逃げ出したい

瀬川

第1話 俺の大嫌いな家族(義兄)





「おい。そこで何をしているんだ、邪魔だ」


「あー、はいはい。すみませんねえ。今どきますよ」


「何だその態度は。生意気な口を利くほど偉くなったのか。それは知らなかったな」


 毎日毎日、よくもまあ嫌味が言えるものだ。

 逆に感心してしまいながら、俺は義兄である輝夜かぐやの顔を見ていた。

 冷たい人形みたいな整った顔は、今は憎々し気に歪んでいる。

 この表情は慣れたものだから、特に何とも思わない。

 むしろ早く終わらないかと、面倒な気持ちでいっぱいだった。



 昔からそうだった。

 母さんと父さんが再婚したのは、俺が十歳の時。

 新しく父親になった優翔ゆうとさんは良い人だったけど、彼の息子である輝夜と玲夜れいやは違った。

 初めて会った時から敵意をむき出しにされていて、仲良くしようとする気持ちは一気に崩れた。


 俺が何かをしたのかとも思ったけど、すぐに分かった。

 ただ気に入らないだけだと。

 それが分かってからは、完全に仲良くなるのを諦めた。

 聖人じゃないので、嫌われているのに好意を向け続けられるわけがない。


 だからただの同居人として接するようになったのだけど、向こうが毎日のようにちょっかいをかけてくる。

 嫌いなら無視してくれればいいのに、何でわざわざ構ってくるのか。

 嫌味を言われるこっちからしたら。本気でたまったものじゃない。


 さらに面倒なのは、義兄も義弟も外面だけはいいことである。

 それは両親に対しても同じで、二人が俺に対して嫌味を言うのは、誰も見ていない時だけという徹底ぶりだ。

 単独だったり二人だったり、その時によってバラバラ、どちらにせよ俺にとっては苦痛でしかない。



 母さんに俺みたいな態度をとっていないことだけしか、今のところ良いところはなかった。

 次にどんな言葉が投げられるか分からない恐怖があって、顔を見るだけで手が震える。

 完全にトラウマになっているから、俺は何度も家を出ようとした。

 俺のことが嫌いなら、出て行くと言えば喜んで見送ると思ったのに、計画は何度も潰されてしまった。

 そのたびに何でと怒鳴ったが、帰ってきた言葉はいつも同じ。


「お前は生きているだけで迷惑なんだから、俺達に手間をかけさせないために監視するだけだ」


 生きているだけで迷惑ってなんだ。

 監視するってなんだ。

 一体何を馬鹿なことを、そう笑い飛ばしたかったけど、二人の目が怖くて言葉が出てこなかった。


 そんなことが何度も続けば、逃げるのにも頭を使うようになった。

 気づかれないようにバレないように内密に動いているが、大学生になった今のところは全て失敗に終わっている。

 でも、逃げることに関して俺は諦めていない。


 いつも虎視眈々と、家を出ることを狙っている。



 ♢♢♢



 さて、今日はどうして機嫌が悪いのか。

 今日みたいに、ただいるだけで嫌味を言ってくるのは、何か私生活でイライラすることがあった時だ。

 そのうっぷんを俺にぶつけたいだけで、特に俺が何をしていなくても文句を言ってくる。完全に理不尽である。


 ただソファでテレビを見ただけで邪魔だと言ってくるのは、本気で意味が分からない。

 俺だって観たい番組が無ければ、ここにはいなかった。

 自分の部屋にテレビが無いから、観たい番組があればリビングにいるしかない。


 今日は二人とも遅くなると話に聞いていた。

 だから誰にも邪魔されないだろうと、リビングでゆっくりしていたのだけど、何故か観ている途中で輝夜で帰ってきてしまった。

 逃げる暇が無くて出迎えれば、俺の顔を見た瞬間舌打ちをされた。


 俺だって帰って来るとは思わなかったと言いたかったけど、言ったところで話が長くなるだけだから、何も言わずにテレビを見ていた。

 そうしたら座っていたソファを蹴られて、初めの言葉を吐き捨てられたのだ。


 口だけじゃなくて足癖も悪いと、俺は顔をしかめながらも部屋に戻ろうとした。

 そんな俺の態度も気に入らなかったらしい。

 鋭く睨みつけながら、腕を掴んできた。

 力の加減なんて無くて、腕がギリギリと痛む。


「……っ」


 腕を外そうとしても全く動かず、むしろ強くなった。


「最近、調子に乗っているんじゃないのか? 帰りも遅いだろ。一体どこで何しているんだ」


「何って。別にいいでしょ。関係無いんだから」


「は?」


 わざわざ俺がどこで何をしているかなんて、言う必要なんて全く感じられない。

 だからその気持ちを素直に口にすれば、眉間にしわが寄った。

 言ったことを後悔しそうになるけど、取り消す気は無い。本気で関係無いと思っているからだ。


 でも俺のそんな言葉は輝夜を怒らせるもので、掴む力が強まった。


「いたっ……離してください」


 骨が折れるんじゃないかと言う心配をするぐらい痛くて、俺は離すように頼んだ。

 自分の力じゃ無理だから不本意だけど頼んだのに、輝夜は馬鹿にしたように笑った。


「弱いな。こんなのも外せないのか」


 別に俺がひ弱なわけじゃない。向こうが馬鹿力なだけだ。

 馬鹿にされて男のプライド的なものがやられたが、文句はぐっと我慢した。


「もう部屋に戻りますんで」


「逃げようとしているんだな。いつもそうやってお前は逃げる」


「逃げてなんかっ」


「今も逃げようとしているだろ」


 そんなのそっちの態度が悪いからだ。

 さすがに我慢出来なくなって言ってやろうとした時、玄関の扉が開く音がした。


「ただいまー」


 聞こえてきた母さんの声に、こんなにも安心するなんて。

 俺は緩んだ隙を見逃さずに振り払うと、リビングから飛び出る。


「おかえり!」


「家の中でそんなに騒がしく走るんじゃないの。全くいつまで経っても成長しないんだから」


 途中母さんとすれ違ったから声をかければ、呆れた顔をされた。


「ごめんごめん!課題やるの忘れてて!」


 小言でさえも今の俺にとっては嬉しいものでしかなくて、作った言い訳を口にして二階にある部屋へと走った。

 部屋に戻ると、まっさきに鍵をかける。

 そうすれば安全な場所になった気がして、足から力が抜け扉の前で座り込んだ。


 下からは、輝夜と母さんが会話している声がかすかに聞こえてきた。

 内容までは聞こえないけど和やかな空気は、他の人から見れば幸せな家族だと思われるんだろう。


 その中に入れてもらえない俺は異分子でしかなくて、家にいるだけで息苦しさを感じていた。



 早くこの息苦しさから解放されたい。

 俺は楽しげな声を聞いていられず、しばらく扉の前で耳を塞いでうずくまっていた、




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