第58話 宿泊所での一夜 四人部屋にて

 ~脱衣所にて~


 濡れないように注意してはいたものの結局ずぶ濡れになってしまったシルスの右手の包帯を、今度はルーフェルメが交換した。

 アルシーアより時間をかけて丁寧に、口元に妖しい笑みを浮かべながら、シルスの右手を隅々までねっとりと愛撫するように。

 ぞぞぞと背筋がうすら寒くなるシルスだったが、ルーフェルメの好意を無下には出来なかった。


「傷口は塞がってるから次からは絆創膏でもいいかもぉ。次もルメちゃんがしてあげるね?」


「もうダイジョブですっお気持ちだけいただきますねっ」

 

「ウフフ……ごちそうさまでしたぁ♡」


 ――なにがですかっ!?


「シルスちゃん、これ飲むー?」

「あ、ハイ!いただきますっ」


 ルーフェリカが手渡してくれたのは小瓶に入ったフルーツジュース。


「ルメちゃん、シルスちゃんと半分こしたかったなぁ」

「あたしの半分飲むか?」


 アルシーアが飲みかけのジュースをルーフェルメに渡そうとするが。


「シルスちゃんのがいいな……」

「ダメです。これはわたしのです」


 シルスはキッパリ断った。


「シルスは飲み食いにキビシーなっ」

「そうかもお!あっははー!」


 アルシーアの率直な言葉にルーフェリカが明るく笑う。


 人懐っこいシルスの性格と三人の明るい性格は、あっという間に初対面の者同士の『壁』を取り払った。

 馬が合うと言えばそれまでだが、ほんの数分でも共に舞台を経験した事、年齢が近いという事も仲良くなれた要因の一つなのだろう。


 わちゃわちゃした入浴タイムが終了し、アルシーアがシルスを部屋に案内する。

 元々が四人部屋だった所をアルシーア達三人で使用していた為に、空いたベッドの上は脱ぎ散らかした衣服や下着が散らかし放題だった。


 それらが誰のものか聞くまでもなく。


「シアさん……お片付けニガテなんですか?」

「なんであたしのってわかるんだっ!?」


「はははー。勘、デスヨー」

「ハーフエルフの勘ってすげーな」


 ――そうじゃないです。今までの言動と行動から思えば、考えなくてもわかります。


 もちろん、口にはしないシルス。


「ほれ、これやるよ。かすめ取ってきた♪」

「え、でかっ!ありがとうございますっ」


「またぁ、シアシア怒られちゃうよぉ?」

「いーんだよっ」


 アルシーアがシルスに渡したのはシルスの顔の大きさに近いパンだった。


「食えるなら全部食っていいけど、中にクリーム入ってるからこぼさないようになっ」

「寝う前に食べうとぶたになっちゃうんれすよっ」


「……もう食ってんじゃん」

「うまー♡」


 シンプルなクリームパンだが、今日食べた物の中で一番美味しいかも、と思うシルスであった。

 あっという間にパンを食べ終えて、シルスもほっと一息。

 

 つく間もなく。


「食ったら歯ぁ磨きにいくぞっ!歯は大事なんだからなっ!」 

 と、アルシーアに引きずられるように連れられ洗面に向かう。


「ルメちゃんも行くのっ!」

「じゃあアタシもー」

 

 なんだかんだと世話を焼いてくれるアルシーア達に振り回されるバタバタした一日の締めは、四人横並びになっての歯磨きタイム。

 

 ――ドタバタしてるなあ……でも、なんかこういうの楽しいかも……


 ファイスやファルナルーク達『歳上のお兄さんお姉さん』との旅も楽しかったが、年齢差があまりない女の子同士特有の『わちゃわちゃ感』は無かったかもしれない。


 こういうのも、いつかいい思い出になるのかな、とシルスはふっと思うのだった。


 歯磨きタイムを終えて部屋に戻り、今度こそほっとひと息。


 各々がベッドに腰かけ、あるいは横たわり個人の時間に没入する。

 ルーフェルメは静かに本を読み、ルーフェリカはノートに何かを書いている。

 ルーフェルメが何を読んでいるのか気になるが、そこはあえて聞かない。


 アルシーアは風呂上がりのストレッチに余念がなく、開脚180度で前屈運動。胸がベッドにぺたんとつくほどに柔らかいのは、舞台で踊る者なら出来て当然なのだろう。

 

 ――ベッド固い……でもゼータクは言えないよね……ふうー……


 久しぶりのベッドだ。

 ごろんと仰向けに寝転がり、うーん、と手足を伸ばす。

 考えてみれば早朝から休みなく動き続けている。

 ファルナルーク達と旅をしていた時も歩きづめの日はあったが、不思議と疲労感はなかった。それだけ気分が高揚し、疲れを感じさせない『何か』があったのだ。

 その『何か』は勿論、ファルナルークの存在であった事はシルスはわかっている。


 ――とりあえず!今、わたしがどういう状況なのかお復習さらいしてみようっ!


 むくっと起き上がると、シルスは用意したノートとペンで自分の状況を書き出してみることにした。

 リュックの中に入れてあったノートは、長旅でもみくちゃになりシワシワだ。

 綿ボコリの精霊『のてて』と『れてて』はぺったんこに潰れたまま、リュックの底に眠ったままである。

 

 精霊はまだそこにいる。とシルスは感じる。

『いる』というより『在る』と言った方が感覚的には正しい。


 ――ちゃんと出して膨らませてあげるからね。もうちょっと待っててねー


 シルスは誰にも聞こえないように小さくそう言うと、リュックをベッドの脇に置き胡座をかいてペンを取った。


『どんな事も紙に書いてみると客観的に物事を把握し易くなるのさ』

 と、いつだったかシェラーラが言っていた。


 ――えっ、と。


 ――今日は巡星歴609年8月29日。と。

 あ、もう日付が変わりそう……あっという間の一日だった……ファルナルークさん達とお別れしたのって、今朝のことなんだよなあ……


 シルスは、魔導圧力の高まる鏡面切り株に危険を顧みず飛び乗り、ぎゅっと抱き締めてくれたファルナルークの事を思い出す。


 ――温かくて、柔らかくて、いい匂いがして……きっと一生、忘れない……


 目を閉じれば思い浮かぶファルナルークの柔らかな笑顔。


 ――そこはアルシーアさんと決定的に違うよねっ。うん、大丈夫!ファルナルークさんは美人でキレイで優しくて美しくて美しい!

 ガサツなアルシーアさんとは大違いですよファルナルークさん!

 どんなにお顔がそっくりでも、わたしは浮気なんてしないのです!

 よし!

 さてさて、えっと、なんだっけ?

 ここ、どこだっけ?

 ……場所?場所は、アールズの街。14番区。

 アールズの街から動かなかったのはラッキーだったのかな……?

 そうだ!切り株親分さんの所に行ってみようかな……何かわかるかも……

 でも、鏡面にはなってないハズ……もしかして伐採もされてないかな?

 メレディスさんは……生まれてない、よね、たぶん。

 年齢聞かなかったからわかんないケド、見た目シェラーラと同じくらいだったし……30歳だっけ?


『29歳だっ!』


 シェラーラのツッコミが聞こえたような気がして、シルスの頬が思わず緩む。

 

 ――メレディスさんの占い小屋……25番区です、と。

 変な名前のお店が並んでますよ。

 今も……ん?今は昔、なのか……変な名前の店は昔からあるのかな?

 『スケスケぱふぱふ』と。

 メレディスさん……メレディスさん?シェラーラのお師匠様……メレディスさんのお師匠様って、確か……シンディ、さん……だっけ?


 シンディさん探してみるといいのかな?やっぱり、魔女さんだよね……


 何かわかるといいな……


 あれ……眠くなってきちゃった……


 明日……何かわかると……いい……な……

 

 ゆらゆらと身体が左右に揺れる。


 見知らぬ場所、知らない人達と接した緊張感。


 身体に蓄積した疲労感。


 風呂上がりに満たされたお腹。


 それらが一気に眠気に変わり、シルスを眠りの世界へと誘う。


 シルスの握力から解放されたペンがノートの上をころころと転がり。


 シルスは力なくころんと横になると、ものの数秒で眠りに落ちた。         


          ◇  


◇『ルーフェルメのどきどき日記』◇


 8月29日。


 ルメちゃん達の舞台公演『炎の姫と氷の姫』の最終日。


 舞台用にテキトーに描かれた魔方陣から。


 突然、ハーフエルフの女の子が現れた。


 ぽん!って現れた。


 名前はシルス。


 シルスちゃん♡


 ハーフエルフのお耳。

 長さはエルフの半分以下。ぷにっと、とがったかわいいお耳。


 翠がかったふわふわ金髪は、きっと将来ツヤツヤのサラサラになるんだろうなぁ……


 小柄な身体、うっすいお胸の発育はこれからかしら?

 ルメちゃんのをちょっとわけてあげたいくらいだけど、メーワクかなぁ?


 おしりはね、ぷりっとしててカワイーの♡

 ぷりんぷりんなの!

 頬擦りさせてくれないかなぁ?


 できる事なら。


 小瓶に閉じ込めて、ずうっと愛でていたいなぁ。

 でもそれじゃあ、あんなことやこんなことができなくなっちゃうなあ。


 シルスちゃん♡

  ああ、シルスちゃん♡♡

   シルスちゃん♡♡♡   ルメ


 シルスちゃんは、かわいいのっ!ルメちゃんのどすとらいくなのっ。


 こんな気持ち……初めてかも……

 これって、変?


 ううん、わかってる。


 ルメちゃんは『変』だって。


 だって、かわいい女の子にしかキョーミ無いんだもん。


 ルメちゃんは、きっと、シルスちゃんに恋をしたの。


 残り少ない夏休み……


 ハーフエルフの美少女と一夏ひとなつの思い出を……


 この想い……きっと届けてみせる!


 熱いキッスを添えて……その先だって……


 ウフフフフ……♡


          ◇


◇『ルーフェリカのわくわく日記』◇


 今日の最終公演のラストのラスト。


 ホントのホント、最後の最後でサプライズが、奇跡が起きた。

 

 舞台に描かれた魔方陣から、突然、女の子が現れた!


 ハーフエルフの女の子が!


 脚本には『救世の乙女召還』ってなってて、まあ、召還なんて出来るハズもなくて、スモーク焚いてスポットライトでぼやかして、救世の乙女役のが舞台下からよじ登ってくるって予定だったのに……


 シルスちゃんが、ポン!て飛び出したのと、アタシ達の『召還の舞』のタイミングとバッチリ合ってたもんなー。


 救世の乙女役のは気の毒だったけど、めちゃめちゃウケてたし。


 この公演中の一番って言ってもいいくらいに!


 ちょっと悔しいなー。


 突然現れたハーフエルフの女の子、シルスちゃん。


 ちっこくてカワイくて、人見知りしなくてカワイくて。

 ちっこいのによく食べてカワイくて、もひとつオマケにカワイくて。

 ぴょこんとハネた前髪なんて反則じゃん!

 アタシも真似しよっかなー。


 シルスちゃんがどうやって舞台に沸いたのかさっぱりわかんない。


 あの魔方陣……デタラメじゃなかったのかな……?


 シンディさんは『テキトーに描いた』って言ってたのに。


 なぞだっ!!!


 シルスちゃん見る限り、全然怪しくないし、むしろ怪しい事なんて出来そうにないし。


 カワイーし、まあいっか!


 新しく妹できたって思えば楽しくなる!


 ホントの妹は……ヘンタイだからなあ……


 困ったもんだ。


 アタシ達のユニットが解散しちゃったのは残念だけど、シルスちゃんと出会えたコトは、スゴいタカラモノになる予感がする。


 アタシの予感は当たるんだから!


 たぶん。


 残り少ない夏休み!シルスちゃんといーっぱい!遊び倒す!!


 宿題?課題?


 ナンデスカ、ソレハ。


 なんてね!もう終わらせてあるもんねー!


 シアシアは宿題と課題やったのかなー?


          ◇


◇『アルシーアのきまぐれ日記』◇


 あたし達のユニット『熾炫しげん』としての最終公演。


 燃え盛る炎のような想いを込めたユニット名だったのに。


 ボヤで終わっちゃったなー。


 やれるコトは全部やった。悔いはない。


 公演の始めの頃は客ウケも良かった。


 でも、満員御礼になったのは最初の三日だけだった。


 思考錯誤して、色々アイデア出しあって、頑張って頑張って、フォーメーション変えたりエフェクトかけたりしたのにさ。


 いきなり現れたちんちくりんのハーフエルフが、ぜーんぶ持っていきやがった。


 始めはビックリしてアタマにもきたけど、なんか全然わかって無いみたいだったし。

 むしろ、あなた達は誰!?みたいなカンジだったし。

 

 アイツ、何者なんだ?


 ま、悪いヤツには見えないけどなー。


 翠色のキレイなどんぐりまなこがその証拠だな!


 シルスの事、座長も知らなかったって、なんだそりゃ!?


 あと、あたしを『ファルナルーク』って言うのはなんなんだ?

 世の中には顔が似てるヤツが三十人はいる、っていうからそれだろ!たぶん。


 まっ、公演は無事終わったし!


 終わり良ければ全てヨシ、か。


 『熾炫』は解散っつったけど、なーに。


 知ってるかキツネ野郎。

 

 『再結成』ってコトバをさ!


 契約書あるワケじゃないし、劇団にそんな誓約なんてないし!また組んでやってやるさ!


 アイツらにやる気があれば、だけどなっ。


 もし再結成出来たらその時は。


 シルスもメンバーに加えよう。


 シゴキ甲斐、じゃなくて。


 鍛え上げ甲斐ありそうなカオしてるからなー!


 楽しみだぜっ!


          ◇


 ――シルスちゃーん……

 ――シルスちゃーん……


 ん?……のててちゃん?


 ――シルスちゃーん……


 ……れててちゃん?違う……


 ――シルスちゃーん♡


 ……いい匂い……かーさん?


「カワイーなあ……♡」


「はっ!!」


 飛び起きた。文字通りシルスは飛び起きた。


「ルーフェルメさんっ!?」

「お、は、よ♡」


「おはようごっ……なんでハダカなんれすかっ!?なんで一緒のベッドにいるんれすかっ!?」


 ルーフェルメはたわわな胸を惜しげもなくシルスに晒す。

 風呂場で目にする感覚とベッドの中で見るのとでは全く『見え方』が違う。


「え……えろっ!いや違うっ」


 思わずこぼした自分の言葉にシルスは赤面する。


「おはようのキスはハダカで、って言うじゃない?」

「えっ!?」


 思わぬ言葉に、思わず自分の格好を確認すると。

 ――着てるっ!履いてるっ!よかったっ!


 するるっと蛇女ラミアのようににじりよるルーフェルメ。


「どしたの、シルスちゃん?もしかして何か期待しちゃったぁ?」


「期待なんてしてないですっ!貞操の確認ですようっ」


「ウフフフフぅ……シルスちゃぁん♡」

「ひ……っ」


 長い髪を無造作に垂らし、じわじわとシルスにゆっくりにじり寄っていくルーフェルメの姿は軽くホラーである。


「こらルメっ!」

 ぱこっ!

「あいたっ」


 ルーフェルメは丸めたノートでアルシーアにはたかれた。

 シルスがどこかで見たようなそのノートは。


「わっ!わたしのノートっ!」

「ん?あー悪い悪い。近くにあったからつい」


「ヒドイですよぅっ!悪いって思ってないですよねっ!?」


「助けてやったんじゃん。気ぃつけろよ、シルス。コイツ『おかわりルメちゃん』て通り名で有名なんだからなっ」


「おかわりだなんてヒドイなぁ。ルメちゃんの愛はみんなのものなだけなのにぃ。でも今は!ルメちゃんの愛はシルスちゃんのものだから、ね?安心して、ね?」


 不安しかない。


「ヘンタイさんにはどう対処すればいいんですかファルナルークさぁんっ!」


「ヘンタイじゃないよう。カワイーシルスちゃんから目を放せないだけだよう」


「あっははー!ルメはヘンタイさんかあ!シルスちゃんよくわかってるねー!」


 ルーフェリカの、誰かに似た笑い声の後。


 ココン、ココン、ココン。


 と、ドアをノックする音。続けて……


 ドン!


 と、ドアを殴るような音に、アルシーア、ルーフェリカ、ルーフェルメの表情が一瞬にして強ばった。


「やっば!ナルミさんだっ……!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る