閑話Ⅲ

悪魔リーンは世界の狭間で同僚と話をする

「もー。酷い目にあいましたわ」


 空間転移を終えたリーンは、朝霧桃華に殴られた箇所を押さえながらため息をついた。


「こっちが攻撃できないと分かったら容赦なく殴るとか。教育がなっていません。これだから人間は……」


 ぶつぶつ言いながら殴られた箇所に手をやるリーン。痛いと言えば痛いけど、気になるレベルではない。むしろあんな暴挙に出るとは思わなかった驚きの方が強い。


 ため息をついてリーンは疲れをとるように体をほぐした。背筋を伸ばすように真上を見上げ、そして視界を周囲に戻す。すべてが白で構成された世界。上も横も下もすべて白色。上も下も足場もない。そんな白い空間。そこにリーンは浮かんでいた。あるいは沈んでいた。


 ここはミルガトース世界とは異なる空間。世界の中にあって、世界ではない。いわば世界の隙間のような世界。ミルガトースに住む人間からは悪魔が住むと言われている世界。


 ここには何もなく、そして何でもある。白亜の城を望めばそれが生まれ、地獄を望めばそれが生まれる。何もなく、だからこそなんでも作り出せる場所。リーンが指を動かすと、それに合わせてカップと温かい紅茶が生まれた。それを口にし、一息つく。


「よう、リーン。負けて帰ってきたんだってな」


 一息ついているリーンにかけられる声。白の空間に人間大ほどの四角の線が走り、そこからドアをくぐるように一人の悪魔が現われる。黒い肌を持ち、頭に角をはやした男性人間。筋骨隆々な体躯は日本の鬼を思わせる。


「暗黒騎士にサンメンロッピ、それにテケリ=リ……結構な封印された魔物みしようデータを使った挙句に何の成果も得られなかったとはな。お笑い草だぜ」

「ええ、テンマさんのおっしゃる通りです。返す言葉もございませんわ」


 リーンは男悪魔――テンマの言葉に対して、そう笑って返す。実際、三つのデータを使って得られたものは何もない。三つの魔物は討たれてしまい、失われた。


「契約させて人間に封印魔物を与えるとか、まだるっこしいことしているからな。所詮お前はその程度の悪魔なんだよ。

 俺みたいに強引に魔物化させなないと、時間がもったいないぜ」


 言ってテンマは手にした鎖を引っ張る。その鎖の先には、首輪で繋がれた人間があった。正確には、人間と思われる跡を残したモンスターだ。ある者は下半身が蛇のようになっており、ある者は背中から触手が生えている。ある者は犬のような顔になり、ある者は体から突き出した骨が槍のようになっている。


 不格好。不気味。不細工。生物としての根幹が崩れている。呼吸の度に人間と魔物の境目から紫色の気体が漏れ、動くたびに苦悶の声が上がる。自らの意志もなく、引っ張られるままに引っ張られている。そんな生命体。


「失敗しているじゃないですか。適合しない相手に強引に融合させたのが見え見えですよ」


 リーンはため息とともに、その生命体を評した。自らの意志で行動していた暗黒騎士ルークサンメンロッピナタとは大違いだ。力はあるが、それを使いきれない。むしろ与えられた力で自壊しそうな様子すらある。


「契約内容を十分に伝えずに適合させましたね? 死ぬ寸前まで痛めつけて、死にたくなかったら魔物を受け入れろとか。力技にもほどがありますわ」


 悪魔が『ステータス』を弄れると言っても限度がある。ある程度のルールに則って初めて相手のステータスに干渉できるのだ。他人を魔物化するのも同様で、そのルールが完全でない場合、こういった不具合が生じるのである。


「はん。人間相手ならこの程度で十分だ。見た目で戦意を損なわせて、一気にカタをつける。死なない奴がいたらそいつを魔物化させる。それで十分なんだよ」

「そんなの美しくありませんわ。元の魔物の形を100%引き出さないと<ケイオス>様に申し訳ないと思いません?」

「その<ケイオス>様の目的がこの世界の人間淘汰だろうが。そっちこそ申し訳ないと思わないのか?」


 二人の悪魔は一歩も引かない、と言う感じで視線を交差させる。言葉なくにらみ合い、先にその硬直を解いたのはリーンの方だった。


「確かに。成果をあげない私が何を言っても、ただの言い訳にすぎませんね」

「そういうことだ。所詮お前は型にこだわる二流。俺のような超一流の悪魔は型を破って頭を使うんだよ。

 貴様がちんたらやっている間に、アウタナはほぼ制圧できたぜ」

「ええ、確かに型破りですね。お見事ですお見事です」


 手を叩いて称賛するリーン。その後で彼女は鼻を鳴らすように続ける。


「ほぼ……つまりまだ完全制圧はできていないということですね。それだけの封印された魔物みしようデータを使って、いまだに落しきれないとは、どういう体たらくでしょうか?」

「……っ、うるせぇ! それも時間の問題だ。戦力差は圧倒的だからな。じわじわと攻めればいいんだよ!」


 未制圧、の話をした瞬間に渋面になるテンマ。指摘されたくない部分を突かれ、怒りの声をあげる。


「おお、怖い怖い。確かに戦力差は圧倒的です。所詮は人間の集落。如何に連携しようとも勝ち目がないのは明白ですね。時間をかけて落とすのが良策と判断されるのも当然かと。これは失礼」

「……ふん、分かればいいんだ分かれば。せいぜい俺の活躍を引きこもりのアンジェラと一緒に見てるんだな」

「アンジェラさんは<ケイオス>様の世話とデータ管理をしているので、引きこもり扱いはどうかと。裏方とか縁の下の力持ちとかそういう言い方をしてあげたほうが――ああ、もう行ってしまいましたか」


 リーンが最後まで言葉を言う前に、テンマは現れた時と同じように空間から消えていた。引き連れていた出来損ないの魔物も同様にいなくなっている。煽られてアウタナに向かったのだろう。


「時間がいつまでも貴方の味方だといいですね」


 リーンはヤーシャ国境を抜けた二人の子供を思いながら、笑みを浮かべる。


 アサギリ・トーカとイザヨイ・コトネ。遊び人と聖女の事を思いながら。

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