君に、恋していた

西川笑里

第1話 春

 ——カシャーン、カシャーン


 鉄骨を打ち付ける音が響いていた。大声でなければ隣の人でさえも何を言っているのかわからない、ビルの工事現場だった。

 冬が過ぎて一気に気温が上がってきた現場には筋骨逞しい男たちの流れ出る汗。

 ——男たちの職場

 ボクはそこで設計担当者のひとりとして、毎日ヘルメットを被って働いていたのだ。笑うだろう? このボクが、だ。


 ⌘


「女性?」

「そう。男女共同参画を国を挙げて進めているだろ? うちも同じだよ」

 ボクの驚きを、「まあ君たちならそう思うだろうな」という涼しげな顔で部長が言った。

「いや、そりゃあ国の指針はそうかもしれませんが、あそこは綺麗な服を着て働ける都会のオフィスなんかじゃないんですよ。言葉は悪いけど、むさ苦しい男たちしかいない現場の管理者を若い女性だなんて、いくらなんでも」

「まあ、若いったって彼女もアラフォーだ。そこまで若くないぞ」

「いや、前の現場管理者はそれこそ定年前のおっさんだったじゃないですか。現場の人たちが素直に指示を聞いていたのも、彼の経験やスキルとかを現場が理解してたからでしょう? そもそもその女性、現場で働いたことがあるんですか?」

「まあ、多少はな。ここでグダグダ言っても、もう本社が決めたことなんだ。お前にはそのサポートをするように命令が出てる。頑張ってくれ」

 それ以上有無を言わさないぞ、という顔をして部長はボクの肩をぽんぽんと叩いて背を向けたのだった。


 ——絶望だよ。


 今日の今日までボクが聞いていたのは、新しく現場管理者として本社から赴任してくる課長の苗字だけであり。資材の納期遅れのため遅々として進まない今回のビル建設現場での作業員たちとのトラブルを、本社ではやり手だと聞いていた新しい課長——あの現場事務所では事務所長となる——が上手く捌いてくれることを期待していたボクの気持ちをものの見事にスルーされた気分だった。

 その新しい課長が赴任してくる日、ボクは今の現場から車で1時間ほど離れた場所にある支社に先に顔を出し、その時になって初めて課長が女性だということを聞かされたのだ。ボクが支社に着いたときには、入れ替わりでその彼女——つまり新しい課長——はすでに1人で現場に向かったということだ。


 ため息のひとつも出るもんだ。そういう気分のボクへ、部長が振り返りざま、

「おお、そうだ。彼女なあ、話によるとかなりの宇宙戦隊オタクらしいぞ。よかったな、堅物じゃなさそうで。ははは」と、笑いながら立ち去っていった。


 ——なんてこった。絶望してる暇がない。


 そう、ボクは目の前が真っ暗になった。


  ⌘


 支社から現場管理事務所へ帰ったボクは、キョロキョロと事務所内を見回してみたが、新しい所長の姿は見えなかった。

「坂崎さん、新しい所長はどこに行かれました? とりあえず現場を案内しなきゃいけないんですが」

 事務員の坂崎さんに聞いてみると、すでに現場に1人で行ったという。

 ——まずい! いきなりオタク女子が行って掻き回してみろ。余計に現場が反発してしまう。

 ボクは慌てて編み上げの安全靴に履き替え、ヘルメットを手に建設中のビルに入って新しい所長を探した。顔は知らないが、見ればすぐわかるだろう。


 建設予定の十五階建てのビルは、十階までできている。作業員用の簡易エレベーターもあるが、ボクはそれは使わずに一階一階隈なく歩き回りながら、彼女の姿を探して階段を上がってゆく。しかし、どこにも姿がないのだ。

 ——もしかして、作業員の人たちから怒鳴られて、泣いているんじゃないか?

 そんなことさえも心配しながら、ボクはとうとう一番最上階まで上がったところでついに彼女を見つけたのだった。

 ヘルメットとマスクを着けた彼女は、会社の浅黄色の作業服で現場の真ん中に立っていた。背は高くなく、むしろ一般女子の平均より小さいと思われた。その彼女が、まったく怯える様子もなく、むしろ堂々と立っており——。

 ボクなんかよりもこの現場にいることが相応しい、実はそう思ってしまったのだ。男の体を持って生まれたボクよりも。

 それが五年前の春のことだった。

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