異能家族と裏社会レジェンド
渡貫とゐち
開幕
第1話 ラインナップ その1
これは嘘でも偽りでも、虚言でもなければ虚説でもない。
いきなり言われたところで信じることなどできない、というのは分かり切っていることだが、誰かが「嘘だ」と言ったところで、変わることなどない現実である。
空想ではなく現実。
唐突な言葉で元からある常識をぶち壊したいというわけではない。
ただ一点。ただ一つだけ、既に存在している常識の中に組み込んでほしいだけだ。
異常。
普通の人間が持つことのない、特殊な体質。
病気とも少し違う、まったく別のもの。
異常を持つ者を同じ人間として見たくない者は必ずいるだろうが、確かに気持ちは分かる。
しかし、異常を持つ者は別になりたくてなったわけではない。
人体実験。
それは絶対にやってはいけないことであり、
踏み越えてはいけないラインだ――禁忌なのだ。
しかし、異常を持つ人間というのはしっかりと存在している。
ということは、絶対に踏み越えてはいけないラインを踏み越えたということだ。
異常を持つ人間よりも異常と言える研究者達――、
彼らには躊躇いというものが欠如していたのかもしれない。
世界中から集めた子供たちを利用し、腐るまで使用し、異常を植え付けた。
子供たちの苦しみ、もがき、死んでいく様を、彼らは見ていたはずなのだ。
にもかかわらず、彼らは自分のやっていることを止めようとはしなかった。
誰もだ。誰も止めようとはしなかった。
自分がおこなっていることこそが正義だとでも言うように、自身満々に研究過程、結果を眺めていたのだった。もう二度と動かない死体になど、目を移すこともなく。
そんな地獄とも言える場所に御門巡はいたのだ。
殺されていく仲間を見ながら、いつかは自分もああなるのだろう――と、テキトーに考えながら、天国に行くための順番待ちをしていた。
彼女は覚えていないだろう。痛みで気絶していたためだ。
その時だったか、彼女には異常が植えつけられた。
それが未来を見ることができるという『異常』だった。
運が良かった――誰かがそう呟いた。
異常が適合したのなら死ぬ必要もなく、御門巡は『商品』として出せる――と、
研究者達の中でもリーダー的な存在である白衣を着た男、
「この研究が進めば、もっともっと『商品』が増えていくんだよ。『人間兵器』なんて魅力的なものが、全くいらないと言う組織なんてのは、ないんじゃないかな?」
特定の誰かに言ったのではない。それが分かっているから、他の研究者達は鴉野に返事をすることをしなかった。そもそもで、独り言なのだから。
淡々と、無感情に、鴉野は残っていた子供たちの方へ向かった。
魔の手、鬼の手、死神の手。
地獄へ引きずり込もうとする最悪の一手が伸ばされる。
掴まれれば逃げられない。
しかし小さな子供に、逃げるための勇気や、現状を打破するための力があるわけでもなく、
抵抗と言っても両手を振り回す程度であった。
その程度の攻撃が大人である鴉野に通用するわけもなく、あっけなく振りほどかれた。
振りほどいたついでに、鴉野は暴れた子供の脳天に拳を叩き込み、黙らせる。
鈍い音が響き、暴れていた子供の体が、静かに垂れていく――。
酷いものだ。これが大人のやることか。
力無く倒れた子供の髪の毛を掴み、引っ張り上げ、鴉野は子供を台の上に乱暴に乗せた。
これから実験を開始したいのだが――、ぎゃあぎゃあとうるさい。
さっきの威嚇が思った以上に聞いたのか、
実験待ちをしていた別の子供たちが泣き叫び、喚いていたからだった。
「おい……黙らせろ」
「は、はい」
鴉野はあからさまに嫌な顔をして、部下の研究員に命令した。
とりあえずうるさくさせるな、黙らせればそれでいい、殺さなければそれでいい、と言って。
それは死なないのならばなにをしてもいいぞという暗黙の了解のようなものだ。異常を植え付けるのに必要なのは生きている肉体であって、精神の方はどうとでもなる。
それを理解してるからこその、やり方だ。
研究員が子供たちを黙らせるために行動を開始した――その時だった。
研究所内の、頑丈に作られているはずの、もしミサイルが飛んできていたとしても無傷で済むことのできる鉄壁の壁が、壊された。
「――なんだ、どうしたんだ!?」
「分かりません! 原因は不明、対処も不可能です!」
「まったく、これからって時にやってくれるな……。
おい『ラインナップ』くらいは無事なんだろうな?」
「それが……」
女性研究員の小さな、遠慮がちの、まるで時、既に遅し――とでも言いたそうな表情と声で、鴉野はだいたいの事態を把握してしまった。
つまり、鴉野が心配していた『ラインナップ』は、
無傷で済んでいることはない、ということだ。
「――くそがッ! ここはもういい、お前らはさっさとラインナップの保護へ向かえ。
あいつらを野放しにするな。これじゃあ俺が危険だ」
鴉野は『俺』と言った。
『俺達』ではなく『俺』と言った。
その言葉で、鴉野がこの施設にいるメンバーをどれだけ大切にしているかどうかが分かった。
ようするに、まったく大切になどしていない。
人を人として見ていないような態度だった。
自分の盾になれ、そして死ね、そんな扱いである。
鴉野は動きの鈍い研究者達を見て苛立ちながら、しかしそれを無理やりに抑えつけた。
イライラは冷静さを潰す。
冷静を欠けば、油断に繋がる。
そしてそのまま死にまで連鎖してしまうことだって、あるかもしれない。
鴉野が行動を起こそうと一歩目、二歩目、三歩目を踏み出そうとした時だった。
――――、
「ぎゃあああああああああああああああッ!?」という悲鳴が、鴉野の耳を貫いた。
研究者達のものだ。声からして、男と女の声が聞こえ、声の比率的に男が多かった。
ということは、研究員の大勢がやられた可能性が高い。
そして、悲鳴の後に聞こえたのは、地面が揺れるほどの音。
まるで爆発でもしたかのような音だった。
遅れて、耳につーん、と麻痺したかのような感覚が追いついてくる。
事態が加速して転がっていく――、決して良い方にではないだろう。
そんなことは予想するまでもなく、
ぱっと見ただけで悪い方に向かって転がっているのが明白だ。
残されたのは鴉野思想、ただ一人。
それを踏まえて行動しておいた方がいいだろう。
味方などあてにしない、というよりは、あてにできないと言った方が正しいか。
鴉野が研究員達を大切にしていないのと同じように、研究員達も鴉野のことを大切になど思っていないだろう。誰が命懸けで守る、なんてことをするか――と、
両者の意見はまったく同じだった。
そうこう考えている間に。
ドンッッ! と、研究に使用していた大木のように天井まで伸びている機械の塊が、大きな破壊音を奏でながら、鴉野の方へ倒れてきていた。
咄嗟に身を屈め、横に飛び出す。
今までいた場所に機械が突き刺さり――、間一髪だった。
まだあそこにいたら、すり潰されて終わりだっただろう。
少しだけだが、冷や汗をかいた鴉野だった。
しかし危機は続く。
危機――と言っていいものか曖昧だが、目の前に、小さな子供が歩いてきている。
全体的に金髪だが、毛先だけが黒い。
もしかして色合いで危険を示しているのか。あれで地毛だというのだから驚きだ。
「なんて厄介な奴が出てきてやがるんだよ……っ、
あいつがいるとなると、他の奴らもいるな。面倒事を増やしやがって――」
目で分かるのだ。
たとえ子供だとしても――あいつは危険だ、と。
自分で異常を植え付けておいて、こう言ってしまうのも酷い話だと思うが、やはり思ってしまう――化け物だ。たった一振りの拳で、自分の何倍もある巨大な機械を木端微塵に破壊してしまうほどの人間を、人間と呼んでいいものか。
人間の枠を飛び出た者は、間違いなく化け物の部類に入るのではないか。
「おい」
小さな化け物――少年の声が響いた。
「どこに逃げやがった? オレ自身も変な奴から逃げろと言われたが、さすがになにもしねぇで逃げるってのは、オレとしては後悔が残るんだよ。
分かるだろ? 欲望に忠実なお前らならよぉ?」
子供とは思えない言動――考え。
子供は大人を見て育つと言うが、それは本当だったらしい。
望むことの全てを実行してきた大人を見てきた子供は、同じように育つ。
殴りたいと思ったから殴り、破壊したいと思ったから破壊し、殺したいと思ったから殺した。
大人も子供も、やっていることは大差ない。
(変な奴……? まさかそいつがラインナップを逃がした、というわけか?
実験自体を破壊させる気か? ラインナップを使って、暴走事故として!!)
今ある情報を集めてまとめたとすれば、推測としてはそうなる。その可能性が一番高い。
(そうだとして、一体なんのために、だ? ライバルの研究施設なんてのはないはずだ――、
潰したはずなんだ。この実験をしているのは、俺達だけのはずだぞ!?)
鴉野の意見は合っている。
――実験を止めるライバルはいない。
だとすれば、もう答えは一つしかない。
実験や研究に無関係な、ただの邪魔者。
鴉野の目に止まることがなかった――小さな組織。
あり得る話だ。
この町は裏が深い。
軽い気持ちで入り込むことなどできないほど、勢力争いが激しいのだ。
ここも狙われたということなのだろうか――だとしたらまずい。
今はまだ、準備が整っていない。
防衛として機能させるためだった商品も、まだ未完成。
しかも重要な商品すらも利用されてしまった。裏目に出ている。
これを表にするのは困難だ。
どうしようもなさ過ぎて笑えてくる。
いっそのこと、笑ってしまおうか。
「ははは、はは――」
鴉野は笑う。小さく、口から漏れないように努力したが、がまんできずに漏れてしまう。
だがそれも一瞬のこと。笑いも消え、表情が引き締まった。
「――ざっけんじゃあねぇぞ、こらぁッ!
ここまで、どれだけの期間を要したと思っている!
どれだけ練ったと――どれだけ犠牲を出したと――邪魔してくれやがってッ、
殺す。殺す――殺すッッ!」
壊れた機械の塊を何度も叩き、鴉野は感情をぶちまけた。
叩いていた腕が青紫色に変色するほどだ。
痛みなど感じない。そんなものは、怒りや殺意によってかき消されていた。
感覚が研ぎ澄まされている。
今ならどんな事態が起こったとしても、決して動じることなどないだろう。
「そこか?」
少年の声が聞こえた。
鴉野の叫びは施設中に響いていた。
ならば少年に聞こえていたとしても不思議ではない。
異常を持つ化け物と評される少年が、ゆっくりと叫びの音源へ向かっていく。
足取りに恐怖はない。
ゆっくりと。ゆっくりと。
土踏まずも、しっかりと地面につけるほど――、大地を踏みしめて。
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