お墓公園
椿恭二
想い出
「お墓公園に行く」
その話を最初に聞いたのは、深夜のファミレスでKという友人からだった。
彼の父は極々普通のサラリーマンの転勤族だった。Kは埼玉産まれで、幼少期を東京で過ごした。
それから小学校二年生の時分に、私の暮らすこの地方都市へ転校してきたのだった。昔、この街の感想を聞いた事があるが、静かでよい所だ、とのんびり答えた。
しかし本当は、都会で就職し、雑踏の片隅で邁進しながら生きたかったKには、恐らくは酷く退屈な街に違いないが、彼が文句を言ったことは後にも先にもなかった。
私達はその頃からの仲で、Kの転校先での最初の友人が私だった。中学時代は良く学校をサボタージュして、連れ立って向かった名画座で二本立ての映画を観ては、学校から連絡を受けた親にこっ酷く叱られた。
高校卒業後に、私が東京の美術大学に進学した後も帰京すると、酒をやらぬ我々はファミレスで朝まで語らうのが楽しみだった。
映画をこよなく愛する友人で、学生時代から監督を目指していて、その夢をよく私だけに語った。
家庭に金銭的余裕があれば専門学校に進学したかったのだそうだ。その夢が忘れられないのか、二人で会うと映画談義で盛り上がる。そして市井の映画批評家よろしく、Kはお気に入りの作品を紹介をしてくれるのだった。そんな熱を持った彼が嫌いではなかった。
同時に美術に邁進していた当時の私を、彼は羨望の眼差しで眺めていた気がする。その為に一流の教授の、一流の講義で習った、専門的、あるいは美術史的な映画の話を振ると、いつも話を逸らしてしまった。顔にこそ出さなかったものの、映画だけに関しては誰よりも一番でいたかったのだろう。
そこには苦虫を噛み潰したような、「恵まれた者への軽蔑」があったのだろう、と私は思う。
しかしながら夢破れたKは、自分の境遇に一切の愚痴を言うこともなく、高校を卒業と共に片田舎の大手車会社の下請けの、小さな金属加工工場に就職した。お世辞にも一流とは呼べない薄給の零細企業だった。従業員も少なく、男ばかりのむさ苦しそうな環境だった。さぞ女性との出会いなんぞはないのだろうな、と私は内心思っていたが、それでも自由気ままに独身生活を謳歌していた彼に、一切の卑屈さは感じなかった。
この頃のKが何を思っていたのかは、私には分からなかった。出世欲もなさそうだったし、一生独身で町工場のオヤジで死んでいきたいのさ、と諧謔的に笑っていた。理解し合える伴侶がいて、共に尊重し合って歩んでいくのも悪くないのかもな、と彼にして珍しい恋路の望みも語っていた。
それこそ、もし彼が親の仕事に振り回されずもし東京にいたのならば、彼のそんな仔細な幸福は、言わずもがな安易に叶うに決まっていただろうと私は思うし、望み通りに映像関連の仕事の道での社会的成功があったのかもしれない。
しかし今となっては、そんなことは考える方が無駄な気がする。
「お墓公園」。この奇妙な言葉を聞いたのは、大学一回生の夏だった。
確かその日は平日で、店内は閑散としていた。少ない滞在客の殆どは私たちと大差ない、時間を持て余した貧乏な夢想家ばかりだった。煌々と嘘臭く光る蛍光灯と、有線のヒットソングが安っぽく、そして虚しく響いていた。
何でもない話の始まりは、向かいの車線をサーチライトが瞬く窓ガラスに映る自分の顔を、物憂げに眺めたKがポツリとその言葉を呟いたのがきっかけだった。
Kはドリンクバーで汲んだコカ・コーラを飲み干しながら、乾いたパセリがお飾りに添えられた横に、二、三個転がった麦色の萎びたポテトをつまみのんびりと語った。
それはまだKが東京に住んでいた頃の話だという。彼は京王線沿線の終着駅近くの、とある田舎街に住んでいた。都心から離れた街にはこれと言った特色もない、閑散としたベッド・タウンだったらしい。
娯楽は複合型スーパー、シネコン、家電量販店、ビデオレンタル屋……。そんなどこにでもある郊外の光景そのものだった。しかし、電車を乗り継げば都心に小一時間で出られる利便性もあった。そのくらいの都会型の田舎だ。
そんな東京の郊外よろしく、住宅街の一部にはまだまだ自然の残滓が、所々パーツの嵌められていないパズルの様ように残っていたらしかった。
今思えばその空白が、Kの一種の過度に妄想的な想像力を育んだのかもしれない。
幼き彼はある日に近所を今は亡き祖父と、日課のように当てもなくぶらぶらと近所を散歩していたのだという。そこはパズルのない部分だった。周囲には大した建物はなく、ちょっとした雑木林だったのだそうだ。車道から小さな林道に入ると、ハイキングコースと呼ぶにはあまりに貧相で杜撰なばかりで、少年の好奇心を満たしそうなものは何一つないように思われたそうだ。
ある日の散歩の最中、その林道の先で不思議な場所を見つけた。
ドクダミがぞろぞろと不気味に群生する雑木林の中では、ぽっかり開けた奇妙な空間だった。
そこには、水色、桃色、若草色といったカラフルな墓石が乱立しており、自分と同じ年頃の少年少女がその上を、ぴょんぴょんと飛び跳ねながら楽しそうに遊んでいるのだという。
到底、墓地には見えなかった。だからといって充実したアスレチックのある公園にも思えなかった。だが木漏れ日が、墓石の上で乱反射して美麗だったそうだ。
子供だけの秘密基地のようだった、とそこまで妙に嬉しそうに語ったKは、ポテトの皿を空にした。
「お墓公園だ!」と、K少年は叫んだ。
しかし、祖父は目を逸らし渋面で、何も答えなかった。そして禁忌に触れるように、絶対にその場所については教えてくれなかった。それは温和な祖父にしては妙に頑ななものだったのだと、ぼんやりと述べた。
その日の夜、夕飯の時間にK少年は食卓の話題に、早速この発見を持ち出した。しかし両親は能面のような顔で、ただ彼の顔を見ないようにしていた。
せめて忠告や何かの返事があれば、ここまで執着することはなかったのかもしれないな、と彼は未だに解けぬ数式を回想した。
それからもK少年は幾度となく散歩の度に「お墓公園に行きたい」と、せがんだのだが、祖父は決して許してくれなかった。それどころか一切の無視を受けた。
日課の散歩の日々で、奇妙なその公園と祖父の態度だけが、粗の多い小説の残された謎のように奇妙だった。しかしそれが逆に、K少年の好奇心をそそってやまなかった。
またある時、散歩の途中で「お墓公園」の前を通った。見知らぬ子供たちは相変わらず、色とりどりの墓石の間を駆け回り、遊園地のテーマパークで遊ぶように楽しそうにしている。雑木林の奥に潜んだ秘密の遊び場は、幼心にはどこまでも蠱惑的だった。
K少年はいつもの様に駄々をこねてみたものの、祖父は相変わらず無視を決め込んだ。それでも諦めきれずにその公園を傍観していると、不思議な光景が目に入った。
——少女がいたのだ。
五歳くらいの彼女は溢れんばかりの笑顔で手招きをして、K少年を公園に誘った。
「女の子が呼んでいる!」と彼は叫んだ。自分もそこに行きたい。遊びたい、と懇願した。すると彼に対して初めて祖父は激昂したのだそうだ。その怒りは尋常ではなく、号泣する彼にもお構いなしに、子供には分からない言葉で罵倒した。
そして、散歩の道筋は変えられた。
K少年はそれでもそこが無性に愛しく諦めきれなかったが、異常な祖父の態度に慄き、それ以上は逆らわず黙することにした。
それから二度と「お墓公園」は見ていないのだそうだ。
彼は非常に記憶力がよく、未だにその場所を正確に覚えていて、私に丁寧に説明してくれた。頼んでもいないのに、ナプキンにボールペンでご丁寧に地図まで描いた。その時の筆の踊り方は、彼にしては珍しく浮き足立っていた。
「今考えれば混乱した記憶で、ただの遊具が子供の目には墓石に見えたのかもな」
そう言って、Kは苦笑した。
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