第2話

 お前はクラスメイトに心開いてないだろ?

 そう言われて、突然あだ名で呼ぶ佐藤愛子を非難しようとしていた声が詰まる。


 彼女の方を見れば、そんな視線も我関せずと今入ってきたばかりの教師の方に目を向けている。

 彼女の横顔をチラ見しながら、こっちを見たら意味を聞こうと思っているのに、見られてる事を知っていてこちらに見向きもせずに無視を決め込んでいる。


 2秒か3秒。


 美しいと誰もが思うその横顔にすら呆れ気味に嘆息を吐き、諦めて自分も黒板の方を向いた。


 心を開いていないのは勿論自覚もある。

 心を開いているように笑顔でクラスメイトと話している自分を、まるで幽体離脱したかのように自分の姿ごと上から客観視している感覚を何度も経験している。


 今の時間俺は何をしていたのだろうか…


 そんな状態になった時は必ず記憶にもやがかかり吐き気を催すほど気分が悪くなっている。

 さっきまで談笑していたくせに数分前のことが思い出せないのだ。


 そんな心境になりながら自分の席に着いた時には、俺の顔色が悪いからか心配そうに覗き込むような彼女の視線を感じていたように思う。


 いつまでもこちらを見ることもない佐藤愛子を諦めて前を見た。


 黒板に字を書き始める先生の背中。

 担任ではなかったが、その先生をよく知っている。

 一年生時、学年主任だった彼女の元に何度か個人的なお願いを持って訪ねいている。


「冴木龍臣。ティーンと呼ばれる時期はたったの7年間しかないんだぞ。その時期が一番多感であり成長出来る局面にぶつかる事が多いんだ。後から思えば、なんて言う事のない出来事かもしれないし、くだらないと思える悩みかもしれない。けどな、その時その時で頭を抱えて考える時間は、必ず大人になったときに思い出として残っていくんだよ。勉強でもいいし、スポーツでもいい。友達と遊んだり意見が食い違えば喧嘩すればいい。勿論恋愛でもいい。外ではなく、たくさんの出来事に学校内でも遭遇して欲しいんだ。だからこそ学校も教師も、その一端として授業以外の様々な催し物を行うんだよ。みんなの心に少しでも思い出すきっかけを作ってやりたいんだ。冴木龍臣の理由は理解できるし、それをもちろん応援もしている。でもせっかくこの学校に入学したんだ。少しずつでいい。冴木龍臣がいつか何かの拍子に思い出すきっかけを作るためにも参加してくれると私は嬉しく思うな」

 彼女の机の上にあったペットボトルに入っている茶色のお茶で、途中何度か喉を潤しながらゆっくりと諭すように話してくれた。


「ま、ここだけの話だけど、そうやって生徒と一緒になって遅くまで色々とやってても微々たる残業手当しか出ないんだぞ」

 ケチだよな…悲しいよなぁ…それなのに頑張る私って偉いよなぁ…


 そう呟き遠い眼をして俺の前に座っているのが長富杏香ながとみきょうかだ。


 説教ではないはずのその講釈を、何度か心の中で反芻してはいたのだが、ぼーっと聞いていたせいか、最後の愚痴のせいなのか、出てきた言葉は


「はぁ…」

 だった。

 冴木龍臣の感想はそれだけかって苦笑いしながら


「ま、今すぐに分かってくれとも思ってはいない。ただ冴木龍臣に何かのきっかけで今の臭いセリフの一旦でも出てきてくれれば嬉しく思うよ。あーあの時のあの美人の長富先生が言ってたのはこれか!ってな」

 両手を組みうねうねとわざとらしいシナをつくり、目を瞑りながら言う彼女に


「臭いセリフとか美人とか自分で言っちゃう辺りがもうやばいですね」

 呆れるように笑う俺に対して、口角の片方を少しだけ上げ、キャスター付きの椅子に座る彼女の前に立つ自分に、上目遣いで


 だろって呟きにやけていた。


 長富杏香が椅子をくるりと机の方に向けたのを見て、話が終わったと判断。

 その美人な横顔に軽く一礼をしてその場を離れた。


 本当に実際、かなり美人なので、自分で美人だと言っても逆に自慢にすら聞こえない。

 学生時代にミスコンで優勝したらしいよ。って噂があったとしても、やっぱりね。っていう感想しかない。


 こんな美人で独身なはずなのに、他の先生から口説かれていると聞いた事がないのは、実はここ私立双葉学園高校の理事長の娘だとか、実は言えないような親の組織の跡目を継いでいる二代目なんだとか、実は世を偲ぶ仮の姿であるとか、それこそ色んな噂があるらしいのだが、実際のところはよく分からない。


「とりあえず今年に関しては了解だ。ただ来年に同じ理由が私に通じると思うなよ。あー来年度が楽しみだなぁ」

 帰ろうと踵を返していた自分に、捨て台詞のようなそんな言葉をはかれギョッとして振り返るが、軽く上げた右手を、耳の横でひらひらと降っている彼女の背中にため息とも苦笑ともつかない息を漏らして職員室を後にした。


 ま、その後も長富杏香が受け持つ英語の授業の後などに、意味がわからないような理由で連行されたり呼び出されたりで、職員室で彼女の前に立つ事も座る事も何度もあった。


 一緒に煎餅食べただけの日や、週末のサッカーの話しで盛り上がった日もあり、今思えば、ただ単に暇つぶしに使われていた気がしてならない…


 教壇の前に立つ彼女は黒板に大きく長富杏香と書いたあと、大袈裟に振り返り、このクラスの担任になった事を伝えていた。


 俺がどこに座っているかを分かっているかのように、間違いなく自分の目を見て、あの時のように片方の口角を少しだけ上げている。


 去年と同じ言い訳だと、学校行事に参加出来ませんと言えない状況になったのが、今になって漸く《ようや》理解出来て、力が抜けてしまう。


 大きくため息をついて机に突っ伏した自分を、隣の席の佐藤愛子が俺の方を見ていた気がしたのだが、今更こっちを見られても佐藤愛子に聞きたかった内容忘れちゃったよ…


 クラスの担任になった長富杏香は、ニ年生になり新たに始まる授業の説明や移動教室時の場所、名簿に載せる個人情報の正誤の確認やその他伝達事項などを配られたプリントを元に説明していき


「じゃー最後にクラス委員を決めようか」

 と、彼女独特な朗らかな笑顔で周りを見回した。


 生徒会ほどではないらしいのだが、大学に進学するさいの推薦における内申点に、これをやる事で少しは加味されると説明があったからなのか、面倒そうな役職を押し付け合いにはならなそうな雰囲気なのは、さすが進学校と呼ぶべきか。


 突っ伏した姿勢のまま見える範囲だけを軽く見渡すと、立候補したそうに落ち着かないような人間は何人かはいそうなのだが、その誰もが佐藤愛子を必ず見ている。


 この学校では、成績優秀者がクラス委員をやる事が多いらしく、その事からか彼女の顔色をまずはと伺うのも分かる気がした。


 そんな空気を察してなのか、浅く背もたれに寄りかかりながらも、姿勢正しい姿で小さく手を上げながら


「私で良ければですが立候補しようかと思いますが…」

 彼女がそう言った後、間髪入れずに意義なしと誰かが半ばちゃかすような声色をあげたが、それには気付かぬふりをしたその他が、やっぱり佐藤さんがいいよねと同調し、少しして、全員の拍手となり決定したようだ。


「じゃあ佐藤。あとは委員長補佐を決めてからこの後のホームルームを仕切ってくれ」

 そう言った長富杏香は、窓際まで歩いて行き、教師用のキャスター付きの回転椅子に腰掛けた。


 佐藤愛子の方は綺麗な姿勢のままゆっくりと歩ていき、黒板の前に立つと


「この度今年度のクラス委員長をやることになりました佐藤愛子と言います。至らない点もこの先沢山あるかもと思いますが、立候補したからには、より良いクラスにしていくべき努力しますので、皆さんも力を貸していただけると助かります。どうかよろしくお願いします」

 最初からクラス委員長をやる事が決定していて、その際の挨拶を事前に考えていたかのようにスラスラと言って深々と頭を下げている。


 それと同時に先程よりもかなり大きな拍手が教室に響き渡り、さすがだとかやっぱりだとか凄いだとかの後には、慣用句もしくは対義語かのごとく佐藤さんと続いていた。


「えーと、それでは私の補佐のようなものになると思うのですが、副委員長を一緒にやって頂ける方がいらっしゃいましたら挙手をお願いします」


 一年生の頃からかなり目立っていた佐藤愛子に、ここぞとばかりにお近づきになりたいからなのか、男子も女子もかなり人数が手を上げている。


 今朝の彼女との何気ないやり取りがあったのと、自意識過剰とは思えない頻度でさっきから目が合うので、無理矢理に副委員長に指名されるかもと警戒していたことも、立候補という制度に杞憂に終わりそうでホッとしていた。


 一年生時。彼女との約一年間のお隣生活。波風立てないように気をつけながら、クラスのヒロインの顔色を伺っていた。

 そんな俺だから気づいたのかもしれない。

 目が合う度に見せる微笑みは、冴木って苗字になりたいと言った時と同じだって事を…

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る