その昔、雑文祭りというものがありました

水原麻以

むかしむかしインターネットの遠い遠い場所で

雑文祭りというイベントがありました。まんまカクヨムの自主企画です。

ただ小説投稿サイトどころかSNSという用語はおろか、ブログさえ発明されていない頃のお話です。

自分の作品をインターネットを通じて世に問うという文化は既にありました。

しかし殆どのユーザーは見て読むだけで精一杯。書くことと言えば通販サイトの申し込みフォーム、そしてオンラインチャットしかありませんでした。

他の手段として匿名掲示板がありましたが無責任で悪意に満ちた危険な場所でした。

とても小説を発表できるような雰囲気ではありません。


そこでどうしても発信したい人はオンラインの場所をレンタルする企業と個人契約する事になります。

そしてウェブサイトを表現するHTMLというプログラミング言語を自力で習得し、自分の小説に組み込む必要がありました。


これだけでは作品をまだ公開できません。

FTPという特殊な通信手段をマスターして契約先のレンタルサーバーにアップロードする手続きを踏んで完成です。


HTMLは覚えたけどFTPでつまづく人は多かったのです。


長々と前置きしましたが、やっと本題につながります。


苦心惨憺してようやく公開にこぎつけた自作小説。

カクヨムのように至れり尽くせりのツールなんてありません。

グーグルもツイッターが現れるのは先です。

人知れずひっそりとインターネットの片隅に放置されたままです。

では、どうやって個人のサイトを発掘するかと言えば

今でいうまとめサイト的な場所の主に平身低頭してURLを登録して貰うか、知り合いのメール。そしてインターネット専門雑誌という紙媒体がありました。


そんな細々とした手段の一つに「雑文祭り」があります。

スタイルはまんま自主企画です。

違うのは主催者が個人。そしてランキングや点数システムがないという点です。

「七夕雑文祭」「中秋の名月だよ雑文祭」「振られちゃったよ雑文祭」「飲めや歌えや雑文祭」

様々な祭りが催されました。

「へぇ。面白そうだな」

インターネット雑誌だったか紹介サイトだったかは忘れました。私は雑文祭という存在を初めて知り、今ではとても小説とは言えない代物を寄稿したのです。


牧歌的な時代でした。匿名をかさに着た感想に心を折られるようなこともありませんでしたし、中身をロクに読まないアクセス稼ぎ丸見えの高評価も無かったです。


あるのは同じ物書きとしての敬意と節度。そして「ああ、こんなにも見てくれる人がいるんだ。投稿って素晴らしいな」という感慨でした。


もちろん、その時の体験だけでモチベーションを引っ張るには無理があります。ネットに発表するという事は悪意にも晒されるということです。


しかし、オンラインに上げなければ、是非もない。ただの静的なテキストです。

自分の文章をどう扱うかは自分次第です。



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その昔、雑文祭りというものがありました 水原麻以 @maimizuhara

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