曠野の果てで逢いましょう

達吉

Prologue

「軍を抜けるってどういうことだ?」

背中を見せる相手に言う。

「文字通りだよ」

すでに軍服ではないその姿を見るのは随分と久しかった。

「裏切るのか?」

「裏切る?何を?」

「何を…って」

「ここにいても何もないから。ここは俺の居場所じゃない」

「そんな…」

「おまえには守るべきものがある。だからここで戦うのだろう?俺には何もない。ここで戦う意味がない」

「何を言ってるんだ。みんなの安全な幸せを守っているんだろう?」

「いいことを教えてやろうか?」

「何を?」

「戦わなければ、ここは平穏な街のままだ」

ようやく相手はこちらを向いた。

「さよならだ」

「まさか、向こうにつくわけじゃないだろうな」

相手は答えず、ただ首を傾げる。

「軍も貴様ほどの力を持つ者を野放しにするはずはない。何を考えている」

「何もしない」

少ない荷物の入った鞄を肩から下げた。

そして再び背中を向ける。

「待てよ」

そう言って銃を向ける。

「殺してくれるなら、それはそれでありがたい」

こちらを見ずに言う。

「おまえが黙って撃たれてくれるならそれも可能だ」

「撃てよ」

引き金を引いた。

瞬間、相手の姿が消えた。初めからそこにいなかったのように、空間の歪みすら残さずに消えた。これが歴史上最上級と言われる魔術師の実力だと思い知らされた。


つまり、軍は諦めたのだろう。

味方にできないのならば敵に回さない。

殺すこともできないのならば、何の干渉もしない。干渉しなければそれは初めからなかったものと同じだ。

確かに魔術師としては彼に敵う者はいない。でも、魔術師は彼だけではない。

戦力はゼロにはならない。


悶々と眠れずにいた。

不意に通信が入った。

かつて仲間だった者とのホットライン。いまだに繋がっていることがバレるのは、立場上まずいが、でも、同じ目的を持つ者同士としては重要なラインだった。

「はい」

「嘘吐き」

相手はいきなりそう言った。

「何を言ってるんだ?」

「あんたがあの人を守るというから、僕たちはあの時、あの人を連れ出さなかったのに」


軍の予備校時代からいつも一緒だった。予備校時代はあいつが最強の魔術師だと知らずに(本人も知らずに)俺たちはいつか大きな手柄を上げ、人々に認められることを願っていた。

6人の仲間は年齢差はあったが同時に軍に入隊でき、それぞれ前線で精一杯の日々を送っていた。やがて間もなくひとりが前線よりも支援に配属になった。機械に詳しいことが認められたのだ。もうひとりも作戦室に。残った4人は日々最前線で戦っていた。ある日上官が気がついた。自分たちがいるところでは被害がほとんど出ない。

「魔術師がいる」

魔術師の能力は攻撃力にもなるが、防御としては他の何ものよりも威力を発揮する。相手の動きが察知できたり、先を読み取ったり。時空を歪ませることで攻撃を逸らすこともできる。

それがあいつだとわかった時、軍はあいつを王の側に置こうとした。

「王にとって大事な軍を守ることこそ自らの使命」

そう言ってあいつは前線に残った。

あいつの力は当代随一どころか、記録に残されている魔術師の中で最強のものだった。

あいつが自分の力を理解してからは、戦場で死者が出ることはなかった。

それは味方だけではなかった。

それでも戦いは終わらない。

それからしばらくして軍が分裂する事件が起きた。

司令官が密かに構成していた地下組織を将軍が「卑怯極まりない組織」と罵った。それまでさんざん組織が得た情報をもとにして戦ってきたというのに。王が司令官を評価したことが面白くなかったのだ。

将軍は自分の立場が危うくなることを恐れているだけだと思ったからだ。

司令官は軍ではない別の組織として動くことにした。

王もそれを認めた。

だが、将軍はその組織が国に属するものになることに反対した。

王の側に司令官がいることを恐れた。

「地下組織は独自の組織としてどこにも属さないものとして活動します」

司令官はそう言って、組織のメンバーと共に軍を抜けた。

「まさか、おまえたちもそっち側だとは」

自分を除く5人が全て地下組織に属していたことに愕然とした。

「おまえまでも」

「この人がいなきゃ何も出来なかったよ」

今では仲間の中で一番大きくなった最年少が、小柄な魔術師を守るように立った。

「おまえたち、みんな行ってしまうのか?」

「それなんだけど」

作戦室に移動になっていた仲間が言う。

「彼、軍に残るって言うんだ」

「僕は反対だ」支援部隊の今では部隊長になっている。

「俺は王に仕える者だから。王がいるところにいるべきなんだよ」

「僕らと一緒に行っても王を守ることはできる。けど、立場上、僕らはこれから敵とも繋がることになる。そこに彼を置くのは気が引けると司令官も言っている」

「だからさ、先輩にお願いしたいんだ」

もうひとりの最年少。ふたりは二卵性の双子で兄の方が小柄なのをネタにするほど全く似てはいないが、ふたりのコンビネーションは凄まじいものだった。

「この人を守ってよ。将軍からも敵からも」

「いつも僕たちが守られていたけど、本当は守らなくてはならないのはこの人なんだよ」

国益として考えてもだが、自分たちの中心にいつもいたのは魔術師と呼ばれる前からの彼だった。

「将軍が彼をいいように使わないか心配だよ。いつもいつも前線に置いておけば何も心配ないと、弾除けみたいなものとしか思ってないんだ」

支援部隊が準備していても全てを「ムダ」という将軍を彼はひどく嫌っていた。全ては魔術師は軍の盾ではない。力を使うことで魔術師はどれほど消耗しているのか。

そしてそのことは誰もが感じていた。

魔術師は彼ひとりではない。だからこそ、魔術師の負担がどれほどのものか理解している。他の魔術師たちが、ひとつの戦いの後ひっそりと死んでいく。

その死に対し「自分の命と引き換えに多くの仲間を守るのだ。それは軍人にとって一番誇れるものではないか」と将軍は言う。

「いつかまた、おまえたちと一緒になれる日まで、俺はこいつを守るよ。絶対に」

「信じていい?」と問う仲間に「あぁ」と頷いた時、あいつはそっと目を伏せ下を向いた。少し色の悪い、だけど形のいい唇が少し笑っているような気がした。


「僕たちと一緒になる時まで、彼を守ると言ったじゃないか」

通信相手は元支援部隊長だった。

「彼をどうしてひとりにしたの?軍を辞めて彼はどこに行ったの?」

「どうしてそれを?」

「僕らの情報網を侮らないことだね。それにすでに彼が軍を抜けたことは敵も知っている」

「どうして?」

まさかこいつらが情報を流している?

「王の死後、軍の中でも重要ポジションにいた連中が何人も抜けているのは君も知っているだろう?」

「あぁ」

現在、敵との戦い以上の難題はそのことだった。現将軍が将軍になる以前から軍にいた者の中で、王への忠誠心のため軍にいた者が立て続けに抜けていく。自分たちの年齢を理由に「戦いの足手纏いになるよりも」と皆同じことを言って抜けていく。将軍もまた面倒な連中がいなくなると密かにそれを喜んでいる節もある。

自分のように家族のある者や野心のある者といった純粋に「戦わなくてはならない者」が残っている者のほとんどで、新女王に対してもあまり忠誠心どころか関心がない。

自分ですらも子どものない王の跡を継いだ、王の姪にあたる新女王にはほとんど面識がない。新女王は彼女の息子が成人するまでの繋ぎの玉座でしかない。

王が死んで半年。王位の継承儀式も全て済んだ今、今度は最高位魔術師が軍を去ったのだ。表沙汰にすることはない。そもそも魔術師の存在すら極秘事項だった。

「君は本当に彼を守っていたの?」

軍の中で実力をつけて、今ではナンバー3のポジションにいる。それは彼の負担を少しでも軽くせんとしてのことだった。

「君が守っていたのは誰?」

「誰って」

一瞬言い淀んだ。

「ほら」

「君は、君と君の家族を守るために戦っていただけなんだよ。もう、彼のことなど思い浮かばないほど。君は僕たちから遠い存在になった」

こいつは何を言っているのだろう?家族を持つこと、その家族を守ることは正しいことではないのか?

「あ…」

不意に彼の言葉を思い出す。

「おまえには守るべきものがある。だからここで戦うのだろう?俺には何もない。ここで戦う意味がない」

それは王に忠誠を誓った者たちと同じ思いだろうと思っていた。

そしてあの時彼が俯いて笑ったのは、こうなることをを予見していたのだ。

王の死を、自分が軍を抜けることを、そして俺の気持ちが仲間から離れることも。

2年前に結婚した。相手は将軍の姪だった。それとは知らずに結婚をした。あとから、将軍の姪と知ったが、軍に所属していない彼女の両親は将軍とは顔を合わせることもないという状態で、自分の出世とは全く関係ない普通の恋愛結婚だった。その時も彼は笑顔で祝福してくれた。戦場から帰る途中の報告だった。

「戻ったら結婚する」

「そいつはめでたい。おめでとう。あいつらにも伝えた?」

「え?なんで?おまえが先だよ」

「そっか」

顔色は悪かったが、本当に嬉しそうに笑ってくれた。

「おめでとう。幸せになれよ」

その時、ふと、自分の未来を訊ねたら答えてくれるだろうか?と思ったのを覚えている。訊いたところで「俺は占い師じゃないんだから」と言われるだろうな、と訊かずに終わったが。

その時、すでに守る対象が変わっていた。

自分は家に帰り、彼は宿舎に留まる。当たり前のことだが、すでに自分は彼らとの約束を反故にしていた。そのことに気がつくこともなく。

彼の姿を見るのは戦場でだけだった。旗艦の中心にいて大隊全部に指示をする姿を頼もしいと見ていた。その小さな背中を、全てを見通す大きな瞳を。

「彼はどこ?」

通信機の向こうの声が怒りで震えているのがわかった。

「知らない。聞いていない。おまえたちの方が探せるんじゃないか?」

それだけ言うのがようやくだった。

「わかった。キミとの話はこれまでだ」

通話は切れた。


しばらく通信機を握りしめていた。

慌てて通信機のボタンを押す。

コール音すら聞こえない。

相手は通信機を破壊していた。

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曠野の果てで逢いましょう 達吉 @tatsukichi

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