虚像と哀愁
添慎
プロローグ
遠い記憶。私は広場に立ち尽くしていた。低く強い男の声が反響する。
―時は来た。傍若無人、無知蒙昧なる人間を淘汰し、我ら妖が至上なる共同体を構築せねばならないのだ。人間たらしめる律も、妖を侮辱す通念も必要ない。幾重の困難も、不条理も我々の代で終いにしなければならぬ!―
広場は異様な熱気に包まれている。演説を聞いて感涙するもの、激しく同意するもの、煌めいた瞳で男を見据えるもの…。わたしを連れてきた両親も、彼の言葉一つ一つに相槌を打ち、感服したような態度を見せていた。
日が暮れ、月が静かに瞬き始める。男は声をひそめる。
―私にはわかるのだ。あなた方の難儀が、憤慨が。一度は妖怪に生まれてしまった私がいけない、人間になれたらと思ったかもしれない…。…だが、あえて声を大にして言わせてもらおう。あなた方は何も悪くない。妖怪は人間よりも優れた種族であり、迫害され不自由な思いをしなければならない義理などない。すべては人間が愚かで無知なことが悪いのだ。
母が号泣し始めた。その声に気が付いた男は憐みを浮かべ、苦しい境遇を思い出し震えている母親を見据える。
―可哀そうに。相当惨い目に遭ってきたのだろう。よいのです、流してしまいなさい。暗然たる記憶もすべて。ここにいる妖たちはみな、仲間なのです。―
―…右代様。あなたは神様です。私たちを救ってくださると信じています。―
…その時、男が「神様」という言葉に瞳を揺らがせ、寸時の冷たさが表出した事を見逃さなかった。
日がすっかり暮れた後も演説は続いた。妖怪たちは高揚し、彼の言葉に感服し、歓声と肯定の声を上げ続けていた。その様子に男は非常に満ち足りた表情を浮かべていた。同士として、家族として一体となった会場。妖怪の未来のために結託し、希望を浮かべている一同。
わたしはたった一人、彼の冷淡なまなざしを思い出し、得体の知れない震えに襲われていた。
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