最終話 俺はいつでも後悔する

 俺はこれまでの日々を思い出して何を思うだろうか。

 バカだったと思うだろうか。

 もっと必死こいて勉強しろよと思うだろうか。

 どちらにせよそれらは後悔から来ているように思う。実際、心残りのようなものはある。

 しかし、それは違う。そのことを俺は教えられた。多くの人と触れ合っていく日々の中で。



 ◇


 キーンコーンカーンコーン。


 栄光高校。それは、東京大学を輩出してきた名門校の一つである。その一日の始まりを表すチャイムが鳴った。つまり、1限スタートである。決して、ホームルームではない。(切井当麻談)


 栄光高校に無事入学を果たした高校1年生らは、いそいそと席に着いていた。栄光高校は始業チャイムに対して以上に厳しいということはないが、授業態度の項目にペケがつけられるかもしれない。生徒たちはきっとそれを避けようとしているのだ。(切井当麻談)そんな中、一人の教員が教室に入ってきた。


「あれ?先生、教室間違えてないですか?」


「そんなことはない。私もそこまで老いてはいないからね」


 そう言ったのは高野である。物理の授業において理不尽の限りを尽くすともっぱらの噂のあの高野である。


「えっ?てことは休みってことですか?」


 教卓のすぐ近くに座る男子生徒がそう言った。


「まぁ、ね。いわゆる大人の事情というものだよ。今日はこの時間は自習になる。各自何か、勉強をしているように」


「ちょ、先生!それじゃ、納得行かないですよ!大人の事情ってそれ理由じゃないですよ!」


 このクラスで学級委員をしている女子生徒がそう高野に文句をつけた。高野はそんな生徒らを見て、思わずため息を付いた。


「はぁ、君らはやはりダメだな。全盛期とは較べるまでもない」


「全盛期、ですか?」


「私が教員をしていて最もすごいと思った生徒が2人いるのだ。その一人は君らがよく知るあの“小田切順先生”だ。彼はこの校内でも“トップ”であり、全国内でも“トップ”だった」


 生徒たちは高野の話をじっと聞いている。


「そして、もう一人は小田切先生と唯一と言ってもいいほどのライバルのような存在である、“切井当麻”くんだ。彼らは毎度の試験で我々が度肝を引くほどの結果を残してきた。勝敗は結局、彼らが高校生であった頃にはつかず、引き分け。この高校での伝統である学年トップの一人に渡す賞状もこのときは二人に渡った··········」


 何かを思い出すかのように高野は虚空を見上げながらそう言った。


「もともとはこの学校に小田切先生は在籍していなくてね、彼は高校2年のときに転校してきたんだ。そのときの彼は今のようでなくてね、不安定で私としては心配だった」


 かつての小田切順という存在は不安定であった。何か大きなことがあればすぐに折れてしまうほどに脆かった。高野はそんな小田切の状況に対し、不安をいだいていた。そして思い出した。高野は小田切と切井が似たような境遇にあることに。

 才ある存在というのは人が想像し得ないことに対して悩みを持つことがある。きっと、彼らもそんな悩みを抱えているのであろう。高野は二人を見ていてそう思った。


 だが、ここで栄光高校の弱みが出る。それは『優秀であれば先生側は何も言わない』ということである。相談をしようにも『お前なら自力でなんとかできる』の一点張りで聞く耳を持たないのだ。その結果が東京大学の進学率の低下に繋がっていることに気づかず。


「君たちに一つ聞く。とは、なんだ?」


 高野はそう言った。生徒たちはその問に対して意図をつかめず、ポカンとしている。高野は、そんな様子の生徒たちを見て、再びため息をつきたくなったが、昔とは違うのだと自分に言い聞かせてこのクラスの学級委員である女子生徒を指した。


「頭が良いとはなんだと思う?」


「それは············ことではないですか?」


「ふむ、勉強ができる。確かにそうだな。それで他には?」


「そんなものないですよ、先生」


 何言ってんだ、この人みたいな目を高野に向けた。


 高野は脳内でこの学校で全盛期(高野がそう思ってるだけ)を思い出す。切井当麻と小田切順。彼らは勉強ができた。我々が満点を意地でも取らせない!という渾身のできのテストでさえもラクラクと解いてしまう。高野自身、物理が東大の入試であっても満点を取れる教科であることを知っている。だからといって、満点を高野自身取らせたくなかった。しかし、彼らはそんな難問すら解いてみせた。そんな存在は高野が知る中で彼らだけであった。


 だが、それだけだ。彼らは大きな欠陥があった。弱点があった。


「『勉強ができる=頭が良い』という式は


「?どういうことですか?」


「そのまんまだ。勉強ができていても、頭が悪い人はいる」


「そんなわけないですよ。勉強できれば、頭が良いってよく言われてるじゃないですか」


「私のただの持論だ。納得しろとは言っていない。数学のように証明をすることはできないからな」


 物理においても数学においても、憶測で答えを出してはならない。カンを頼りにしてはならない。何かしらの理由、あるいは証明をすることによってやっと答えを導き出せるのだ。高野が言っていることはそれらをしていない。だから高野は言った。持論だと。


 頭が良いと言ってもたくさんある。陸上などでは長距離走という種目がある。その種目ではペースを考えるだろう。自分にあった最適なペースを考える。高野はそのペースを考えるという行為に対しても頭が良いと考えている。むしろ、頭が悪ければ自分にとって最適なものを導き出せないだろうから。

 勉強ができる人などこの世の中には何人もいる。全国で100位以内の人間は勉強に関してはできると胸を張って良いだろう。油断せずにその順位をキープできればなお良い。

 だが、勉強ができる、それだけではダメだ。かの孔子は言った。勉強する過程で得た知識を活用することができる者がもっとも良いと。高野の場合は勉強が活用できる人こそが頭が良いと思っている。


「彼らはそれぞれ別の悩みを持っていた。我々学校側はそれに対して何をしてこなかった。だが、彼らは良き友人を作り、その悩みを解決してみせた。自分たちが得た知識を活用して周りを助けながら。

 勉強ができるというのは一つのその人のアビリティだ。だが、それを日々使えなければダメだ。国語であれば他人の気持ちの思いやりを、英語であれば外国人とコミュニケーションをとり、また、ときに助けることを、社会は多くの歴史や地理を学び、それを将来役立てることを、数学・理科では多角的、多面的に考える術を磨く。

 すべての教科には無駄なことなどありはしない。あらゆる面で活用することができる。彼らはそれをしていた。だから、彼らについていこうとする人がいたのだ。頭が良い。それは彼らのような人間のことを言うのだと私は思う。

 だから、私は言うぞ。このクラスの中からそのような人間が出てくることを“期待”している、と」


 高野がそう言い終えると教室内が静寂に満ちた。高野が言っていたことを全て理解できた人はいない。だが、自分たちを教えてくれている小田切順という存在は高野が言うようにすごい人であることは感じられた。

 悩みを抱えながらも努力し続けた過去があって今の小田切がある。


(私はもっと頑張らないと)


 このクラスの学級委員である女子生徒はそう思った。


「それで結局、小田切先生は···········?」


「小田切先生は今日はのため、欠席だ。明日は普通に来るだろう。彼に何か聞きたいことがあるなら、ぜひとも明日聞いてみなさい。もしかすると、過去の話を聞けるかもしれないからね」


 高野はそう言うや窓の外の空を見た。晴れ渡る空が広がっている。


(切井くん、日下部さん、結婚おめでとう。末永くお幸せに)


 高野は口元を緩ませながらそう心のなかでつぶやくと教室を出た。


 ◇


 カラーンカラーン。どこからか鐘の音が聞こえる。その鐘の音がするとパタパタと鳥が羽ばたいているのを俺は見た。それは、今日、この日を祝福してくれているかのようだ。俺は鳥の羽ばたきを見て、頬を緩めた。俺も心の底からこの日を楽しみにしていたのかもしれない。


 俺は椅子に座りながら晴れた空を見ているとコンコンと扉を叩く音がした。


「どうぞ·········って、来てくれたのか、順」


「当たり前だろ、当麻。君のいるところに僕ありだ」


「何いってんだよ、順」


 俺は順の変なこのテンションに呆れのような声を出した。こんなことを言っていながらも、俺自身、実はかなり緊張している。昨晩、うまく寝れていないのだ。


「それにしても、長い時間かかったね。今日を迎えるまでが」


「まぁな。あれから1年だもんな··········」


 俺があの日、響子に結婚してほしい宣言をしてから1年。その過程の中でのビッグイベントはやはり美愛さんや響子の両親への挨拶だろうか。


 俺はその日のことを思い出す。


 響子が俺の住む東京のアパートへと引っ越してからおよそ一月ほど。俺たちは長野へ行った。目的は響子との結婚に関しての報告だ。『許可をもらえるから大丈夫だよ!』と響子は言ってくれていたが、俺はそれどころではなかった。なんというか、汗がとまらないというか、とにかくめちゃくちゃ緊張していた。


 美愛さんたちが住む屋敷に到着した。相変わらずのデカイ家だ。玄関先には野口さんが立っていた。


「お久しぶりです、野口さん」

「そうですね、切井くん。美愛様はリビングにいます。ついてきてください」


 野口さんはそう言うと歩き始めた。美愛さんと野口にはすでに今日、俺と響子が来ることを事前に伝えていた。目的も含めて。

 リビングに到着すると美愛さんが俺と響子をうれしそうに見ていた。


「ご久しぶりです、美愛さん」

「ふふふっ、お義母さんと呼んでもいいですよ?」

「············遠慮しときます」


 美愛さんのからかいの言葉を俺は瞬時に切り捨てた。

 美愛さんは俺が響子の一件を調べると伝えた日に『協力しますわ』とか言って手伝ってくれた。野口さんも同様だ。これは助かると俺は思っていたのだが、美愛さんはそれと引き換えに俺に事務処理を任せてきた。津田の親父さんのところの事務仕事があるのにだ。後の俺は騙されたと思うのと同時に美愛さんからの協力は心強いと思った。だが、それはそれ、これはこれだ。もう二度と簡単には美愛さんからの提案には乗らないと心に決めた。


「一応、連絡として事前に要件を伝えてあったと思うのですけど···········日下部響子さんをお·········僕にください」


 普段、“僕”などの一人称を使ったりしていないため、“俺”と言いそうになってしまった。美愛さんはそんな俺のことなど気にする素振りすら見せず、


「その言葉を言われるのは二度目ですね········」


「···········」


 響子を育てていた父親。名前は吉継さんと言っていたっけ?その人からも同じようなことを言われたのだろう。


「··········美愛さんは俺に婿養子になれと?」


「いいえ、別に。響子とそれは話し合ってもらって決めてくれていいですよ?」


「あっ················そうですか」


 俺はそう言うと隣にいる響子に視線を送る。響子は首を振った。それは、そんなことをする必要はないということを表していた。美愛さんは俺の顔を見て、頼んできた。


「響子のこと、お願いしますね」


「はい」


 俺が美愛さんに前に頼まれたときは何も考えずに適当なことを言っていた。でも、すべてを知った今なら美愛さんの言葉の意味を理解できた。


 俺と響子はその後、響子の両親の墓場へと行った。


「ここだよ、当麻くん」


「···········」


 俺は無言のまま、持ってきていた花を添え、そして、線香をあげた。


(あなた方が育て上げた日下部響子という存在は過去と向き合い、今を必死に生きています。だから、これからも娘さんのことを天から見守っていてください。

 あなた方の娘さんが困っているときは俺が助けとなりますから、心配はいらないと思いますけどね)


「行こう、響子」

「うん」


 俺と響子は手を繋いで帰っていった。


 ◇


 ここ1年でのことを思い出していた頃、外からドタバタとした音が聞こえた。


「当麻!!」


 家康だ。スーツ姿の家康の姿に違和感しかないが、それはひとまず置いておく。


「慌てすぎだろ、家康。それと走るなよ」


「そうですよ、家康くん。私は今、走ったりあまりできないですから」


 家康の妻である徳川静香がそう言った。お腹は膨れ上がっている。


「··········徳川は、そういえば妊娠しているんだったな。そうすると、来るの大変だったんじゃ」


「大丈夫ですよ、切井くん。鍛えてますから」


「·············そ、そうか。それは良かった」


 何を鍛えれば大丈夫になるのか、少し気になるところではあるが、ここではスルーしておこう。


「そう言えば、順。小田切は?」


「············いまさらだと思うけど、当麻のその名字呼びは分かりづらいな」


「············そうか?」


「まぁ、いいけどさ。明子は先に日下部さん、いや、切井さんのほうがいいのかな?挨拶しに行ってるよ。そろそろ········あっ、来た」


 順がそう言うと部屋の中に津田明子、改め小田切明子が入った。何やら急いでたらしく髪がボサボサだ。


「当麻くん、結婚おめでとう」


「ああ、ありがとな」


 俺は椅子から立ち上がると、順たち4人を見た。全員が全員、俺の言葉を待っている。


「今日は来てくれてありがとな。今日一日ではあるが、楽しんでくれな。4人とも」


「そろそろ、行くのか?」


「ああ、行ってくる」


 俺はそう言うと部屋から出た。結婚式開始まで後数分だ。


 ◇


「ふぅ」


 俺は息を吐き出した。もうすぐ式は始まり、多くの人の視線の前にさらされることとなる。俺が“昔”、最も嫌っていたものだ。今はそれほどでもないが。


「当麻くん、緊張してるの?」


「ハハッ、何を言ってるのか、コイツは。俺のようなやつが緊張?そんなものはゴミ箱に捨ててきたぜ」


 俺は少し早口気味にそう言うと


「ふーん、そうなんだ。私はすごい緊張してるけど」


「まぁ……それはな。お前だし、昨日ろくに寝れてないだろうしな」


「それは当麻くんもじゃない」


「…………」


「寝たのどうせ過ぎでしょ」


「ななっ!?…………なぜバレた……?」


 俺は顔面蒼白になり、思考を巡らす。しかし、なぜバレたのか分からない。


「ここに来るまでも私の肩に寄っかかって寝てたもんね。電車の中にいた人たちにちょっと意味深な目を向けられたのは当麻くんのせい。すごい恥ずかしかったんだから」


「う…………それはすまん。まさかそんな大事おおごとになるとは………」


「責任、取ってよね?」


「ななっ!!!!!!!」


「フフフっ、当麻くん、顔真っ赤。あれあれ?照れてるのかな?」


「クソッ、バカにしやがって!今日は寝かしてやらねぇ!俺の仕事に付き合え!」


「私は当麻くんになにされちゃうのかな………?エッチなことを要求されたり」


「何言ってんだ、おまえ。とにかく行くぞ。俺は来週から仕事なんだよ」


「それは私も何だけど……」


 ジト目を向けてきたが、俺は無視する。


「響子が1年前に言ってた“憧れ”のものには程遠いかもしれないけど、そこそこ人も来てくれてる。どうだ?こういうのは?」


 俺はそう、響子に問いかけた。顔は響子の方には向けず、俺は前を見ていた。それもこれもあれだ。響子が悪い。そう、響子が可愛いのが悪いのだ!


「すごくすてき。それと当麻くん。一つ間違えてるよ」


「ん?」


「私の憧れには程遠いかも、じゃなくて憧れそのものだよ。私が願ってたのはこれだから」


 響子はそう言うと『そろそろ始まるよ』と俺にだけ聞こえる声でつぶやいた。


 式は順調に進んでいた。途中の誓いのキスは手が震えるくらいやばかったけど。


 ◇


「当麻、少しいいか?」


「ん?親父···········?」


「外で話しておきたいことがあってな、手短に済ますから」


「············分かった。響子、悪いけど少し抜けるぞ」


「うん、いってらっしゃい」


 俺は響子に一声かけると外に出た。


「親父、話ってなんだよ?手短に頼むぞ。すぐに響子んとこに戻らねぇといけないから」


 俺は外に出てすぐにそう言った。要件を何も言ってこないから何がしたいのかの推測もつかない。それに結婚式中に新郎が抜けるのは色々とまずいのではないのかと思う。


「いやすぐ終わる」


「そうか·········それで話って」


「当麻、お前にはなぜ高校受験のとき、栄光に行かせるのを反対したか話ってなかったよな?」


「遠いからとかだろ、どうせ」


 なぜ、その話を今?俺は親父の第一声に疑問を覚えた。


「あのときのお前はかなり危険だった。俺と同じような考えを持っていたからだ」


「同じ考え?なんのことだよ」


「俺はいまはこうだが、昔は学年トップの人間だった」


「は?」


「“中学の時まで”はな」


「··········」


「俺は当時、自分はすごいやつなのだとそう“勘違い”をした。だから、高校で大きなミスをした」


「·········」


「高校には自分と同じレベル、またはそれ以上に頭のいいやつがいる。俺はそいつらに負けた。それで挫折して勉強は全くできなくなった」


「親父、それって··········」


「もうわかるだろ?お前自身経験しただろうからな」


「········」


 順の存在を最初に認識するきっかけとなった、高校2年の全国模試。1位を狙えるかもしれないと意気込んで、結果勝てずに終わり、俺は落ち込むあまり勉強をやめていた。そのときのことだろう。


「お前にそんな思いをしてほしくなかった。栄光なんてかなりレベルの高いところに行ってお前の才能を潰すのは惜しいと思った。だが、お前はそこに行った」


「········どうして、どうして今なんだ?あの時言ってれば俺は·······!」


 あのとき、言ってくれていれば俺はきっと納得して別の高校へと行くことにしただろう。遠いからとかそんな理由ではなく、明確な理由があったのだから。あのときの俺ならきっとそうしていた。


「確かにあのとき言ってれば変わっただろう。あのときなら、な。だが、いまはそのことが間違いだとは思わない。違うか?」


「······違わない」


「俺が今話したのは簡単な話だ」


「·········」


「今のお前には必要なことだと思ったから」


「お前は栄光に行き、多くのに恵まれた。友達なんて小学4年のあの事故でいなくなったとばかり思っていたが、小田切くん、徳川くん、徳川さん、それと昔よく遊んでいた津田さんいや、今は小田切さんか。そして、日下部さん。お前はコミュニケーションをろくに取れないやつだが、これだけ多くの友人がいる。お前はそうとう楽しい日々を過ごしたはずだ。俺とは雲泥の差だ」


「··········」


「お前は栄光に行かせて不安が多くあった。だが、杞憂に終わったな。俺はやはり当麻と違って馬鹿だな」


「ちげぇよ、親父。それは親バカって言うんだよ」


「ふふ、そうだな」


「俺はもう大丈夫だ。大学でも出来得る限り自分の身になることを経験してきた。だから·····」


「これから、お前は社会に出て働くことになるだろう。そのときには理不尽極まりないこともある。悩み苦しむこともあるだろう」


「だが、お前は一人じゃない。お前の隣には常に日下部さんがいる。後ろには俺に母さん、りずは、そしてお前の友人たちがいる。そのことを忘れるな」


「ああ、分かってる」


「それと今日しか言わないことがある」


「·········なんだよ?」


「立派になったな、当麻。結婚おめでとう。お前は俺の誇りだ」


「〜〜〜〜〜〜〜〜ッッッッ!!!!」


「何泣いてんだ、当麻。たくっ、ほんとに手間がかかるやつだよ、お前は」


「〜〜〜〜〜クッ、なんで今言うんだよ、親父」


 涙がとまらない。親父はバカだ。こんなときになんてことを言うんだよ。


「今だからこそだろ。日下部さんにそんな顔を見せるなよ」


「当たり前だ」


「そうか。ほら、行くぞ」


 後ろを向いて歩いていく親父の背中を見て俺は、


「“父さん”!」


「·············ッ!な、なんだ?」


 親父の体がビクッと震えたのを俺は見逃さなかった。

 俺と親父は不仲が続いていた。けれど、このときをもってそれはきっと解消されたのだろう。今ならそう思える。


「今までありがとうございました!」


「ッッ!··········ああ。これから頑張れよ、当麻。困ったら言え。必ず助けになってやる」


「ああ」


 俺と親父は結婚式の会場へと戻った。そのときの二人の背中の様子は小学4年のとき以来の仲良し親子の背中であった。


 ◇


 恋は罪だ。どこまでも人を変えてみせる。あのときの俺もそうだった。


 栄光高校から2ランクほど下の高校へ転校した俺はその高校で学年1位を取った。だが、今までのような達成感はなかった。上には上がいる。そのことを思い知らされたから。


 勉強なんてそこそこでいい。それ以上に大切な存在に出会ったときに動ける人間であればそれでいい。バカだろうが、なんだろうが、人のために動ける人間が一番カッコいい。


 今までの当麻はカッコ悪かった。勉強以外を切り捨てて自分のことのみを重要視している当麻の姿は過去の俺を見ているようだった。


 当麻が栄光高校に進学したいと聞いたとき、俺は冷静ではなかった。冷静であろうとしても冷静になることができず、その後、俺と当麻は口を利かなくなるほどに関係を悪くした。


 あのとき、俺は選択を間違えた。当麻は俺とは違うのだということを忘れていた。いや、目を背けていただけかもしれない。


 恋は罪だ。


 あれほど危険な息子が成長して、カッコいいと思えてしまうほどに人を変えてみせたのだから。


 恋は罪だ。そしてそれ以上に、恋は人が何かを動き出すきっかけとなるものだ。


 俺自身は、どうやら今日、調子が悪いらしい。


 当麻の背中を見て、涙が出そうになったから。当麻に『父さん』と久々に呼ばれて嬉しくなったのだから。


 恋は罪だ。これだけの幸せを1日で与え、そして、人を最後に泣かせるのだから。


 ◇


 結婚式は無事終わり、俺と響子は一息ついていた。あの緊張感のある空間に居続けるのはやはり精神的に辛い。仕事をしているのとどっちが楽なのか哲学を始めたくなるくらいには結構辛い。

 見ているだけであればそんなに疲れなかった気がするのだが、こうして主催者側に立ってみるとまた違う。

 まぁ、そんな時間もようやく終わりを迎えた。気楽にこの後は行ける。


「············ずいぶん、疲れてるな。響子」


「それは、当麻くんもでしょ?」


「ははっ、そうだな。やっと終わった。これで肩の力を抜けるな」


「ふふっ、そうだね。今日は家に帰らないでこっちで泊まるんでしょ?」


「ああ、4、5日はこっちにいるつもりだ。響子はどうする?」


「私は当麻くんに合わせるって決めてるからそれでいいよ」


「こうしてるのもなんだし、外でも行くか」


 俺と響子は外に出た。会場となった場所の外にはまだ人がまばらにいる。その中でも集団となっている場所がある。


「順、家康。帰ってなかったのか」


「いや、なんか話し込んじゃってさ」


「俺もだぞ、当麻」


 順と家康がそう言って笑みを浮かべた。


 俺はそう言えばやってなかったなと思いだしたことが一つあった。


「りずは、少し頼んでいいか?」


「なに、お兄ちゃん」


「家康、順!写真撮ろうぜ!」


「おお!いいぞ、当麻!」

「家康、はしゃぎすぎだよ。それと当麻、写真なら向こうで撮ろう」


「はい、撮るよ!!!はい、チーズ!」


 カシャリ。俺と家康と順の三人の写真が撮れた。俺はりずはからカメラをもらうとすぐにその写真を確認した。良い写真だ。家に飾ろ、俺はそう決めた。

 響子たちも写真を撮っているようだった。俺が写真を撮ろうと言い出したことが原因だろう。小田切(津田)と徳川(鳥橋)たちと写真を撮っている。


「どうせなら、6人で撮らねぇか?」


 徳川がそう言った。順と小田切、徳川が賛成を示し、俺と響子はお互いに顔を見合わせながら笑った。


「ほら、当麻。そっち行った」


「響子さんもほらほら」


 ·················やっぱこうなるか。


 俺の予想通り、小田切夫妻、徳川夫妻の思惑通り俺と響子は隣で写真を撮ることになりそうだ。


「はぁ、こうなると思ったんだよな·········」


「そうだね、当麻くん」


 俺はやれやれと肩をすくませながらもなんやかんやでこうして響子の隣にいることが誇らしかった。


 俺は高校時代に大きな転機を迎え、そこから大きく人生が変わった、ように感じたといったほうが良いのか?


 なんのために勉強しているのか。あの当時は俺が事故にあい、俺の醜態を見た友人たちが俺のもとから離れていく、そんなときに出会った少女のためと言うだろう。


 だがそうではない。今だからこそ言えることだ。


 答えは『今この時間を迎えるため』だ。


 過去の俺はバカだった。今でもバカだと思う。けれど、こうして今、響子の隣にいられるのは俺のこれまでの過程があるからだ。後悔をするようなことをした結果、響子と出会えた。出会った場所は病院で、俺は足の骨を骨折していたが。でも、あのとき、あの瞬間から俺にとって憧れの存在であり、今では愛しい存在である日下部響子と出会った。あの日からこれまでは楽ではなかった。それは響子だってそうだ。でも、俺たちはそれらを乗り越えてきた。苦難に一つ一つ立ち向かい、乗り越えてきたのだ。


 今ではこうして頼れる仲間がいる。仲間だけでなく、母さんや親父、りずはもいる。津田の親父さんだっている。美愛さんや野口さんだっている。


 だから、俺はこれからも後悔することに怖がったりしない。むしろ、楽しんで、そして、乗り越えてやろう。俺はそう思った。


 写真を撮り終えると俺は響子を見た。響子も俺を見ている。


「響子、これからもよろしく」

「これからもよろしくおねがいします、当麻くん」


 そう言って俺たちは笑みを浮かべた。









 ◇


 俺はもう挫折して、絶望して。後悔するような日々を送ることはもうないだろう。


 だって―――――――――。







 私はもう暗闇に怯えて、泣いて。そんな苦しくて辛い日々を送ることはないでしょう。


 だって―――――――――。










 きみが隣にいるから。

 あなたがそばにいるから。



俺はいつでも後悔する。完

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