青春最中、青春を懐古。

@Hiyomaro

第1話

 太陽が街の端から覗く紺碧こんぺきの空には、真夏の到来を裏付けるかのように積乱雲が浮かんでいた。

 1年生の春に買ってもらった目覚まし時計を止め、今にもまた閉じようとする目を擦りながらも布団を抜け出す。いつものTシャツに着替えサンダルを履き、照り付ける猛暑がまだ目を覚まさぬほど静かな住宅街を駆ける。

 薄紫色の空を仰ぐ中学校の校庭は人々と共にかすかな喧騒を生む。ここでしか見ないような園児とその両親、いつもラジオの横に居る町内会のおじさん、暇なのか毎日来ている爺さん。顔しか知らない人間も増えたものだ。休みだというが、一日の中で同級生と顔を合わせる時間は前より2時間ほど早くなった。

 毎日同じ声が陽気に何処かの県の初めて聞く町の様子を伝えている。前の人たちの動きを真似て体を適当に──相変わらずラジオからの指示とは鏡合わせの向きに──動かしながら、今日も飽きずあのゲームの情報交換をする。ゲームとは関係ないが、「夏休みの友」討伐タイムアタックの自慢の流行は3日前には終わったようだ。

冬の日にとっておきたいような空気の中Tシャツに汗がにじむ。

 気が付けば健康な男の声がその終わりを告げ、いずれお菓子セットと化す判子ハンコを得る頃には空は既に薄暗さを失い、氷色の空が純白の雲と共に一日の始まりを7時間遅れで伝えているようだ。まだ聞こえるラジオの向こうの声はそれを迷惑に思うのか、今日もしつこいほどに水分補給と冷房の使用を呼び掛けている。

 午後1時にあの携帯ゲーム機を持って例の公園で集合する口約束をした私たちは校門の人混みを抜けた。

 誰が住んでいるのかも知らない家が立ち並ぶ小径こみちはさながらダンジョンだ。注意してくる人目を警戒しては私の身長くらいだろうか、130㎝程もある高いブロック塀をよじ登り歩いてみる。一度見つかれば面倒な人目と、頭を打ちかねないと思えるほどの高さに怯えながら飛び降りるときはいつも膝に強い衝撃を覚えるが、この前これを自信満々に見せてくれた同級生の彼も同じような痛みを覚えるのだろうか。アブラゼミが性懲りもなくまた叫び出す。あの主人公になったようなつもりで、誰と競走するでもなく疾走し家の戸を開けた。

 朝のテレビを見ながらキンキンの麦茶と共に形容し難い種類の美味しい匂いのするトーストを1枚食べていた。一口食べるごとに今日起こるだろう楽しいことが次々と思い浮かぶ。

 みんなと浴びるプール前恒例の地獄のシャワーに学校に禁止されているコンビニでの買い物。今夜も音を立てないように布団の中でするゲーム。公園でのカードバトルやサッカーの情景。ああ、公園でサッカーしたらこの前6年生のボールに家の壁を壊されたおばさんが怒鳴り込んでくるんだっけ。

 ごちそうさまの後に歯を磨いて顔を洗い、読書感想文に買ってもらった本は放置してそれと同時に買ってもらった月刊コロコロコミックに手を伸ばす。1日で隅々まで読み切ったそれを今日もなめ回すように読み、どれを懸賞けんしょうに応募するか考える。

 気が付けばそろそろ出発の時間だ。毎日忘れかける体温計測をした後にプールバッグを背負い、「行ってきます」の元気な声と共に学校に向けて飛び出した。


 目を覚ますと私は座っていた。時にキノコと揶揄やゆされる流行りの髪型をした私はTシャツでも短パンでもなく制服に身を包み、他の人々と同じく病人のようにマスクを着けて学校に向かっていた。私の乗る列車は気だるげな雲の手によりひどく丁寧ていねいまぶしい朝日から守られていた。どうやら私はある夏の日の夢を見ていたようだ。

 朝の中学校の校庭にいつもいた名前を知らない彼らの顔も思い出せず、貰った後に満足感に顔をゆがめる程笑った200円もしないお菓子セットには価値を見出せない。あの頃夢中で何時間もしていたゲームは起動することすらないしあの公園に足を踏み入れることもない。家の周りの道など歩いていても何も面白くない。Tシャツと短パン、ボサボサの髪で家を駆けだす、好奇心と活力と希望に満ち溢れた頃の私は当の昔にいなくなってしまった。

 疲れた人々をありったけ詰め込んだ、散々叫ばれる感染対策も形骸化けいがいかしたような電車は私も乗せて走る。車窓の向こう側に映る灰色の景色を眺めていた。

 人々が「青春」と呼ぶ今を生きている私たちの日常は予想外の災禍さいかにより本来あるべき姿と異なるものになっているのは確かだ。青春時代を送っている世の人間は様々な形で理不尽にその日々をむしばまれているのだろう。程度に違いはあれど私もその一員のはずだ。感染対策を口実に私たちを抑圧する社会を構成する大人たちは我々よりもっと楽しい「青春」を送っていたのだろうか。こんな夢を見た私は心の奥底で美しい過去の日にゆっくり浸かり、懐古することを望んでいるのだろうか。

 昔の私の人格はとうに失われた。だがどうだろう、あの頃の一種の「青春」と呼べるであろう記憶は今でも私に強く残っている。あの頃共にいた彼ら、今はLINEやインスタ程度は繋がっているがあの頃ほどの時間は共有していない彼ら、私と同じように当時の価値観や感受性を投げ捨てて良くも悪くも変わり果て、成長した彼ら。彼らがもし私と過ごしたあの日、あの時間を忘れていたとしても。私さえもその場にいた全員が忘れ去ってしまった時間があったとしても、それがあった事実は現在の私たちを形作る要素の一部なのではないか。

 納得のいかないこの日々だが、その中で多くの出会いがあり、経験があり、苦悩があった。他の世代が送ったものより制限が多く異常なこの日々も、いつか我々にとっての青春時代として思い出せる日が、未来の私を形作る事実となる日が来るのだろうと信じる。そうでもしなくちゃマジでやってらんねえ。

 私はこの日々が、まずはこれから始まろうとする今日が誇りを持っていつかの未来に「青春」の記憶になれるように願いながら改札を出た。

 相変わらずの曇り空を目に焼き付けながら私は歩きだした。

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