第24話 ラスティとテュアル

 テュアル=ユーディットは残忍だ。


 ラスティが初対面でテュアルに抱いた印象である。

 この者は油断ならない。

 ひとたび彼女の間合いに入れば、首と胴体が一瞬で分離してしまうような氷の殺意を感じる。


 容姿端麗、頭脳明晰。

 ライトブレード隊に入隊し、わずかな期間で隊位2位まで昇り詰めた実力者。

 彼女を称賛する声はラスティにも届いているし、ラスティもそれを認めている。が。

 

 血の匂い。

 テュアルに染み付いて消えない血の匂いだ。 

 それがテュアルの狂気を感じる要因となっているのだった。


 『白姫』 ラスティ=ランドベルク 


 マジクスの能力を持つ女性のみで編成される騎士団のサポート部隊『ライトブレード』の隊長を務めている。

 白姫と呼ばれる由縁となったのが、輝ける長い銀髪と白い肌。

 眉や睫毛も白銀である。

 深い海の色に似た紺碧の瞳がラスティの白さをひときわ目立たせる。


 彼女の両親は濃茶の毛色である為に遺伝ではなく、魔力核の『大隆起』の影響が大きい、と考えられている。

 隊長専用である軽甲冑の色は白、ラスティが所持する魔剣『はく』も、その名の通り、白い刀身の細身剣である。


 この島に古くから伝わるもので主を自ら選ぶという。

 ラスティは数少ない魔剣使いの一人としても世に名を知られている。 


 美麗な容姿にそぐわぬ立ち振舞い、家柄も良く当然のように富裕層。一般庶民が憧れ羨む、完璧無双のお嬢様。

 アールズ騎士団長、ヴァンデローグとは幼い頃から家同士の交流があったが、恋仲となったのは最近の事である。


           ◇


 ライトブレード隊の朝は早い。

 朝食前の軽い運動として、王宮の回廊を散歩するのがラスティとリプニカの日課となっている。


 コツンコツンとブーツの音が響く。


 足音は一つにしか聞こえない。

 しかし王宮の長い回廊を歩いているのは二人である。

 調律されたようにシンクロする二つの足音。

 リプニカは、夏の朝の澄んだ空気をラスティと共有して並んで歩くこの時間が、堪らなく好きだ。

 小柄で細身のシルエット。

 肩口で切り揃えられた灰色髪、黒目がちな大きな瞳は真っ直ぐに前を見すえ、ぱりっとした隊服からはライトブレード隊の一員であるという誇りがにじみ出ている。


 会話は無いが、リプニカは気にしない。

 むしろ言葉を交わさずに歩調をあわせて歩く方が、心が通じている、とすら感じるからだ。


「…………!」


 対面側からもコツコツとブーツの踵音が響いてきた。

 足音は一つ。だが正面に見える人影は二つである。一人はラスティと同じ位の長身。


 ――テュアル=ユーディット……!

 口には出さないが、テュアルの姿を目にするだけでリプニカの心中にさざ波が立つ。


 テュアルの影のようにピタリと後ろに配する小柄な女の子。

 その耳は長く、先端が尖っている。

 ダークエルフだ。

 この島では月エルフとも呼ばれている、太陽エルフと並ぶ亜人種である。


「おはようございます、テュアル」

「……おはようございます、ランドベーク」


 リプニカが、ち、と誰にも聞こえない舌打ちをする。


 ――東方なまりの成り上がり者め……!


 リプニカはテュアルが嫌いだ。  

 未だにランドベルクと言わずに、ランドベークと言うし、「様」をつけない。破廉恥極まりない私服で色香をばらまき、世の男共の視線を集める露出痴女。

 剣の腕はライトブレード隊で三本の指に入るようだが、ラスティに敵うほどの腕前ではない。

 

 階級的にはテュアルの方がリプニカより上だが、リプニカは尊敬の念を持ち合わせていなかった。

 テュアルの後ろに立つダークエルフの事もリプニカは気に入らない。

 どこから連れてきたかわからない、得体の知れない妖術使い。


「礼が浅いぞ、フェルヴェル」

「は?オマエにイワレタクないナ」


「ふん!無礼者が」

「は?オマエにイワレタクないナ」


 フェルヴェルが挑発するように長い舌をだす。その色は紫混じりで赤黒く、コウモリのシルエットのタトゥーが彫られている。


 リプニカは嫌悪感を隠さずに言う。


「気持ち悪い……!」

「よしなさい、リップ。はしたないですよ」


 ――どうして私が咎められる?


 無論、口には出さない。

 ラスティの言う事に間違いなど絶対に無いのだから。


「はい。申し訳ありません。ラスティ様」


 機械的だがリプニカのラスティに対する謝罪の言葉には嘘が無い。

 あくまでも、ラスティに対して、ではあるが。


「ラスティのイヌコロが」


 フェルヴェルがけけけと挑発をこめて笑う。

 

「キサマ……」


 リプニカは我慢の限界を超え、怒り心頭、怒髪天を突く。


「よしなさいと言いましたよ、リップ」


 憤怒の瞳でフェルヴェルを睨み付けるリプニカを、再びラスティが優しい声で制した。

 

「はっ……申し訳ありません、ラスティ様……っ」

「シュギョーがタリナイぞ、オマエ」


 フェルヴェルがテュアルの背後に隠れて再び長い舌を出す。

 

 フェルヴェルの事など意に介さず、ラスティが一歩、テュアルに近づく。

 

「……実験に没頭するなとは言いませんが、暗い室内に引きこもるのは身体に毒ですよ」


「お心遣い、感謝します。ランドベーク」


 すっと、さらに一歩、テュアルに歩み寄るラスティ。 

 

「……気をつけて下さい。髪から血の匂いがしますよ」


「……忠告、感謝致します。ランドベーク」


 互いの頬が触れそうなほどに顔が近づくが、この間、二人は一度も目を合わせていない。

 研ぎ澄まされたナイフの刃の上を素足で歩くような緊張感が二人の間に走る。


「貴女の研究経過報告書に目を通させて頂きました。いくつかの疑問点が指摘されていますが、ご承知おきですか?」


「指摘事項に関しては、全て調査中、としか答えられません」


「エルフ連続失踪事件を……」


 ここでラスティは、わざと『タメ』を作って間を空けた。


「……ご存知ですか?」


 テュアルが続きの言葉をどう紡ぎ出すのか、黙して待つが、


『関与しているとでも?』

『何の事か解りかねます』


 テュアルの答えはどちらでもなかった。

 小指の先ほどの動揺を見せる事も、知らぬ存ぜぬを貫く事もせず、テュアルはラスティにだけ聞こえるように告げた。


「……命とは、美しく、儚く、醜く、無惨なものです」


「今はまだ見えませんが……必ず、しっぽを捕まえてみせます」


 フェルヴェルとリプニカは、視線を逸らしたら負けのにらみ合いを続けていた。

 子供が意地を張り合うような理由だが、二人にとっては大事なことなのだった。

 威嚇も挑発も無く、ただただ視線のぶつかり合いを続けるリプニカにラスティが声をかけた。


「行きますよ、リップ」

「はい、ラスティ様!」


 フェルヴェルにプイッと背を向け、ラスティに従うリプニカ。

 その場を去りつつリプニカは思う。きっと、あのダークエルフはワタシに向かってまた汚らわしい舌を出している。と。


          ◇


「ラスティ様!血が……!どこかお怪我を!?」


 ラスティが視線を落とすと、足元に点々と真っ赤な水玉模様ができていた。

 かなり深く切れたのかポタポタと雫となって、血溜まりを作っていく。


「すぐに止血を!いつの間にこんな……!」

「大丈夫ですよ。すぐに治ります」

「そんな!いけません!失礼致します!」


 リプニカは一瞬だけ躊躇したがラスティの右側に膝をつくと、思いきって鮮血滴るラスティの人差し指を口に含んだ。


 リプニカの舌全体にラスティの鮮血が拡がっていく。

 

 ――なんて甘いんだろう……蜜みたいだ……ダメダメ!集中しないと……!

 

 ラスティの人差し指を口に含んだまま、不謹慎な自分を戒める。

 三度深呼吸すると、ほどなく血の味が止まった。


「ん……これで大丈夫です。いかがですか?」

「リップの口の中は、温かくて柔らかくて気持ち良かったですよ」


「え……っ……いえ、そんな意味ではなくてですねっ」

「?」

「指の切れた箇所を見て下さい!」


 耳まで真っ赤になって怪我の状態を確認するようにラスティに促す。

 

「大丈夫です。しっかり止血されていますよ」


「唾液に治癒力があるなんて、おかしいですよね……」


「何故ですか?こうして私の傷を治してくれたではないですか。ありがとう、リップ」

 

「ご迷惑かもしれませんが……私はラスティ様のお役に立ちたい。そう願っています」

 

「リップは私の大切な仲間ですよ。今日の持ち場に向かいましょうか。手をつないで行きますか?」

 

「えっ!?」

 

「ふふ、冗談ですよ。さ、行きましょう」

 

「ハイ!……ラスティ様!」


 ――……まだドキドキしてる……ラスティ様って天然な所あるからなー……お嬢様だし……いやいやいや!ラスティ様は尊い!ラスティ様は尊い!ラスティ様は至高!よし、大丈夫!


「?……どうしました?」


 ぶつぶつと小声で独り言を呟くリプニカに声を掛けるラスティ。

 

「はっ……いえ!なんでもないですっ……ちょっとした妄想癖がっ……お気になさらないで下さい!」


「リップは面白いですね」


 にこっと笑むラスティ。


 ――その女神様のような笑顔はワタシにとって、何にも代えがたい生きる理由になります!


 朝早くから見てしまったテュアルとフェルヴェルの顔が、ラスティの笑顔で上書きされる。


「今日も頑張ります!ラスティ様!」

「よろしくお願いしますね、リップ」


           ◇


 ラスティ=ランドベルクは鬱陶うっとうしい。


 テュアルがラスティとの初対面時に抱いた印象である。


 手合いたく無い相手だと初対面で感じたのは、本能からくるものだ。

 ライトブレード隊の隊長を務めるだけあって、騎士団連中や民衆に信頼されているし、『白姫』の二つ名で呼ばれ人気、実力共にナンバーワンと言っても過言ではないのだろう。


 が。

 目の奥に宿る狂気。

 ラスティの紺碧の瞳が、テュアル自身が持つそれと同等かそれ以上のものを感じさせるのだ。


「同じ穴のムジナ……か」


「テュアル、血が出てるゾ」

 フェルヴェルに指摘されて視線を落とすと、右手の人差し指の先端がぱっくりと裂け、鮮血が滴り落ちていた。


 頬が触れるほど接近した際にラスティにつけた傷と同じ箇所だ。

 ぺろりと自身の血を舐めると、舌に拡がる血の味がテュアルの闘争本能を刺激する。


「ランドベーク……いつか……」


 いつか、必ず……


「命の奪い合いを……」

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