第25話

 食事を終え、マンションのエントランスまで熊谷芳樹を見送りに出た。

 彼はここまで自転車で出来たらしい。

 ここから家まで一時間くらいだよって笑っている。


「芳樹。俺さっきまでサッカー辞めようと思ってた。芳樹のことすら友達だって言葉にして言えないのに、仲間を信頼してサッカーなんて出来るのかって。けど、芳樹が伸ばしてくれた手を今度は掴めそうな気がしてて、少しずつだけど治すようにするからさ。俺もう少しサッカーやっててもいいかな…凄い我儘なんだけど…芳樹と一緒にサッカーやりたいんだ。今まで同じことポジションだったから絶対それが出来なかったから。今度は…」


「俺、自分が、こんな泣き虫だと思わなかったよ。早くAに上がってこいよ。龍臣ならすぐだよ。だから、もう辞めるなんて言うなよ」

 涙を拭っている芳樹にありがとうとだけ伝えた。

 何度も振り返り手を振ってくれるのを見えなくなるまで見送っていた。

 自分勝手が過ぎると思う。それなのにあいつは笑ってくれた。それにつけ込むように甘えても良いのか?って思いはある。辛かった事を前面に押し出して同情してもらいたいだけだろって。

 でも、あんなに醜態を晒したんだ。もうこれ以上格好つけたところで絵にもならない。

 さっきも思ったけど、たとえこれから先に熊谷芳樹に裏切られるような事があったとしても、俺は手を離さないと決めた。熊谷芳樹に呆れられる前に這い上がらないと。マンションのエントランスに入る前、もう一度振り返ったが夜の闇が広がっているだけであった。


「杏香ちゃんも愛ちゃんも泊まって行くって。布団出しておいてあげて」


「布団どこに敷くの?二枚ともねぇねの部屋でいいの?」


「お?とうとう杏香ねぇねと、一緒に寝てくれるのか?夜ずっと慰めててやろうか?」

 もうなんか凄い顔で笑っている。でも気づいた。美人ってどんな時でも美人なんだなって…

「杏香ちゃんがたっちゃんの部屋で寝るなら私も…たっちゃんがまた居なくなったら困るし…」

 長富杏香は冗談で言ってるって分かる。でもこの子ちょっと恥ずかしそうにしてて、本気っぽい。多分、この子アホな子だ。


「いや、嫌だよ。めっちゃ嫌だよ。寝るのに寝れないよそんな状況。もう逆に寝れないよ。何の逆なのかよく分からないけど。先生冗談で言ってるんだからさ、お前もその冗談に付き合わないでくれ。恥ずかしい…」

 長富杏香をパッて振り向く佐藤愛子は、ニヤけた顔を見てそれが冗談だと気づいたらしい。

 真っ赤な顔して下を向いてしまった。


「なんか、今日は、本当皆んなに迷惑かけてゴメン…せっかく練習見に来てくれたのに、その後あんな風になって」


「ま、もう過ぎたことだ。病気みたいなもんだからそんな気にするな。でも次はその場で踏ん張れるようにがんばれ。倒れそうになった時こそ人を頼れよ」

 そう言うと立ち上がり、一回着替え取ってくるわ。愛子はどうする?って聞いている。

 チラッと一度俺を見る佐藤愛子。

 じゃあ私も。そう言って二人は出て行った。


 急に静かになる部屋。小春は洗い物をしている。水の音が聞こえなくなったので終わったのか、手をタオルで拭きながらコーヒー飲む?って聞いてくれた。


「帰ってきたら凄い怒られると思ってた」

 出された温かいコーヒーはカップの上で静かに湯気が揺れている。


「誰かが龍臣のことは叱ってくれたみたいだったからね」

 目が合うと薄く微笑む小春。


「あんな美人であんな可愛くて、スタイルもいいし、オシャレだし、優しいし。嫉妬するのすら烏滸がましいくらい完璧で、私が男だったらすぐ惚れちゃうと思う。あんな子がずっと隣の席にいて運命とか感じたりしない?」


「佐藤さん?もちろん美人だなって思うけど、なんか俺しょっちゅう怒られてるし、けっこう冷たい言葉吐かれるし、さっきみたいに変なことも言うし、なんだこいつって。同い年なのにさ、なんかねぇねといるみたいでソワソワするんだよな…」

 大して面白いことを言ったつもりなどないのだが、小春は大笑いしてる。


「あれだね。タツはもう大分大人になってると思っていたのにまだまだ弟のままだね。ちょっと心配だけど、なんか安心したわ」

 飲み終わったコーヒカップを手に立ち上がると、そっかそっかって嬉しそうに笑ったいた


「杏香ちゃん帰ってきたら呑むだろうから、なんかおつまみ作ろうかな」


 佐藤愛子と長富杏香が戻ってきたのはそれから一時間以上経ってたからだった。

 もうなんか寝る格好に着替えてから戻ってきてる。


「一度家に帰って寝る格好になったのなら、家で寝ればいいのに」

 ぼそっと呟いた言葉に、私がそばに居るのがそんなに不服なのかと怒られた。


「なんか、ほらあんなとこ見せちゃっし、なんか叩かれちゃったし、恥ずかしいって言うか…」

 手持ち不沙汰というかどうしていいか分からなくなって頭をかいていた。


「たっちゃんが居なくなるから…あんな苦しそうだったから…待ってって何度も言ったのに全然聞いてくれなくて、手を掴んだのに、見たこともない顔で離してくださいって言ってきて…私手を離しちゃったから。だから次はもうどんな顔をされても離さないって決めたのに、でも私を見ているはずなのに、私のことなんて見てくれなくて、悔しくて、佳奈美とは普通に話してたって聞いたから…私だって人を叩いたの初めてで、だけどゴメン。痛かったよね」

 俺そんな事言ったのか…

 痛くなんてない。佐藤愛子に俺なんかを叩かせた事が申し訳なくて…

 そんな感じで二人モジモジしていると


「杏香ちゃん見て見て!私の弟と杏香ちゃんの姪っ子さんがあそこでなんかアオハルみたいな事してる!なんかキュンキュンするよ。凄いかわいい!写真撮っちゃおうっと」


「私だってまだまだ青春出来るはずなのに!子供たちの青春ばっか見させられて、自分が歳をとって行くのをあんなに感じる職場だとは思わなかったわ。もっと青春したかったー」

 長富杏香は何とかストロングとかいうお酒を一気に飲み干してテーブルに突っ伏してブツブツ言っている。

 小春の方は本当に写真を撮っていたのか、携帯を眺めながらあのタツがこんなに大きくなって…とかなんか遠い目をしてて、佐藤愛子と顔を見合わせて、これ以上何か言われる前に二人逃げるようにリビングを脱出した。


「とりあえず入って。何もないけど。酔っ払いの相手、特に先生、マジ絡んでくるから。今飲み物取ってくるわ」

 適当にその辺座っててと伝え、クッションを指差し部屋を出た。

 身を屈め、キッチンに侵入。

 ペットボトルに入った茶色のお茶を二本取ってその場を後にした。


 部屋に戻るとなんか惚けたようにクッションに座り、もう一つのクッションを抱き抱えてる。

 と、言うことは、俺のクッションは無いってことになりますね。

 仕方なく彼女から少し離れてベットに腰掛け、飲み物を渡した。


「今日は本当にゴメン。そんで、本当にありがとう。すごい感謝してる。叩かれたことも含めて」


 ベットの上で自分の膝に着くくらい頭を下げた。そのまま何か言ってくるのを待っていると、佐藤愛子に頭を撫でられた。


「たっちゃんも今日は凄く大変だったと思うけど、あんなにたっちゃんの事思ってくれる友達もいてなんか凄く良かったって思えることもあったし、たっちゃんのうちに泊まる事になっちゃうし、私に取ってはすごく濃い一日かも」

 頭を上げると薄く微笑むいつもの彼女の笑顔が近くにあってドキッとした。

 凄く抱きしめたくなって、でもそんな事は勿論出来ないから、うん。って短い返事をして天井を見上げた。


 もうね。考えてみなよ。家で風呂入ってきたのかなんか知らないけど、凄い良い匂いがする美人さんが俺の部屋にいるんですよ。しかもすぐ隣で頭撫でてくれるんですよ?

 前の俺だったら確実に惚れてましたよ。

 こんなに良い子なのに、好きとかそう言うものをやっぱりまだどこか拒否してる気がして、俺は心が痛かった…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る