追想のクオリア

倉井さとり

 さて。それでは、進めてまいりましょうか。はい。そうですね。ありがとうございます。はい。対話を進めてまいりましょう。先週の続きとして、また、なおかつ、世間話せけんばなしとして。ええ、いわゆる遊戯ゆうぎとしての対話を。はい、ですから、気楽に構えるのが一番だと、私は思うんです。ええ、ええ、あなたもそうお思いになられる? ああ、やはりそうでしたか。なんとなくそんな気はしていたんです。ええ、はい、ええ、ええ。ありがとうございます。


 あ、だめですよ、『先生』は。


 あなたのそういった生真面目きまじめな性質、チャーミングでとても素敵だと思います。しかし、この際です、今日きょうから『先生』はめにしてしまいましょう。その行為の中止、それさえも気楽の枠組わくぐみに含めてしまう、それがいいんじゃないかと私は考えます。


 ええ、たしかに、この一連のやり取り、つまり、あなたが私のことを『先生』と呼び、それに対し私が、『先生』はよしてほしいと応える。これらの、言説げんせつひいては条件反射に落とし込まれた『流れ』それ自体、更に、その周辺概念がいねんまでを含めた総括そうかつ的な枠組わくぐみ、また、その世界観等々は、ある種のお約束化が進行し、それが楽しくもあり、正直に言えば、それを求めている私がいるのも事実です。


 しかし、私は感じています、あなたとの関係性の変化を。はい、もちろん、良い方向に。ええ、つまり、誤解ごかいを恐れずに申し上げるならそれは、私とあなたかんの、心的なインフラストラクチャーの整備が完了したと、そういうことなんです。


 はい、そうです。ええ、つまりそのことにより、『取り組みとしての遊び』、それを行う余地が生まれ、なおかつその実行によって、より流動りゅうどう的な概念がいねん交換が可能になるのではないか、という予感が私にはあるのです。

 はい、つまり、端的たんてきに申し上げるのであれば、私はあなたに、名前で呼んでいただきたいんです。


 ああ、ありがとうございます。そうしてくださるんですね。ありがとうございます。

 なるほど、ええ、ええ、分かりますよ。

 はい。ええ。その通り。あなたの相槌あいづち、それは実に軽やかで、心地よくて、認識にんしき時にはすでに胸に染みっている。光のように、打てば響くように、除夜じょやかねのように。そうです、私はいまやあなたの『先生』ではなくて、それが再帰さいきするのは、来週だということ。はい。そうですね。ただ役割というものがあるだけです。


 ええ、ええ、同感です。人は本来、もっと自由で、ひらかれた存在なんですよね。開示かいじされたたましい、それらの自在な交流、本来ならばこれだけで何不足することはない。役割とは、薄手のカーディガンのようなもの。常に脱着だっちゃく可能であり、そしてささやかであるのが、なによりの存在理由だということ。

 こんな例えは大袈裟おおげさがすぎるかもしれませんが、たった一枚のカーディガンが、熱中症ねっちゅうしょう熱中症ねっちゅうしょうとをわか分水嶺ぶんすいれいとなることだってありる。そして、そのことが、しばしば命取りに直結することは想像にかたくない。


 ええ、ええ、はい、本当にそうです。対話というものは、日々更新され、そして積み重なってゆく。ええ、はい。そうですね。日常に憑依ひょういしているからこそ、その重要性は見逃され続けてきたんですよね。それはまるで、求められながらも認知にんち外に追いやられた、ひたいのうえの物憂ものうげな眼鏡めがねのよう。はい、そうです。それはいうなれば、悲しさを帯びた『灯台とうだいもとくらし』。


 私たちのせいというものは、日々刷新さっしんしていかなければならない。だってそうしなければ、心というものはまたた鈍化どんかしてしまうから。そして、その状態の私たちは、時がくだるだけ、悲しくなっていく一方なんです。この事実を認めなければ、本当の幸せをることはできない。なぜなら、どんなに綺麗きれいひとみだろうと、涙がなければ微風びふうにさえ痛みを覚え、物を見ることなどできはしないから。


 はい、ええ、ああ、なるほど、良いことを言いますね。たしかに私たちの対話だって、私たちが思っている以上に素晴らしいものなのでしょうね。学びのあとのすこしの合間に、他愛のない会話を重ねてきた、表層ひょうそう的には、ただそれだけのことなんですよね。しかし、それがなにより重要だということも、また事実です。これは、ささやかながらも、確かな歴史なのですから。この『歴史』という言葉に、注釈ちゅうしゃくれることが許されるのであれば、こうですね、『――あなたと私の、個人史のまじわりとしての世界史――』と。


 が、しかし、ここで注意しなければならないのは、世界系の魔の手は、常に私たちの周囲を取り巻いているということなのです。いくら容易に繋がることができるとはいえ、なにかと若者たちの自由恋愛に介入かいにゅうしたがる、お節介せっかい焼きのマダムたちのように、世界にちくいち介入かいにゅうし、また、他者との比較ひかくに時間を割きすぎるのは、己の人生の放棄ほうき相違そういないのですから。


 つまり私が申し上げたいのは、いまがどんなにグローバルな世界だとしても、じかの対話や世間話せけんばなしのような、土着どちゃく的なはぐくみを否定する法などありはしない、ということなのです。そしてなによりも、私は感じています、対話を通してあなたと意見が一致する、あるいは意見が分かれる、そのたびごとに、喜びを、楽しさを、嬉しさを、そして、知的絶頂ぜっちょうを。

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