青き地球の思うがままに

水見虫也

第1話 「360年目の反逆」

災害後歴364年5月15日夜、ユーラスト南部の主要都市、ズンファー。そこを流れる大河川ファーダの岸を固める堤防のすぐそばにあるクイン家で、1人の男の誕生日が祝われていた。


「誕生日おめでとう、ダヒおじさん。」

「ありがとうフィオナちゃん、わざわざ他所よその家の親父のために。準備とか、大変じゃなかったかい?」

「気にしないでよおじさん、おじさんにはいつもお世話になってるし、これくらいさせてもらわないと、割に合わないよ。」

「それはそうと父さん、今日で一体何歳になったんだよ。この前も、市場の店の前まで行っておいて、何を買おうとしたのか忘れたって言って何も買わずに帰ってきたくらいだ、もう『おじさん』じゃないのか。」

「あの時は……、予めメモを取っておかなかったのが良くなかったんだ。いいか、我が息子タイグよ。断じて、断じて俺はボケた『おじさん』などでは――」

「あーはいはい。で、結局何歳になるんだよ。」

「あー、んー、えーと……、41だ。」

「ずいぶんと間があったね、おじさん。」

「ボケてるかどうかはおいといて、やっぱりもう『おじさん』じゃないか。そもそも、フィオナが父さんのことを『おじさん』って呼んでる時点で、答えははっきりしてるだろ。」

「えっ、ちょっ、タイグ、それは違うんだよ?私が、その、おじさんのことを『おじさん』って呼ぶのは、その、なんというか……、ほら、私、小さいころからおじさんのこと、『おじさん』って呼んでたから、癖でつい……。」

「それはつまり、フィオナにとって父さんは昔から『おじさん』だったってことか?」

「はっ!?」


タイグの鋭い指摘に言葉を失うフィオナ。実際、ダヒをフォローしようとした先ほどの彼女の発言は、ダヒの心にもしっかりと刺さったようである。主に別の意味で。


「うう、いいんだよフィオナちゃん、やっぱり女の子からみれば、俺なんてもうとっくに『おじさん』なんだよな……。うん、心のどこかでは、もう気づいていたんだ。でもそれを認められなかった、認めたくなかったんだ……。」

「もう、タイグ。せっかくおじさんの生誕41周年を楽しくお祝いしようっていう日なのに、逆におじさんの心を抉ってどうするの?」

「いや、フィオナ。お前もそれに陰ながら貢献したろ。というか、最後のとどめを刺したのは他ならぬお前だろ。今だって、がっつり『生誕41周年』って追い打ちかけてるしな。」

「それは、まあ、否定はしないけど……。」

「はぁ、どうせ俺なんて……。」


完全に自信を喪失したダヒを見て、タイグはフィオナに言う。


「これは、とどめを刺した張本人に責任をとってもらわなくてはな。」

「私がとどめを刺すような流れに持って行った張本人にだけは言われたくないんだけど!?」


タイグにツッコみを入れつつも、フィオナはゆっくりと席を立ち、ダヒのそばに近寄る。そして、ダヒの耳元で優しく囁き始めた。


「おじさん、元気出して。おじさんはすごい人なんだよ。街を歩いてると、おじさんのこと、よく耳にするんだ。おじさんがいつも整備してる堤防のおかげで、ファーダ川はここ最近で一度も氾濫したことがない。おじさんは、ズンファーに暮らすたくさんの人の命を守ってるんだよ。だからね、おじさんは確かに『おじさん』かもしれないけど、『すごいおじさん』なんだよ。」

「……本当かい、フィオナちゃん。」

「もちろん、本当だよ。」

「……そうか、はは、そうだよな!俺は確かに『おじさん』かもしれんが、『すごいおじさん』なんだよな!俺はズンファーの人々の暮らしを守る男として、胸を張っていいんだよな!はーっはっはっは!」


一気に自信を取り戻して高笑いするダヒをよそに、タイグが感嘆して言う。


「おお、まさか本当に立ち直らせるとは。」

「はぁ、責任とれとか言ったくせに……。」

「しかし、今の話は本当なのか?俺は父さんの話なんて、酒と女がらみの噂しか聞いたことないんだが……。」

「うーん、大体は本当の話だよ。一部脚色も入ってるけど。実際、おじさんが堤防を整備し始めたころからは、一度もファーダ川は氾濫してないでしょ?」

「まあ、確かにそうだが……。」

「タイグはもっとたくさんの人と話をするべきだよ。井戸端会議から得られる情報って、意外と重要だよ?」

「悪かったな、内向的で。」

「おいおい2人とも、何をぶつぶつと話してるんだ?早く食べないと、せっかくのごちそうが冷めてしまうじゃないか。」

「分かったよ父さん。まったく、立ち直ったら立ち直ったで騒々しい親父だこと。」

「そんなこと言わないのタイグ。元気になってくれてよかったじゃん。でも、ごめんなさいおじさん……。せっかくの誕生日なのに、もっと豪華な食事を用意できたらよかったんだけど……。」

「そんなことはないさフィオナちゃん。これで充分だよ。今週からまた農作物が値上がりしたからなぁ、仕方ないさ。」

「1ヶ月くらい前だっけ、北の農地が大雨に襲われて、作物がみんなダメになったんだよね?しかも雨はまだ続いてるとか……。」

「俺が生まれたころは、災害なんぞどこ吹く風~って感じだったんだがなぁ、何年か前に起きた大陸北西部が震源の大地震以来、ずいぶんな頻度で災害に見舞われるようになったじゃないか。ここ100年間に起きた災害のうち、実に7割以上がこの10年間に集中しているらしいぞ。犠牲者も後を絶たないしなぁ……。ああ英雄ディアンよ、どうかご加護を……!」


3人が食卓を囲む部屋の壁に飾られた英雄ディアンの肖像画に向かって祈りをささげるダヒに対し、タイグが皮肉を込めて一言つぶやく。


「まあ、その英雄ディアンとやらが地球ほしの怒りに触れさえしなければ、人類は今頃、もっといい暮らしができてたかもしれないけどな。」

 

ディアン・キャンベル。人類史における大罪人であるとともに、人類に新たな力をもたらした英雄でもある彼の名を知らぬ者は、この国にはいない。さかのぼること364年前、人類は地球ほしの怒りに触れた。これは、件の男ディアン・キャンベルが、もともと地球ほしが持っていた力の断片を奪い取るという大罪を犯したからに他ならない。身の丈に合わぬ力を得た人類に対する地球ほしの怒りは想像を絶するものであった。地面は引き裂かれ、海は荒れ狂い、ありとあらゆる火山が火を噴いた。これが人類史上最悪の大災害、「始まりの大災害」である。人類はなす術なく滅亡するかに思われたが、地球ほしの逆鱗に触れた張本人たる彼の男は、地球ほしから奪い取ったその力で数百万人を保護した。それとともに「始まりの大災害」の起きた年を紀元とする新たな暦「災害後歴」や、崩壊後の世界における絶対順守の法典「ディアン法典」などを制定し、現在まで続く現状唯一の人類国家「ユーラスト」の礎を築いた。かくして、彼の男は大罪を犯しながら、神にも等しいほどの信仰を集める英雄となった。


「いくらお祈りしても返事一つしない肖像画に手を合わせるより、そこにいるフィオナディアンの末裔さんにお祈りした方がいいんじゃないのか、父さん。」

「やめてよタイグ。私にはそんな大層な力はないし、今目の前で生きて動いてる人間を拝むっていうのは、なんだか違う気がする。」


英雄ディアンの死後、彼が地球ほしから奪った力は子孫たちに受け継がれ、細分化されていった。現在、彼の力の断片を有する者たちは「ディアンの末裔」と呼ばれ、「始まりの大災害」以降も人類を脅かし続ける災害に立ち向かうための大きな戦力となっている。フィオナもその力の断片を持っているため、タイグはこのように言ったのである。


「私に手を合わせるくらいなら、私のお父さんとお母さんに手を合わせた方がご利益もあると思うよ?防災隊員だったし。……といっても、まさか本当に手を合わせるべき存在になっちゃうなんて思いもしなかったけどね。4年前までは。」

「コルムくんにエリンさんか……、あれからもう4年も経つんだな。」


英雄ディアンの死から24年後、数百万人まで激減した人口はなおも減少を続けていた。そこで襲い来る災害に抗わんとして彼の一人娘が立ち上げた組織が、通称「防災隊」である。フィオナの父であるコルムは、かつて防災隊の大隊を率いる隊長であったが、4年前、ある任務中の事故により帰らぬ人となっていた。同じく防災隊に所属し、研究員として災害についての研究をしていたフィオナの母エリンもコルムの任務に同行しており、同様に亡くなった。これ以降、フィオナは一人での生活を余儀なくされた。そこで、家が隣同士でコルムやエリンと親交があり、フィオナとも仲の良かったダヒがフィオナを気にかけるようになったのである。そういった事情で、フィオナはクイン家にすっかりなじんでいた。


「そんな悲しそうな顔しないでよ、おじさん。私のことなら大丈夫だよ。確かに、お父さんもお母さんもいっぺんにいなくなって、すごくショックだったのは事実だけど……、もう4年も経ったんだし、ある程度気持ちの整理はついてるつもりだから。」

「……だがなぁ、私もケリーを亡くしているからよく分かるんだよ。前にも話したかもしれないが、もう10年以上前の話だ。それだけ経った今でも、たまにケリーの夢を見るんだ。身内が遠くへ行ってしまったという事実は、そうやすやすと受け入れられるものじゃない。といっても、そのころタイグはまだ物心つく前だったから、ケリー……、もとい母さんのことは、あまり覚えていないと思うがね。」

「そうだな、母さんに関する記憶は、俺の中にはほとんどない。そのおかげで……、といったら不謹慎かもしれないが、俺は身内を失ったという痛みもあまり感じたことはない。それが良いことなのかどうかは、俺には判断しかねるが。」

「……私ね、お父さんとお母さんが死んだって聞いた時、『何で?』って思ったんだ。何で、私の両親は死ななきゃいけなかったんだろうって。そうやってずっと『何で?』って考え続けて、半年くらいたったときにね、ふと思ったの。『防災隊に入ろう』って。お父さんたちがどんな思いで、どんな仕事をしていたのか。防災隊に入ってそれを知って、その志を受け継げば、心につっかえてるものが取れるんじゃないかって。だから、気持ちの整理はついてるって言ったけど、厳密に言えば、これから気持ちの整理をつけるために、今は頑張ってるって感じかな。」

「強い子だなぁフィオナちゃんは。10年以上経ってもまだケリーのことを引きずってる俺とは比べ物にならないよ。」

「それは違うだろ父さん。亡くなった人との向き合い方は人それぞれだ。父さんが何年たっても母さんのことを夢に見るっていうのは、父さんがそれだけ強く母さんのことを想ってるっていう証拠じゃないのか。まあ、それくらい大事な人がいる……今となっては『大事な人がいた』と言うべきか……、もしそうなら、せめて女癖の悪さくらいは直してもらいたいもんだがな。」

「……努力します。」

「タイグってたまに良いこと言うから驚きなんだよねー。」

「なんだよそりゃ。まるでいつもの俺はろくなこと言ってないみたいな言い方だな。」

「えー、だって、そうじゃん。タイグといえば、人の気持ちを一切考えない鋭利な言葉のナイフが持ち味でしょ?」

「言葉のナイフって……、俺は言葉で人を殺したことはないぞ。」

「こういう例えや冗談が通じないところも本っ当にタイグだよね。」

「俺の名前を『頭が固い人』の代名詞みたいに使うなよ。大体、お前こそ、言葉で人の心を抉ることに関しては得意なんじゃないのか?さっきだって、父さんにかなりの精神的ダメージを与えてたしな。」

「あれは、そういう意図で言ったんじゃないって言ってるでしょ?少なくともタイグよりは、相手の気持ちを汲んで話してるつもりだけど?」

「何だとこいつ……!」

「まあまあ2人とも、仲がいいのは結構だが、喧嘩はほどほどにな。」


そうやってダヒが2人を諫める頃には、ダヒの誕生祝いの夕食が盛られた皿はすっかり空になっていた。


「ふー、美味かったなぁ。ごちそうさん。」

「おじさんはゆっくりしてて。明日も早いんでしょ?片づけは私がやっておくから。」

「何から何まですまないなぁフィオナちゃん。きっとフィオナちゃんは、将来いいお嫁さんになるよ。」

「もう、やめてよおじさん。……あ、そうだ、タイグ。ちょっといい?」


夕食を終えてそそくさと自室に戻ろうとするタイグを、フィオナが引き留める。


「なんだよ。」

「明日の朝、ちょっと付き合ってくれない?」

「朝って、何するんだよ。」

「走るんだよ。街をぐるっと一周。」

「そういや、4年前から毎朝やってるとか言ってたな。」

「防災隊の入隊試験では、基礎体力が身についていることが前提になるからね。まだ朝早くてほとんど誰もいない町を駆け抜けるって、意外と爽快だよ?」

「俺はやらんぞ。お前、俺が運動苦手だっていうのを分かって言ってるのか?」

「だからこそじゃん。たまには早起きして運動しなよ。」

「俺の将来設計において、運動は必要ないことになってるんだが?」

「いっつも昼頃まで寝てて、やっと起きた後も結局一日中家に引きこもってるような人の将来設計に従ってたら、体壊すと思うけど?」

「なっ、お前……、俺の生活を覗き見でもしてるみたいな言い方だな。」

「覗き見るも何も、家隣どうしだし、そっちが部屋のカーテン開けっ放しにしてるおかげでいつもよく見えてるよ?」

「よく見えるって……、だとしてもそんな詳細に観察するかよ普通……。だいたい、一日中家に引きこもってると言っても、俺はその間勉強をしているのであって、決して自堕落に過ごしているわけじゃないんだが?」

「知ってるよ。それも毎日見てた。だったらなおさら、難しいこと考えずにパーッと気分転換しようよ。」


何とかしてフィオナの提案を退けようとするタイグであったが、フィオナのあまりの頑固さについに観念したようで…。


「……あー、もう、分かった、分かったよ。いいよ、一緒に走ってやるよ。」

「ふふ、ありがとう。それじゃ、明日の朝6時、起こしに来るから。」

「はぁ……。」


――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――


「いいかフィオナ、約束してくれ。お前は決して防災隊に入ってはならない。この地球ほしの意志にだけは、絶対に逆らってはならないのだ。我々の行いを知った時、お前はきっと――」


「ううん……朝……?」


ダヒの誕生日から一夜明けた、災害後歴364年5月16日午前5時過ぎ。目を覚ましたフィオナは、一つ大きく伸びをしてベッドを離れる。


「そうだ、タイグは……、まだ寝てるよね、多分。」


フィオナが寝室の窓からタイグの部屋を覗いてみると、これまでとは打って変わってしっかりとカーテンが閉まっている。


「あら、これじゃ見えないな……。まあ、『起こしに行く』って言ってあるし、勝手に入っても問題ないよね。」


まだ重い瞼をこすりながら、洗面所へと向かうフィオナ。この時期にしてはよく冷えた水で顔を洗い、頭も冴え始めたところで、フィオナはつい先ほどまで彼女が見ていたであろう夢の内容を思い起こす。


「お父さん……、それは、私には無理な約束だったよ……。」


一瞬、まるで自らを蔑むかのような暗い表情を見せるフィオナ。しかしすぐに自らの両頬をパシッとたたき、気合を入れなおす。


「さーって、お寝坊さんの寝顔を拝見といこうかな。」


同日、午前6時前。フィオナの予想通り、タイグはまだ熟睡状態である。


「……タイグ。タイグ。ねぇタイグってば。起きなさーい。」

「……うう……、なんだよフィオナ……まだ6時前じゃねぇか……。ん?フィオナ?」

「はぁ、やっと起きた。おはようお寝坊さん。約束通り、起こしに来たよ。」

「うあっ!?何でお前がここに!?」

「……タイグってさ、頭いいのに、何でこう肝心なところでそれを発揮できないのか疑問だよね。約束を忘れちゃう男は嫌われるよ。」

「約束……?ああ、そういや昨日……。」

「思い出した?だったら早く着替えて行くよ。」

「分かったよ。ちょっと待っててくれ。……しかし、お前どうやって家に入ったんだ?鍵は閉まってたはずだろ。」

「玄関のドアたたいたらダヒおじさんが出てくれてね、快く入れてくれたよ?ちょうど仕事に行くところだったらしくて。」

「くっそ、あの親父……。」


ダヒに対する愚痴をこぼしながらも身支度を済ませたタイグは、フィオナに急かされながら外へ出る。日の出からまだそんなに時間は経過していないはずだが、太陽がかなり眩しく照り付ける。普段めったに外に出ないタイグにとってはこれだけでも苦痛であるが、これから街を一周走らなければならないという事実がタイグの気分をより落ち込ませたようで、彼の表情はただただ暗い。


「はっ、はっ、はっ、ほらータイグ、もう限界ー?」

「はぁ、はぁ、はぁ、……おい、フィオナ、はぁ、待ってくれ、流石に、はぁ、速すぎ、だろ、はぁ……。」

「これが4年間の差ってやつだよ。もうすぐ半分だから、頑張ってー。」

「何……?まだ、はぁ、半分、だとぉ……。」


2人が走り始めて30分ほど。フィオナが快調に飛ばす一方、タイグはすでに息も絶え絶えになり、まだ半分にも到達していないという事実にまるで絶望するかのような表情である。


「ふー、ちょっと休憩ー。」

「あぁ……、死ぬかと……、思った……。」

「お疲れ様。といっても、まだ半分なんだけどね。」

「知ってるよ……。さっきも聞いた。追い打ちをかけてくれるな……。」

「でも、意外だったよ。いつもよりゆっくり走ったとはいえ、もう少し引き離せるかと思ったんだけど。案外持久力あるんだね。途中上り坂も結構あったのに。」

「全くだ、何なんだこのコースは。ずっと上り坂だったような気がするぞ。初心者にはきついっての。」

「まあ、もっと楽に走れる道はあるんだけどね……。私としては、あの坂を登り切った先にあるこの景色が楽しみで、わざわざこのコースを走ってる感じかな。」


2人が今いる場所は、ズンファーの中でもかなりの高台に属する場所であった。2人の視線の先には、大河川ファーダと、その両岸に広がるズンファーの街並みがみえる。ファーダ川は朝の太陽に照らされ、水面を銀色に輝かせている。2人が走り始めたころにはまだ寝静まっていた街も、少しずつ人の往来が増え、活気づき始めているのが分かる。


「ここは……、俺たちの家がある地区とはちょうど真反対ってとこか。こんな場所があったんだな。」

「ね?たまには早起きしてみるもんでしょ?」

「……いや、二度とごめんだ。早朝から叩き起こされた挙句に片道30分も走らされた対価がこの景色だけというのは、割に合わん。」

「そんなこと言って、どうせ明日も来るくせに。自然、好きなんでしょ?好きじゃなかったら、四六時中勉強してまで地学者目指そうなんて思わないだろうし。」

「いや、まあ、自然が嫌いという訳じゃないが……、俺が勉強するのは、地学者になれば、ディアンの末裔じゃない俺でも、災害に立ち向かえると思ったからだ。父さんの話じゃ、俺の母さんは災害に巻き込まれて亡くなったらしい。当時、災害が起こる頻度は今よりもずっと低かったから、市民の備えの意識が薄れてたってのもあるかもしれないが、それ以前に、もっと人類が災害についての知識をつけていれば、もしかしたら母さんは死なずに済んだかもしれない。どういう原理で災害が起きるのかを知れば、いくらでも対処のしようはあるはずなんだ。俺はそれを知りたいんだよ。災害にまみれたこの世界で、特別な力を持っていない人間が生き抜く術を。」

「……そっか。」


この時のフィオナの表情は、つい1時間半ほど前、自宅の洗面所で一瞬だけみせたそれに似ていた。


「まあしかし、まずは試験に合格しなきゃ、地学者にもなれないんだが――」


タイグがそう言いかけた瞬間、それまで燦然と輝く太陽に照らされていたはずの2人の周囲に、大きな黒い影が落ちた。その影は2人がいる高台を優に覆い隠すほど大きく、明らかに異様であった。自分たちの頭上で、何か異常なことが起きている。2人は直感的にそれを察知したらしく、恐る恐る上を見上げた。するとどうであろう。2人の頭上にあったものというのは、球であった。直径数十メートルはあろうかという巨大な、加えて怪しげに黒く輝く球が、宙に浮いていた。しかもそれだけではない。その球は、移動していた。まるで空中を滑るかのごとく、ゆっくりと。

状況を全く呑み込めていないらしいタイグは、思わずフィオナに問いかけた。


「なぁ……、あれは……、何だ?」

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