006_約束の為に
フリートと家を出たオーネス。
河原に向かうためには村の近くの森を経由する必要がある。
しかし、森に面した場所は重点的に警備されている場所である。森は木々が生い茂るためは隠れる場所も多く、警戒をしなければならない場所だからだ。
それは分かっているものの、まずは警備の様子を見てみようと、いつも河原に行く時に通る場所付近に行ってみる。しかし、残念ながらすでに村人が警備を始めていた。
見つかれば、村の中で出歩くならともかく、子供が夜に村の外に出るのは認められない、と、家に戻されてしまうのは必至である。
ならば、見つからずに村の外に出るしかない。空を見上げると、もう月が出ている。手元くらいであれば月明りで視認できるが、遠くを見通せるほど明るくはないという塩梅だ。ある程度、距離があれば見つかる可能性は高くないであろうが、ランタンに火を灯せば見つかると思った方がよいだろう。
警備担当は森に隠れている者がいることを想定しているのか、警備の場所や様子を悟らせないためにランタンを使っていないが、いつ使い出すかは分からない。しかし、警備担当がランタンを使い出せば即見つかってしまうだろう。
しかし、オーネスには警備担当の様子が分からず森に向かっても大丈夫なのか判断できない。ダメ元でフリートに警備の人の様子が見えるか聞いてみる。
もし、フリートも見えないようであれば、見つかる可能性は高くなるがランタンをつけて無理やり突っ切るしかない。そう思っていたのだが、意外な事に、見えるよ、と答えるフリート。
彼によれば、今は村の外に注意が向いているため、こちら側には注意がむいていなさそうだ、とのこと。そのため、出ること自体はそこまで難しくないだろう。
ならば、と、警備担当が次に視線を外した瞬間に合図をしてほしいと告げるオーネス。フリートは了解、と返す。
息を殺しながらその時を待つ。そしてーー。
「今!」
フリートの合図を受け駆け出すオーネス。警備員はこちらを見ていない、あと五歩で村の柵を越えられる。
あと三歩、というところで警備員がこちらを向きそうになる、とフリートが伝えてくる。
関係ない。このまま突っ切る、と更にスピードを上げて脇目も振らず駆け抜ける。
タッタッ
森に入った後も、少しの間、走り続けると森の木に背を預け、座り込むオーネス。
ハッハッ
全力で走ったために息も絶え絶え、と言った様であるが、周囲の音に気をつけながら辺りを見回す。灯りは見えない。念のためにフリートにも近くに誰かいないか聞いてみるが、近くにはいなさそうだ。とりあえず、第一関門クリアである。先程、見つかりそうだと思った時に、速度を緩めなかったのが功を制したのだろう。
ここからは河原への道だ。店主の話では魔物が出る可能性があるとのことである。連れ戻される事こそないが、村を出るときよりもはるかに危険だ
森の中であるため、視界が悪く、このまま進むのは危険がであろうと考え、持ってきていた火打ち石を取り出す。
魔晶を使って火を灯せれば楽ではあるのだが、村では魔力の使い方は基本的に14歳になるまでは教わらない。不便を感じなくもないが、文句を言っても始まらない。少し時間はかかったが、なんとかランタンに火を灯して改めて河原に向かう。
河原に着くと、木々が光を反射しないからだろう、少し明るくなった気がする。薬草を探すには好都合だ。
さて、と早速、薬草を探し始める二人。薬屋の店主の話によれば、目当ての薬草は夜であれば光っているらしい。どのあたりに生えているかは分からいので、一先ず、川の上流に向かっても歩みを進める。
河原は昼間に来ているから何とかなるだろう、とたかをくくっていたが、夜に歩くとなると明かりがあるとはいえ昼よりは視界が悪いためいつもより歩きにくい。それでも、薬草を手に入れて帰るのだ、という一心で進む。
フリートにも普段とは違うに匂いがしたり、気になるものが見えたら間違いでもいいから教えてほしいと頼み、更に奥まで足を踏み入れていく。
しばらくすると、フリートから声をかけられた。
「オーネス」
「どうした?」
「あの辺り、少し光ってない?」
そう言って、頭の耳を向ける。耳の向いている方向をよく見てみると確かに少し光っているようだ。
しかし、少し高い位置で光っており、地面に生えているという感じではない。どういう事だろうか、と思い、近づいてみると崖があった。
なるほど、薬草と思しき植物は崖に生えていたようだ。群生、という程ではないが、数本持って帰ることには問題なさそうだ。
ちょっと待っててくれ、とフリートに声をかけて近くに彼を置くと、早速、崖に手をかける。普段から身体を動かしていたおかげかなんとか崖を登ることができた。薬草の近くまで来ると片手で抜いていく。
鞄にそのまま入れるのは大変なので薬草を束ねながら摘んでいく。
順調に薬草を抜いていき、4本までは抜く事ができた。しかし、最後の一本を抜こうとしたが、根を深く張っているようで力を入れなくては抜けそうにない。なんとしても、薬草を抜くべく、思いっきり力を入れる。すると、勢い余って崖を掴んでいる手も離してしまった。まずい、ぶつかる、と思ったその時ーー
ぼすっ
まるで枕を下敷きにしたような音がした。
「いてて……」
自分の下をみるとフリートが下敷きになっていてくれた。すぐに体を退けるオーネス。
「ありがとう」
「うん、それより薬草は?」
「え? あっ」
落ちるときに手を離してしまったようだ。辺りに散らばってしまっている。しかし、幸いにして薬草は川には流されておらず、回収できそうだ。ほっ、としたのも束の間。
コトッ
歩いてきた何かが石を蹴り飛ばした音がする。
ランタンの光を向けてみるとそこには、黒い毛皮に鋭い爪、そして長く発達した奥歯と二つの尾を持つ狼のような魔物がいた。
「グルルルルルルルルル」
二人を赤く輝く目でこちらを見ながら唸っている。明らかに敵意を持っている。
一瞬逃げて魔物をやり過ごそうかと頭をよぎる。
しかし、そこら中に散らばっている薬草を無視して、ここで逃げた場合、同じものをまた見つけられるかは分からない。それに何より、母に約束した。必ず助ける、と。ならばここで引くわけにはいかないと魔物を見据える。
小声でオーネスに周りに他の魔物がいそうか聞いてみると、他に同じ匂いはしない、との事だ。
幸いなことに魔物は一体のようだ。それならば何とかなるかもしれない。
オーネス、僕があいつの気を引くからその隙に薬草を集めてくれ。そう告げると、足元の砂利を魔物に蹴り飛ばす。目に砂利が入ると首を振りこちらを睨め付けてくる魔物。それを見た瞬間、頼むぞ、と声をかける。
ダッ!
フリートとは反対側に駆けだすオーネス。オーネスを追いかけてくる魔物。
いかに勝手知ったる河原とはいえ、人間の子供と四足の獣、脚力の差は歴然である。
じりじりと詰められている事が、魔物の足音で分かる。後ろから飛びかかって来られれば、なす術なく食い殺されてしまう。そうならないためには、先んじて攻撃する必要がある。そう考えたオーネスはナイフの柄に手をかけ、すぐさま左足で踏ん張りを効かせ転身する。
魔物もいきなりの転身に対応できていないようだ。目の前に迫りつつもまだ襲い掛かる準備は整っていないように見える。
ーー今だ!
右足に力を貯め、姿勢を低くして一気に駆け、ナイフを抜き放つ。
スパッ
ナイフを斬りつけ、そのまま、魔物の左に向かって切り抜ける。
その時、肉を切ったような感触がした。オーネス自身が意識をした訳ではなかったが、魔物の右目を切ることに成功している。
初めて生き物を切った感触に少し呆け、構え治すのを忘れてしまうオーネス。一瞬後に、魔物の叫び声が上がる。その様子に、ハッとし、魔物の方へ身体を向ける。が、時すでに遅し。
両手を前に突き出した魔物が目前まで頭を目掛けて飛び掛かってきていた。
とっさにナイフを横に倒して、何とか刃を魔物の口の間に割り込ませることに成功する。
しかし、その勢いを殺すことはできず、バタンッ、と倒れこんでしまう。
オーネスの喉元を噛み切らんとして頭を近づけようとしてくる魔物。
しかし、倒れた瞬間にとっさにナイフの峰の部分に片手を沿えていたことで、そのまま噛みつかれずに済んだ。普通の狼であれば、そのまま口を裂くことができたであろうが、魔物の牙で口を裂くまでには至らない。
それでも、噛みつかれなくて済んだ。
ーー助かった
一瞬そう思ったが、魔物の力は弱まらずじわじわと顔が近づいてくる。力を緩めていないのに、魔物の顔が近づいてくるのは変わらない。力を込め続けなくてはならないため、体力の消耗も止まらない。
「ハァッ、ハァッ」
オーネスの息が上がってくる。息の音がうるさい。
ぼたぼたと唾液がこぼれ、顔にかかる。何とか押しのけなければ、このまま嚙みつかれ、そのまま殺されてしまう、と焦燥感に駆られだすオーネス。
ーー駄目だ、ここでこいつに殺されてたら、お母さんは助からない
自分のが辛いのを押し殺して、笑顔を向けてくれた優しい母が死んでしまう。それは絶対に許せない。許すわけにはいかない。そう思ったオーネスは力をふり絞り魔物の頭をわずかに押し返す。
しかし、押し返せたのはわずか。すぐに拮抗してしまう。
「ぐ、ぐ……」
押し続けるものの全く押し返せる気配がない。
ーーどうすればいい?
考えを巡らせるも妙案は全く浮かばない。逡巡している内に、しびれを切らしたのか魔物が前足を上げ、その牙を以て確実にオーネスの息を止めんと迫る。
ーーまずい! このままだと、食い殺される。どうする? どうする!?
「オーネス!」
近くで叫んでいるはずななのに遠くに聞こえるフリートの声。
ーー死ぬわけにはいかない
なおも何か打開策はないか考えるオーネス。しかし、目の前に迫る死に対して、千々に乱れた思考では何一つ考えがまとまらない。そして残酷にもその前足が振りかぶられようとする、その瞬間ーーーー
ドカッ!
目の前でそんな音がしたかと思えば、今まで魔物で埋まっていたはずの視界が急に開ける。
何が起こったのかと混乱するオーネス。
次の瞬間には、少し遠くでドサッという何かが落ちた音がする。
上体を起こして先程の音がした方向を見る。魔物が自身の身の丈3つ分ーー5メトレほどであろうかーー先に倒れていた。
「大丈夫? オーネス」
後ろからフリートの声がする。振り返ると、そこには青い餅はいなかった。
そこには兜の様な外殻を被り淡い蒼い色をしたトカゲのような生物がいた。
その手足、本物のトカゲのようにほっそりしている訳ではなく、自分を同じくらいの太さには発達しているように見える。
そして、その手足の爪はトカゲというよりもおとぎ話で見るようなドラゴンのそれに近いものを感じる。
本当にフリートなのか、と思ったが、その生物は先程、フリートに回収を頼んだ薬草を手にしていた。
「君、本当にフリート?」
「何言ってるのさ、ボクに決まってるだろ?」
そう言われてもにわかには信じられず、青い餅は近くにいないかと周りを一瞥しても薬草は周りになく、青い餅もいない。この青トカゲからの声はフリートの声に相違ない。
つまり、この青トカゲは本当にフリートであるようだ。いきなり姿が全く変わってしまったフリートに混乱していると、先程の魔物の呻き声が聞こえた。
二人とも視線を再び魔物に向けるとふらつきながらこちらを見ている。
しかし、相当にダメージを抱えているのであろう。先程のような威圧感を全く感じず、こちらに襲い掛かってくる気配を見せない。
それでも、このまま放置していてはまた後になって襲ってくるかもしれない。かわいそうではあるが、ここで息の根を止めておかねばならないだろう。
そう思い、ナイフの柄をもう一度握りしめもう一度切りかかろうとする。その時、フリートから手が伸びてくる。
「オーネス、これ持ってて」
魔物から視線を切らずに薬草を手渡してくるフリート。
それを受け取ると、少し前傾姿勢にで力を貯めているようだ。ぐっ、と握りこぶしを握ったかと思うと、次の瞬間。
ドンッ!
地面を蹴った音がする。辺りに土が舞う。そして、次の瞬間にはフリートはすでに魔物の近くにいた。そのまま魔物の胸部に向かって拳を振る。その拳は魔物の胸を刺し貫いているように見える。
すると、黒い霧が魔物の周りに発生したかと思うと魔物も次第に透けてきて、しまいにはそのまま消えてしまった。
カツン
石同士がぶつかったような音がする。音のした場所を見てみると紫色の結晶があった。魔晶である。
狼の魔物を殺すと魔晶が出てきた。何故そうなったのかは分からないが、薬草と合わせて魔晶も鞄の中に入れる。
魔物が魔晶に変わったのを見て、終わったのだと思い、はぁっ、と安堵の息を漏らす。
このまま、休みたい衝動に駆られが、早く母を助けたい。一方で、魔物を倒したフリートの調子も心配である。村に戻れるか聞いてみると、大丈夫、早く帰ろう、と返すフリート。
問題はなさそうなので、フリートに言われたように村に戻ることに決める。
疲れてはいたが、まだ魔物はいるかもしれない。周囲を警戒しながら村への道を急いだ。
幸いにして帰りは獣や魔物に遭うわずに村に戻る事ができた。次第に村の明かりが見えてくる。その頃には空が白んできた気がする。
どうやら、オーネスが思っていた以上に時間が経っていたようだ。
青トカゲを連れながらやってくる人影に驚く警備担当。警戒しながら近づいてくるがオーネスである事に気が付くと、すぐに駆け寄ってきた。
オーネスである事は分かったものの、何故、村の外からやってきたのか、隣の青トカゲは何か問う警備担当。それに対して簡単に答える。
オーネスの説明に警備担当は納得したが、夜、勝手に外に出たことを叱ろうとする。
しかし、一刻も早く薬草を届けたいオーネスはすぐさま謝罪をしてそれを制すと流行り病に効く薬を作ってもらいたいからと言って薬屋に向かおうとする。向かおうとすると、大人がいた方がいいだろうと言って警備担当は薬屋まで付いてきてもらえる事になった。
まだ、朝を迎えようとしている時間である。
当然ながら、薬屋はまだ開いていなかった。どうすればいいのか、と途方に暮れかけたオーネスであったが、付いてきてくれた警備担当が店の戸を叩いて店主を呼んでくれる。
どんどん、という戸を叩く音に流石に気が付いたのか、慌ててドアを開ける店主。
オーネスはまだほのかに光る薬草を見せ、店主に言われた薬草を持ってきたことを伝えると、店主はなんて危険な事をしたんだ、と言おうとした。
しかし、酷くボロボロになっているオーネスの姿を見た店主は叱るの止め、頑張ったね、とだけ口にし、頭に手を置くと、そのまま薬草を受け取った。
「すぐに薬を作るから少し待っていてくれ」
そこまで聞くと流石にもう限界が近かった。壁に背を預けると、ずるずると床に座り込む。
座り込んでしまえば酷い眠気が襲ってくる、しかし、寝る訳にはいかない、と思い、何とか起きていようとすると首を振る。すると、警備担当から、できたらすぐに知らせるから、と言われた。近くをみると、フリートも疲れたのだろう、床に座って寝てしまったようだ。しかし。
「ごめんなさい。妹に僕かお父さん以外が来ても扉を開けるな、と言っているので……」
「分かった。じゃあ、僕も君の家に行くよ。妹さんに事情を説明すれば大丈夫だろう?」
確かに薬に関してはできることもないので、警備担当の申し出を受けフリートをおぶってもらい、三人で家へと向かう。
まだ朝も早い。レクティは寝ているかもしれないな、と思いながらも扉を叩き呼びかける。
「レクティ、兄ちゃんだ。扉を開けてくれないか?」
流石に寝ているか、と思ったが、少しすると、キィという音がする。
少しだけ扉を開き、覗き込むようにしているレクティ。
「おにいちゃん?」
「帰ったよ。一人で頑張ったね」
言うと泣きながら駆け寄ってきて、オーネスに抱きつきながらワンワンと泣いている。
すぐに扉を開けたことといい、随分、心配をかけてしまったようだ。
きっと不安で仕方なくて眠れなかったのだろう。
そんな妹の頭を撫でながら、ありがとう、と言うと緊張の糸が切れてしまったのだろう、すぐに胸の中で寝てしまった。妹から感じられる体温が心地よい。
ーーまずい。このまま寝ちゃいそうだ。でも、ちゃんと言わなくちゃ。
「すみません。薬屋さん呼んでくるの、お願いしてもいいですか」
隣の警備担当の人に頼むと、分かったと言い、家の中にフリートを下ろす。
警備担当の人はまた来た時に教えるからね、と言うと薬屋へ戻っていった。疲れも限界に差し掛かってきた。ベッドを見ると母は未だに辛そうである。
ーーだけど、もうすぐ治るからね
心の中で語りかけると、オーネスはそのまま瞼を閉じるのであった。
どれくらい眠っていただろうか、自分を呼ばれた気がしたオーネスは酷く瞼が重かったが何とか瞼を開ける。目の前には母の顔があった。
「お母さん?」
そう口にすると、ばっとオーネスを抱きしめるシンシア。
「薬屋さんに聞いたわ。夜に子供だけで外に出るなんて何を考えてるの! あなたに何かあったらどうするの!? 死んでいたかもしれないのよ? そうなったら、お母さんは助かっても嬉しくないの。だから、お願い。危ないことはしないで」
今にも泣きそうな声で懇願する。しかしーーーー
「嫌だ、僕はお母さんが大変なのに知らんぷりなんてできない。だから、約束はできない」
その言葉に目を見開くシンシア。何か言おうとするが、一度目を閉じる。
「分かった。なら、せめて大人になるまでは危ない、と思ったら、必ず大人に相談して。お願い」
「……」
「これなら約束してくれる?」
「うん」
「だけど……こんなに大変な事をしてまでお母さんを助けてくれて、ありがとう」
そう言って、オーネスを再び強く抱きしめるシンシア。その柔らかな声色と温もりに助けられたんだ、と実感すると、安堵から再び眠気が襲ってくる。今度はそれに逆らわず夢の世界へと旅立つのであった。
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