第二章 帰還者

第1話 勇者の帰還


 我はその後、約束通り勇者の男に彼に必要なものを貸し与えた。

 すなわちこの「仲介者」である。

 「彼女」と一応呼称するけれども、かれらには別に人間のような二性があるわけではない。ただ単に、人間の姿に似せて姿を変貌させられるというだけの話だ。たまたまこの者が、オスよりはメスでいるほうが楽な個体だというばかりである。

 ともかくも。

 彼女はまるきり人間のメスとしての姿にも、巨大化していわゆる「ドラゴン」としての姿にもなることのできる個体だった。非常に器用なのだ。頭も回り、鋭い観察眼を持つ。なにより、我に対して徹底的なまでに忠実だ。

 勇者の道案内として、また彼の行く末の観察者また報告者として、これ以上の適任者はいなかった。


「これは、また……凄いな」


 目もくらむような夕日色の巨大なドラゴンと化した彼女を見て、勇者はしばし言葉を失ったようだった。


《生まれながらの『ドラゴン』たちももちろんいるが、このように自在に変化へんげできる個体もいる。彼女は後者だ。それも、とりわけ優秀な》

「な、なるほど……」

《あちらの世界では人間のメスの姿になるそうだ。このように》


 言った途端、悠然としたドラゴンの姿は煙のようにその場から消え、あとにはどこからどう見ても人間のメスにしか見えない者が立っていた。髪はやはり燃えるような夕日の色。瞳はドラゴンとしての金色である。人間の魔術師が着るような長衣ローブとマントを身にまとっている。


《そばに置いておくがいい。何かの役には立とう》

 勇者は片方の眉を上げて俺を見た。

「で? 俺の監視をさせると?」

《それが嫌なら、己が足で帰るがよかろう。幸い、傷はすべて治っているはずである。体力も戻っておるであろう》

「それも、帝王サマのお陰でだ! お礼を言えと言った。オマエ、まだ言ってない!」


 突然「仲介者」が叫んで、場が一瞬静まりかえる。

 洞窟にまた金属的な高音の余韻が満ちた。


《勝手に発言するなと申したはずだぞ》

《もっ、申し訳ありませぬ……! しかしこやつが──》

《もうよい。……で? どうなさるのだ、勇者どの。彼女の背に乗るのか、乗らぬのか》


 ややおどけた調子でそう訊ねると、男は憮然とした顔を左右に振った。それから、まず「仲介者」に向き直った。


「その点については申し訳なかった。確かに俺は無礼な奴だ」

 言って、今度はこちらに向かい、ぴしりと居住まいを正す。

「理不尽にもあなたを攻撃したにも関わらず、俺を生かし、傷を癒し、食物と寝る場所を与えて頂いた。……ここに、あらためて心より御礼おんれいを申し上げる」

 そうして、すっと腰を折った。

「謝礼が遅れたことについては、どうかあなたの浩然こうぜんたるお心をもってお許しを願いたい」





 さて。

 ここからは伝聞になる。

 ひととおりの仕事を終え、無事に我がもとに戻ってきた「仲介者」による報告である。


 巨大なドラゴンを駆って空から舞い降りてきた勇者カリアードを、故国の人々や仲間たちは喜びと驚嘆をもって迎え入れた。

 ドラゴンはそのまま飛び去ったように見せかけて、勇者と共に戻ってきた魔術師の女を装った。勇者は帰還の途中で彼女と出会い、その助けを借りて帰ってきたことにしたのである。彼女は自分が望むとき、いつでもそのドラゴンを呼び寄せることができるということにしたようだ。


 自分の雇い主、つまり彼の国の国王への報告を済ませると、勇者はすぐに計画に着手した。すなわち、各国の王侯貴族が抱えている書庫にある古文書を調べあげ、我が伝えた過去の事実の裏付けを取る作業に入ったのだ。

 もちろん、そこに書かれているのはその国の為政者にとって都合のいい記述にすぎない。書かれていることの裏を読み、異なる情報を突き合わせて矛盾点を調べ上げ、我の言との齟齬や共通点を少しずつ探っていったようだ。

 もちろんこれは、カリアードひとりでできる仕事ではなかった。彼はあの「英雄王」と同じく、仲間との絆を大切にする男だった。生き残りの仲間たちは、傷ついた彼の生死を確認することもなくあの場から逃げたことを悔いていた。そして彼の言葉を信じ、仕事に協力してくれたのだ。


 調査には数年を要した。

 その間、仲介者はずっとカリアードのそばにいて、なにくれとなく彼の仕事の補佐をした。

 彼女はあまり長く我と離れていることはできぬ。彼女とていずれは他の「魔族」と同様、理性を失って狂うことになるからだ。

 それゆえ彼女は百日に一度は我のもとに戻り、我から大地と大気の《気》を浴びて癒しを得、その後またカリアードのもとに戻るという面倒な生活を余儀なくされた。


 そうして遂に、カリアードは確信を得た。すなわち我の言の正しさを確認したのである。

 彼我ひがの対話があってから、すでに五年に近い月日が流れていた。


 彼はその間、信頼できる仲間たちにのみ、その旨を密かに話して聞かせていた。

 仲間たちの驚きはひととおりのものではなかった。


『つまり、我らはそもそも、ただの侵略者だったというのか?』

『オークの帝王は、なんら悪意もなければ愚鈍な者でも、強欲な者でもなかったと?』

『英雄王カリアードは、ことのはじめから当時の為政者たちにたばかられていたというのか』

『恐るべきことだ。信じられぬ……』

『だが、事実はそう考えるよりほかない。すべての情報がその事実を指し示している。そうとしか思えぬ以上は仕方なし』


 さまざまな意見が出、疑心暗鬼に陥る者も多数いた。だが結果的に、仲間たちのうちでは勇者の側についた者がほとんどだった。数名の落伍者は出たけれども「そのぐらいは予想の範囲内であろう」というのがカリアードの意見だった。

 

 ともかくも。

 そうして勇者カリアードは次の段階に進んだのである。


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