田端ミレンの恋愛観

九日晴一

序章

Cross section of life

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 ――出会いは得てして、夢がない。


 私がこの人生で学んだ答えのひとつだ。

 世の中には人間の内面、すなわち感情に目をつけ研究している天才たちが数多くいる。脳科学や心理学をとことんまで掘り下げ、時には実験を繰り返し、人々は論文という文字に記した。すぐれた叡智えいちを持ち表彰される者もいる。しかしそこまでいくと、人の感情ほど色味のない世界はない。


 人をどう想うか。

 『恋』という誰もが心躍らせるものさえ、人類発展の根幹にある繁殖の潜在意識と言い換えてしまえば、夢がない。人によってはそれでも「興味深い」と好奇心を抱くだろうが、もはやそれは別の探究心。恋愛感情と生存本能とでは、私たちへ与えるイメージも大違い。一括ひとくくりにして論文を出す天才たちがいる一方で、恋はときに常識を越えると豪語する一途な人間だって存在する世界だ。甘く熱いイメージと無機質な知を示すイメージに、やはり別物と捉えてしまう自分がそこにはいる。


 だが、やはり恋愛感情は生存本能と同じである。


 好きな人というのは、人が本能的に見つけ出した人生の伴侶。ホルモンによる錯覚。生存本能の発露と言っても差し支えない。遺伝子に刻まれた情報との整合性、その証と捉えてしまえば、これほど空虚なことはない。

 ゆえに、夢がない。

 人の探究心は恋愛感情の奥底まで解き明かし、同時に夢を失った。

 吊り橋効果が分かりやすいだろうか。もし運命的な恋に遭遇し、目先に立つ誰かがこの上なく愛おしく思ったとしよう。しかし、環境や体調などといった外的要因が入り込むことで、その感情は勘違いであるのだと結論づけることができてしまう。つまり、「吊り橋効果」を知っていれば、どんな恋にも薄情さが混ざる。これはウソなのだ、思い込みなのだと言い聞かせるもうひとりの自分が生まれてしまう。


 夢がない。

 ああ、夢がない。


 きっと私の恋も、夢がなかったのだろう。

 親にも友達にも恵まれず、辛い現実に身を置いた私だったが、を想えば辛くても生きていけた。

 だけど、私はいとも簡単に踏み込んではならないさかいを越えた。

 科学で説明できてしまう恋心だけでは、『生』を支えきれなかったのだ。天秤はかたむき、人生の疲労が私を蝕み、壊し、殺したのだ。

 屋上の柵を越え、広がる蒼を見据え、空虚な身体に恐怖が宿る。それをも呑み込む諦念ていねんを思いだし、すべてを終えることに救いを見出す。


 出会いは得てして、夢がない。

 私が出会い、私を支えてくれたあの感情も、結局はその程度だったということか。


 人類は、恋愛感情など解き明かすべきではなかった。

 私は心のセーフティーである恋愛感情の価値を貶めたすべてに、若干の恨みを抱いた。



「ダメだ! 間違ってるんだよ! その選択は!」



 止める彼の声も、もう響かない。


 恋が、もっと輝くものであれば。

 もっと夢のあるものであれば。運命というあやふやなモノであれば。


 今ごろ飛び込んでいたのは、彼の胸だったかもしれない。






 柵の向こうの空、などではなく――。

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