第7話 「奈乃華」


「もしもし? お兄ちゃん?」


「あのさ……私、クリスマス前にそっち行ってもいい?」


「は?」


 それは随分と唐突だった。涼太の従姉妹いとこにあたる少女からの家電への着信。

 そして自宅に帰宅した彼が一息着こうと着替えをし、ベットで寝転ぼうとした矢先に掛かってきた受話器の最初の一言がそれだ。

 完全に出るのが涼太である事を狙いすましたかのような、突如の乱入宣言。思わず聞き返すのも必然だろう。


「…………俺ん家に?」


「にひひ。うん……だめ?」


 電話向こうで随分と悪どい笑みを浮かべているのであろうことは容易に予想が着く。どちらにせよ、あまりに不意な事なので判断に迷う。


「いや、ダメというかさ……」


「………なんたって急に?」


 受話器越しに聞こえる幼い声────水無瀬 奈乃華なのかはそれを聞くや否や「んー」と考え込むように軽く唸る。


「ほら、2年前からさ。お兄ちゃん受験生だったのとかもあって私、お兄ちゃんの家に行ってないじゃん? 去年に関しては私がインフルで行けなかったし」


「……だから、お兄ちゃんの家族と私の家族みんなでクリスマスパーティー久しぶりに開いたら、絶対楽しいクリスマスになる気もするんだ」と相も変わらず、はきはきと明るく、奈乃華はそう言った。


「………まぁ、確かにクリスマスは賑やかな方がいいかもしれないけど」


 少なくとも、活気が無いよりはいいかもしれない。───あぁ、そういえば、と彼は芋づる式に記憶を掘り出す。

 昔、それこそ彼がまだ10歳くらいの時の話だったか。

 何度か彼女の家族と彼女自身がクリスマスに遊びに来たことがあったのだ。

 何をきっかけにだったのだろうか。そう。確か母親が元々奈乃華の両親と仲が良かったんだったか、と涼太は内心思い返す。

 当時最初に奈乃華が彼の家に来た際は、まだ彼女は7歳だった。その頃からよくゲームをして一緒に遊んだり、ままごとに付き合ったりしていた涼太は彼女にそれをきっかけとして懐かれるようになっていった。


 やがて気が付けば、彼は何故か「お兄ちゃん」と呼ばれることになった。無論、あくまでも彼女の存在は従姉妹であり直接的に血が繋がっている訳では無い。


 故にその呼ばれ方に対し、彼は最初こそ違和感を感じていた。だが、毎年のようにそう彼女から自分の名前を呼ばれるようになるうちに、やがてそれが彼にとって次第に自然なものになっていったように涼太は思う。

「まぁ、迷惑になりそうやったら全然大丈夫やけん……どうかな?」と奈乃華はその地方の独特の語尾を挟みながら質問してくる。

 彼は受話器を肩に乗せ、頬横で支えつつ、コーヒーをすすりながら考えてみた。


「うーん」


 実際のところ、だ。どうなるのだろう、今年のクリスマスは。


「……やっぱ、それは母さんとかに聞かねぇと分からねぇな。でも俺的には今年は全然……」


 そこまで言ったところで、彼の頭にはある人物の事が頭に浮かんだ。


「…………………」


「? どうしたの?」


「あぁ、いやまぁその……もし来るんだったらさ、24日じゃなくて25日に来てもらっていいか? その日にパーティしようぜ」


「? なにかあるの?」


「え、いや別に……まぁその、ちょっとな」


 ふーん……と語尾に疑問符がついてそうな発音で彼女は不思議そうに呟く。

 すると、何を思ったのか「……もしかして、お兄ちゃん好きな人出来た?」と奈乃華は興味津々そうに声色を変えて聞いてきた。

 げほっごふぉっぁっごほっごほごほごほっ。

 あまりに鋭い中学2年生のその指摘に、涼太は受話器を片手に飲んでいたコーヒーを吹き出す。ここぞとばかりにせまくる。しまった、きったね。

 

「は、は、はぁ!? な、なんでそうなるんだよ!?」


「わっかりやすぅー! お兄ちゃんやっぱ変わってないね」


 奈乃華がけらけらと楽しそうに笑っているのが電話越しにでも彼にはよく分かる。

 奈乃華の言うとおり、元々涼太は隠し事が苦手な性格だった。言葉の機微から嘘を見抜く感性を持っているのか、彼女には涼太はいつも嘘が通用しないのだ。

 何ならむしろエイプリルフールにおいては、彼女と3歳差であるにも関わらず、いつも涼太の方が呆気なく奈乃華の嘘に毎年騙されている次第である。

 ったく、なんでこいつこんな鋭いんだよもうふざけんなよ馬鹿野郎、と内心毒づく。が、知らず知らずの間に彼の頬は緩んでいた。


「で、なになに、どんな人? その人!!」


「言わねぇよ!!」


「えぇぇええ! いいじゃんか、じゃあ教えてくれたら私のスリーサイズ教えてあげてもいいよ?」


「いや軽ッッ!! お前のスリーサイズの価値は俺の好きな人の話ひとつで公開していい程に軽いのか!?」と思わずまた咽せそうになりながら涼太はツッコむ。


「まあね! ていうか聞いて? 最近おっぱいおっきくならないんだよぅ、どうしたらいい?」


「知らねぇよっっ!! なんでそれをよりにもよって俺に言うんだよ!?」


「だってさー私の親友なんか最近ツーサイズもおっきくなりおってさー。やっぱり揉んだらおっきくなるのかなぁ………と思って?」


「知るかぁああぁああああああああ!! 女子でもねえ俺がんなこと分かるわけねぇだろ!!」


「あ、ごめん。ていうかそうか、お兄ちゃんもう盛りまくりの男子高校生だもんね。中学生の胸の事情なんか聞いたら欲情しちゃう? いやんJCに欲情しちゃダメだよ? ろりこんになっちゃう。いえすロリ、のータッチ、だよ?」


「黙れいっぺん死ね」


「うわーんひどい、お兄ちゃんに死ねって言われたあああ!! あ、ていうかぁ、否定しないんだ。お兄ちゃんのエ・ッ・チ♡」


「なあ切っていいか? 切っていいよな、切るわ、じゃあなメリークリスマスバイバイバイバイ」


「わぁあああああごめんなさいごめんなさい切らないでお願いいいぃぃぃぃい!!!」


 閑話休題。


「で? 要件は結局それなのか?」と、涼太は怪訝の表情を浮かべながら続ける。すると、通話向こうの相手は何やら「………」と先程とは一転して黙り込む。

 

「……? 奈乃華?」


「……実は、ね。それだけ、じゃないんだ」


「……ん? なんだよ」


 すると、唐突として奈乃華の声は少しどもる。こちらとしては急に声色が変わり、どうにも困惑せずにはいられない。

 それにしてもベットか何かの上で転がっているのだろうか。涼太はその様子に小さく不信感を覚える。

 すると、ギシッと金属が軋むような音ともに奈乃華は何やらうぅー、とまた軽く唸り始めた。

 何してんだこいつ。

「どうしたんだよ」と質問する。それは、何か話す事を躊躇ちゅうちょしていると感じさせるには十分過ぎるほどの間の置き方だ。

 それが余りにも長く感じた涼太は「……いやまあ、アレだぞ。別に無理して話さなくても」と気を遣おうとする。

 すると奈乃華は「ううん、違うの」と何やら少し声を大きくさせてそれを遮った。


「…………?」


 一体何をそんなに躊躇ためらう事があるのか。涼太はかえって戸惑いながら彼女の返答を待つ。

 もしかして何か重大な悩みか何かなのだろうか。それこそ胸の大きさなどよりも、余程大きな悩みか。

 いや胸の発育状況も、年頃の女子中学生には割と重要な悩みなのかもしれないが。


「……あの、ね。お兄ちゃん」


「何だよ。数秒くらいずっと悩んでるけど、そんなに大事極まりないことなのか? ならそれは俺に言うよりも……」


「違う、の。多分、お兄ちゃんが一番その、相談しやすいから」


「……!」


 それは、なんとも彼にとっては意外な言葉であった。自分自身が決して悩みを話しやすい人間であろうとは思わないが故に。

 そして彼女は何やら意を決した様によし、と呟く。


「……あのね、お兄ちゃん。驚かないで、聞いてね?」


「お、おぅ」


 やはり重要なことか。涼太は思わず身構える。無意識にポケットの中の右手が、ジャージの内生地をギュッと握り込む。


「私ね」


「好きな人、出来たのかも、しれない」


「………………」


 好きな、人。

 その声はやけに小声だった。耳を澄まさないと聞き取れない程の、普段の彼女からは考えられない程の小さく、か細い声。

 そのことからそれが本気であの奈乃華が恥ずかしがっている事を予想するには彼にとって余りにも容易過ぎた。

 

「─────その、実は……ね」


「お、おぅ」


 だが。結論からいえばその内容は余りにも、彼の予想を遥かに超えていた。


「……お兄ちゃん、はさ。私がさ」


「うん」


で好きな人が出来ちゃったって、言ったら……びっくり、する?」


「……………………………」


「ま?」


 ………。ま? と言う返しがまさか自分の口から飛び出るとは思わなかった。


 まじ? なのかさん。

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