒動は演出ではないのか。そう考えて取材を続行する者もいて混乱の原因を作った。
もっとも、その場で射殺されて事なきを得たが。
ナターシャが細工した劣化ウラン弾ケースが会場の片隅にぽつんと現れた。もちろん、逃げ惑う人々は一顧だにしない。ウラン濃縮時の副産物である劣化ウランは天然ものより純度が低い。そして自然界に存在するどんな元素にもなりうる。
確率変動が絶妙なバランスで施された弾薬は無数のナノマシンと化した。それらは周囲の物質を貪欲に貪り、虐殺に必要な道具立てを黙々と作り始めた。
壁に幾何学的な紋様が浮かび上がる。それらは幾多の平行線で結びついて一つの回路を作り上げた。樹木が枝葉を張るように天井まで茂っていく。そして、光ファイバーケーブルに接続した。
悪意はテラビットの帯域を埋め尽くし、惑星カシスの成層圏を迸る。海を越え、大陸の工業地帯になだれ込む。
NC工作機が人間の意思を全て撥ねつけ、勝手に三次元プリンターを滑走させる。
汎用リフトが工員を轢き殺し、完成したミサイルを軍用トラックに載せる。港には血まみれの兵員を載せたミサイル巡洋艦が待機していた。
■ エンゲージ・オン・リモート
身勝手な取材班が列を乱したためにグランドは避難者で溢れていた。
「グレイスは観衆の収容を急いで!」
シアが巡洋艦に人々を牽引ビームで回収するよう命じた。艦内にスキー場からプライベートビーチまでそろえた超長距離リゾートクルーザーは、充分な広さを持つ。
つけ狙うかのように地平線に高速飛翔体が現れた。
「超音速巡航ミサイル?」
シアは戦術情報装置を介して残りの一隻と情報共有した。
「カシス軍にない装備ね。軍縮をすすめる政権にそんな予算は無いはず」
可愛らしい声が元気な声でつづけた。
「おか〜さん、これは特権者の仕業よ」
襲揚陸艦に共同交戦能力を通して敵影が流れ込む。距離七千。着弾まで十秒弱。
「A2D2(接近阻止・領域拒否戦略)、発動!」
少女は自信たっぷりに叫んだ。超音速攻撃兵器に対処するシステムは構築済みだ。
惑星カシスの首都を臨む青々とした海。その超水平線上を可変翼戦闘機が哨戒している。
大気圏外からの超長距離侵攻阻止能力に長けたアタックスーパートムキャットは接近する脅威をいち早く捉えた。
「巡航ミサイル。その数三百」
戦術ターゲッティングネットワークを介して少女は事態を把握する。
いわゆる飽和攻撃だ。物量で攻める力技である。深刻な状況にも拘らず彼女は落ち着いている。
「 海軍統合射撃指揮対空能力(ニフカ)始動、エンゲージ・オン・リモート!」
刻一刻と書き換わる戦術情報マッピングシステムに状況を重ね合わせ指示を下す。既に記念式典ために上空をCAP(戦術哨戒)していた三個飛行隊が呼び戻される。
アフターバーナーを一斉に吹かして対艦巡航ミサイルの群れに襲い掛かる。
空対空ミサイルのアクティブシーカーが照準円に獲物を捕らえ、自爆特攻を仕掛けた。
会場が一斉にどよめく。戦況を含めた一部始終がバックスクリーンに中継されている。敵影をあらわす点が一瞬で掻き消えてしまった。
阿鼻叫喚に近い歓喜をクッションにして三隻の宇宙船がしずしずと着地した。あっという間に黒山の人だかりができる。
司会者が航空戦艦の名前(サンダーソニア)を紹介しているが、やかましくて聞こえない。
「わたしたち、白夜大陸条約査察機構は国連大量破壊兵器撲滅委員会のもとで、みなさんと一緒に特権者の手に落ちた大量破壊兵器のかずかずを摘発してまいります。これらの中には正体不明の危険な奇想天外兵器もたくさんあるとの報告を受けています。 ソニアたん、しっかりまもってあげてね〜」
シアは、中学一年生ぐらいの少女を抱き寄せて、笑顔を振りまいた。
戦闘純文学者はどこへ行ってもロックスターだ。
取調室の窓を通してナターシャは任務の完成を悟った。歴史に残る花火を打ち上げた達成感ですがすがしい気分だ。後世の同胞たちはこの史実をトリガーにして本作戦を発動するはずだ。
「何をにやけている?」
屈強な取調官がデスクライトでナターシャの顔をあぶる。
ああ、この燃え上がる期待と興奮はどこから来るのだろう。
彼女は男の叱責などに意に介さず、体の奥からわきおこる振動に身もだえた。
呼応するように部屋全体が揺れ、裂けた床に男が呑み込まれていった。
「わたしの存在確率は尽きた。とても良い選択が出来てしあわせだ。半特権者(デミアド)の正史に最適解あれ!」
ナターシャは塵となって暗闇に消えた。
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