62話「ねぇ、綾人」



「で、話って?」

「綾人に言いたいことがあって」

「……何発か殴られる覚悟はしてるよ」


 綾人は冗談めかしてそう言うが、わたしは首を横に振る。

 そんなつもりはない。わたしはただ、思いの丈をぶつけにきたのだ。


「ねぇ、綾人……好きだよ」


 躊躇うかとも思ったが、考えていたよりもすんなり言葉は出た。


「やっぱり、わたしは綾人が好き」


 わたしがそう言うと、綾人はとても苦しそうな顔をする。

 そして、顔を左右に振ると、口を開いた。


「それは嬉しいよ。でも、僕は……」

「付き合う気はない、って言うんでしょ?

 だからわたしは話をしにきたの」


 そう言われることはわかってた。

 だったら、説得するしかない。

 それもダメなら殴ってでも言うことを聞かせよう。

 わたしは、それくらいの気持ちでここにいる。

 あかりさんと話してから1週間。その間に、わたしはいろんな覚悟ができていた。


「綾人の言ってたこと、わたしはわかるの。理解できちゃう。綾人はわたしのことが好きだから、そう言ってるんだって。

 でも、だからこそわたしはそんなのお断りって言う。

 ねえ綾人。たしかに綾人はわたしより先に死ぬかもしれない。わたしはそれでもいいよ。綾人が先に死ぬとしても、綾人に置いていかれるんだとしても、わたしは綾人と一緒になりたい。幸せになりたい」

「そりゃあ今すぐは幸せになれるのかもしれないけど、結局くるみが辛くなるだけだよ。

 いろいろ考えたら、僕とは一緒にならないほうが幸せだよ」

「そんな幸せ、これっぽっちも興味ない」


 わたしはバッサリと、容赦なく綾人の主張を切り捨てる。

 それに、綾人は驚いた顔をする。


「それは、『綾人の考える文野くるみの幸せ』であって、『わたしの幸せ』じゃない。

 わたしの幸せを勝手に決めて、取り上げようとしないで。綾人が先に死んだくらいでわたしが不幸になるって、決めつけないで」

「でも、父さんもあかりさんも、ずっと忘れられないでいる。囚われてる。そんなの、幸せなわけない」

「それは違う。少なくとも、あかりさんは囚われてるんじゃなくて、自分の意思で忘れてないだけ」

「っ! そんなの、幸せなわけないじゃん!

 生きてる人と温かいご飯を食べて、いっしょの家で寝る。これ以上の幸せ、あるわけない! だから……」

「それは、綾人の求める幸せでしょ?」


 わたしの言葉に、綾人ははっとした顔をする。


「綾人……ごめんね」


 わたしは一言告げると、綾人の胸に飛び込んで、抱きつく。

 逃げられないように、綾人の体温を感じられるように……わたしの体温をあげれるように、密着する。


「なに……を……」

「ずっと、寂しかったでしょ。わたしだって毎日綾人の家にいるわけじゃないし、わたしは綾人の家族じゃないから。

 一人で家にいて、一人でご飯を食べて。一人で寝て、一人で起きて。それが辛いから、寂しいから、幸せじゃないから、わたしにそうなってほしくなかったんでしょ」


 愛した人に置いていかれる。

 綾人がそれをこんなにも不幸だと思うのは、父やあかりさんを見てそう思っただけではないだろう。きっと、家族のいない家で一人で暮らすのが、辛いのだ。それは、綾人自身も気がついていないのかもしれないけど。


「綾人はわたしの幸せばっかり考えてくれるけど、そこに綾人の幸せはないじゃん。

 綾人の幸せはどうなるの?」


 『生きてる人と温かいご飯を食べて、いっしょの家で寝る。これ以上の幸せ、あるわけない』

 そう言うのだったら、愛する人のために身を引く綾人はいつ幸せになれるのか。

 わたしの好きな人は、わたしと離れてしまったら誰が幸せにしてあげられるのか。

 きっと、綾人のことだからずっと一人で過ごすのだろう。それがみんなが幸せになる方法だと思って、誰とも結ばれずに死ぬのだろう。


「わたしと綾人が付き合わなかったとして、それで綾人が幸せになれるなら、わたしは諦める。

 でも、綾人の言う幸せは、わたしと付き合ったら、いっしょになったら叶えられるものだから。それならわたしが身を引く理由はどこにもない。

 綾人、付き合おうよ。結婚しようよ。

 そうすれば、綾人は自分の思う幸せになれるし、わたしも自分の思う幸せになれる。

 わたしの幸せなんて勝手に決めようとしなくていい。自分の幸せだけ考えて」


 どれほどそうしていただろう。

 抱きついたまま答えを待っていると、不意にポツリと綾人がこぼした。


「でも……こわいよ」


 消えてしまいそうな声で、綾人は言う。


「くるみを不幸せにしそうで、こわい。

 僕はどうなってもいいんだよ。だから、くるみだけは幸せにしたいんだ。

 だから……くるみの言う通り、自分の幸せだけ考えるなんて……こわいよ。それで不幸にしたらどうしようって。いつか不幸せにするんじゃないか。そう思って、怖い」


 そう言う間に、どんどん涙声になっていく。

 わたしはたまらなくなって、背中に回していた手を離すと綾人の頭に伸ばし、胸に抱える。

 バランスを崩した綾人が膝立ちになるけど、そんなの気にせず、ただ綾人を抱きしめる。


「わたしだってこわいよ。将来のこと考えるときは、誰だって怖いんだよ。


 ……そういえば、なんでわたしが綾人に抱いてもらおうとしたか、言ってなかったね。

 怖かったの。綾人と離れるのが、たまらなく怖かった……ううん。今でも怖い。

 だけど、あの時はなりふり構っていられなかった。『付き合ったら別れる可能性がある』……なんて思って、素直に告白すればいいのに変に誘惑しようとして。

 ほら、綾人なら一回エッチなことすれば最後まで責任とってくれるでしょ? だから、綾人とエッチすれば別れなくて済むって、ずっと一緒だって、そう考えてた。

 怖かったから。そういうふうに、『絶対大丈夫な方法』を考えないと怖かったから。離れ離れになるかも、とか。そういうふうに考えるのが怖かったから。


 綾人。わたしと一緒だね。未来のことなんて、怖いことばっかりだよね。

 だから、二人で話そうよ。いろいろ考えようよ。大学とか、就職とか、結婚とか……明日の夕食のことでもいいから、二人で考えよう。嫌ならそう言って、したいことあったら素直に言って。そうしたら、二人とも幸せになれるよ」


 たくさん話して、たくさん一緒にいればいい。

 お互いの幸せのすり合わせをして、どっちも幸せになればいい。

 そんな簡単なことなのに、ずいぶん遠回りをした。わたしが臆病だったから、余計なことを考えさせた。

 でも……もう大丈夫。綾人がいるなら、大丈夫。今ならそう思える。

 一度、綾人を失う怖さを覚えたから。だから、あんなのごめんだから、意地でも幸せになってやる。

 死ぬかもしれないなんて、そんな気持ち忘れさせるくらい幸せにしてやる。そう決めた。


「……だからね、とりあえず付き合おう。いっぱいイチャイチャしよう。いろんなことしてみよう。

 それだけで、わたしは幸せになれるから」

「うっ……」


 胸に抱いてるから見えはしないけど、綾人の泣く声が聞こえる。

 わたしは、ゆっくりと頭を撫でて、綾人の言葉を待つ。

 いいたいことは全部言った。

 だから、あとは綾人次第。

 幼馴染だから、綾人の気持ちはほとんどわかるけど、だからこそ、綾人が言ってくれるのを待つ。


 しばらくして、落ち着いた綾人はわたしから離れると、涙を拭いてから口を開いた。


「くるみ。やっぱり、怖いものはこわいよ」


 でも、と綾人は続ける。


「怖いけど、くるみがそう言うなら……付き合っても、いいのかな。先に死ぬけど、それでもいいの?」

「そのぶんわたしは綾人を幸せにするし、幸せになるから。むしろ綾人が長生きしたら他の人より幸せを貰いすぎるかも」

「ははっ、くるみらしいや……うん。ありがとう。ごめん、色々」

「わたしも、ごめん。怖がって、告白された時あんなこと言って」

「本当だよ、まったく……まぁ、お陰でこうしていろいろ話せたからよかった。

 ……ねえ、くるみ」


 明るい口調だったのが、急に真面目なものになる。

 そして、一度深呼吸したあと、綾人は言うのだ。


「改めて、僕から言わせてよ。

 好きです、付き合ってください」

「はい、喜んで」


 わたしは綾人に飛びつきながらそう言うと、その肩に思いっきり顔を擦り付けた。

 メイクが落ちるとかそんなのどうでもよくて、ただただ綾人とくっついていたかった。

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