【2012年 実写化映画】「ドラゴンクエスト」が提示した別の世界は、「物語としての現実」だった。

『郷倉』


 ここ数日、返信できず本当に申し訳ありません。


 頭痛がやばくて、コンタクトレンズをやめたり、父親から家のローンを払い終えたという連絡があったり、保護犬カフェへ行ったり色々していました。

 けれど、大きな理由は、どう返信するか結構真面目に悩んでしまったからです。


 こういう時、思い付きでぱぱっと書いてしまえれば良いのですが、僕の中にいる編集者的な郷倉四季が「お前は手を抜いてもまともなものが書ける実力があるのか?」という圧をかけてきて、いえ! そんな訳ありません。


 ということで、結構ガチ目に考えていた次第です。


 けど、マジな話、僕自身が小説を書けていないのに、どの口が創作者の方にオススメとかしてんだよ、って話なんですよね……。


 とはいえ、書くからには読んで下さる方に有益な情報を提供できればと思います。


 さて、WEB小説で終わりを見失ってしまう人に見て欲しい映画、ということですが、まず前提として、どうしてWEB小説って終わりを見失ってしまうんでしょうか?


 例えば、ラブコメ作品であれば、主人公とヒロインが結ばれて終わります。続けるにしても結婚したり、子供ができたり、というアフターストーリーがあるくらいで、それほど続けられる訳ではありませんし、主人公を交代するにしても、永遠と続けられる訳ではありません。


 ここで、終わりを見失う要因となるのは、舞台が現代ではない、ということが重要になって来るような気がします。


 総じてファンタジー作品が終わりを見失ってしまう要因になっているように思います。

 と行っても、舞台が現代でファンタジーな作品もあるので、一概には言えない部分ではあるのですが。


 実は現代のファンタジー作品って、終わりのない、ある種の永遠性を含んでいる部分があるんです。

 多くの人がファンタジーと言われて、思い浮かべるのは「ドラゴンクエスト」になるかと思うんですが、それを作った堀井雄二は「僕はゲームの本質を、狭い固定された現実の世界を忘れ、別の自分、別の人生を体験することだと思っている」と語っています。


 その上で、「何をすべきかがプレイヤーにすぐ分かるように、目的をゲームの冒頭で提示し」ました。

「ドラゴンクエスト」は別の人生を体験する為に作られていますが、そこで最初に教えられるのは「竜王を倒せ」という「ストーリー上の目的」なんです。


 つまり、「ドラゴンクエスト」が提示した別の世界とは、プレイヤーにとっての新しい現実ではなく、「物語としての現実」だったんです。


 で、この「物語としての現実」を生きる要素をもっとも濃く受け継いだジャンルが「異世界転生もの」なんだと思うんですよね。


 ほぼ最初から最強レベルで物語世界を「攻略」して行くことを「異世界転生もの」の読者たちは楽しんでおり、そこで「別の自分、別の人生を体験」しているので、終わりは別になくとも良い。


 書いている側も、それが薄々分かっているから、終わりの想定がないような作品が多い気がします。


 そんな作品を如何に綺麗に終わらせるか、という点で、紹介したい映画作品として浮かんだのは、岩井俊二の「リップヴァンウィンクルの花嫁」でした。


 ちなみに、リップ・ヴァン・ウィンクルは昔話で、旅先で出会った小人に酒をご馳走になります。あまりに美味しいお酒なので、飲み過ぎて寝てしまい、目覚めると数十年経ってしまっていた、というものらしいです。


「リップヴァンウィンクルの花嫁」という映画も、そういう内容なんです。

 1時間58分ある映画なのですが、そこで主人公の皆川七海が体験したことは、お酒で酔っ払って見た幻だって思うくらい荒唐無稽で現実感がない内容だったんですよ。


 と言っても、現実感がなくとも皆川七海はその荒唐無稽な内容を覚えているし、その体験が今後の彼女の日常を彩ることは間違いない、という予感で映画は終わるんです。


 言ってしまえば、「ドラゴンクエスト」だったり、「異世界転生もの」は荒唐無稽で現実感がなく、同じゲーム(や小説)をプレイした同士でしか共有できないものですが、心の内に「物語としての現実」は残り続けるんですよね。

 僕はそれが結構大事なことだと思っています。


 なので、僕の提案は日常への帰還です。

 言い換えれば、スタート地点と殆ど同じ場所、です。


 どんな体験をしたとしても、毎日の地味な日常は変わりません。世界を救おうと、ファンタジー世界で特別な地位につこうと、学校に行き、仕事へ行き、家事をしないといけないのは変わりません。


 その変わらなさの中で、ファンタジーな体験が「物語としての現実」として僕たちの心の内を彩ってくれるのだろう、という予感で終わるのは少し勇気がいるかも知れませんが、理に適っていると思います。


 ゲームはいつか終わります。

 物語も当然、いつか終わるんです。


『倉木』


 スタート地点と同じ場所に戻るってのは、大きな力を手に入れて失う。みたいな、いわゆるオチものの作品に共通した物語やね。


 ただ、全く同じ地点ではオチがついてないので注意が必要かも。

 はた目には変化がなくても、内面は変わってればオチがつく。それこそ、主人公が口癖を発する際の意味合いが変わっているだけでも、変化があったってことでオチがつく。


 無論、後ろ向きな変化があって終わっていい。

 たとえば、とある異世界転生もののチート主人公が転生前の日常に戻った。チートで無双して無自覚に手に入れた傲慢さから、闇金ウシジマくんみたいなのに巻き込まれるオチがあってもいいんじゃないかな。


『郷倉』


 そういえば、異世界から日常への帰還を果した主人公が不幸になる話として、秋口ぎぐる先生の「いつか、勇者だった少年」がありましたね。


 さて、おっしゃる通り、全く同じ地点への着地は結末として美しくありません。

 倉木さんが提案するような変化を見せるべきだと僕も思いますが、大前提としてまったく同じ場所になってしまった場合は、書き手の実力だったり、物語がそれを求めていたり、という理由もあります。


 なので、結末が全く同じ地点だった場合は、なぜそうなったのか?という点を考えてみると、良いかも知れません。

 多くの方が言っていることですが、完結しないと他人に物語の評価をしてもらうことができないんです。そして、それは自分という読者に対しても、同様のことが言えます。


 完結させてから、考える。

 結構大事だと思っています。


 あと、今回の対談の中で倉木さんが「宇宙兄弟」に触れた際に、「上質な打ち切り作品。」という表現をされています。


 物語を終わらせる、という点で言えば、連載漫画の打ち切り。

 そういった方向での終わりがWEB小説界隈にあっても良いのかも知れませんね。

 連載漫画のような制限はありませんから、力の限りの「上質な打ち切り」を書いてみていただきたいものです。


『倉木』


 というか、長編小説を、想定したオチで完結させるという経験は極めて重要だと思う。

 いや、言葉を選ばずにいえば、気持ちがいい。

 長編小説を苦労して書ききったとき、脳から変な汁が出てると思うよ。

 脳汁があふれるのは、セックスとはまた違った気持ち良さがあるから、みんな完結させようね。

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