55話「踏み込んでほしくないラインはあるよ」
月曜日。
先週からの体調不良はまだ残っているが、とりあえず熱は下がったので学校に行くことにした。
念のためマスクをつけて、いつもよりゆったりとした足取りで学校へと歩く。
教室に入ると、案の定と言うべきか、クラスメートからの視線が痛い。きっと、くるみとの一件が噂になっているのだろう。
「おはよ」
「お前……ちょっと来い」
いつも通り小野に挨拶をして席に着こうとすると、何故か手首を掴まれてそのまま引っ張られる。
鞄を置く猶予すら与えられず、そのまま屋上へのドアの前まで連れてこられた。
相変わらず人気はなく、使われていない机などが積まれている。
「え、なに。僕、告白でもされる?」
「んなわけねぇだろ……文野さんの話だよ」
「……何の話があるっていうのさ」
「しらばっくれんな!」
胸倉を掴まれ、壁に押しつけられる。
小野は苛立った様子で僕のことを睨みつけると、大きな声で話す。
「あのな、何があったかはよく知らんが、文野さん、ずっと泣いてたんだぞ!
好きな女泣かすなんて……何考えてんだお前!」
ああ、そういうことか。
泣かせてしまったという事実に胸が締め付けられる。でも──
「何考えてるって、くるみの幸せだよ」
「あんなに泣かせといて何を……」
「一時の幸せより、将来の幸せを掴んでほしいってのが僕の考えだからね。泣かせたくはないけど」
もちろん、それは僕のエゴだってわかってる。
でも、くるみには僕に囚われずに生きてほしいから、これは仕方のないことなんだ。
傷つけたくはないけど、それ以上に僕がくるみの傷になりたくない。
「……っていうかさ」
僕の胸倉を掴む小野の手を引き剥がす。
思ったより力は入っていなかったようで、すんなりと手は外れた。
「僕とくるみの問題に、首突っ込まないで。友達だとは思ってるけど、踏み込んでほしくないラインはあるよ」
小野の言いたいことはわかるし、逆の立場だったら僕も「何やってんだお前」くらいは言うだろう。
でも、だからといって今回の件について僕は引き下がる気はないし、小野に説明する気も関わらせる気もない。
「お前がそんな泣きそうな顔してるから、心配になるじゃねえかよ!」
──だから、俺にも関わらせろ。
小野らしいその言い方に、僕は溜息をつく。ほんと、いい友人を持ったものだと思う。
けれど、僕が今泣きそうな顔に見えるのは、小野が無遠慮に傷を触ったからだ。
でも、自分を心配してくれる人に「小野が、泣きたくなる話題出すからでしょ」とは言えなかった。
「……先に教室に戻ってるから」
結果的に、僕が言えたのはそれだけだった。
小野をその場に置いて、僕は一人で教室に向かうために階段を降りる。
小野の大声が聞こえたのだろう。階段の近くにいた何人かが訝しげにこちらを見ていたが、全て無視して教室に入った。
鞄を半ば投げるように机に置くと、椅子に腰掛けてため息を吐く。
しばらくそうしていると、ふと視線を感じてそちらに目を向ける。
すると、僕のことを見て固まるくるみとばっちり目があってしまった。
「……っ!」
今にも泣きそうな顔をするくるみに、僕はばつが悪くなって目を逸らす。
そんな顔しないでよ。
僕だって……泣きたいんだから。
そう思っていると、「加賀谷くん」と声をかけられた。
面倒に思いながらも視線を向けると、そこには怒った様子の寧々さんがいて、僕のことを睨みつけていた。
「ちょっと着いてきてよ」
「くるみのことなら、さっき君の彼氏に怒られたばっかりだから遠慮しとく」
「それは加賀谷くんの友人のして加賀谷くんを叱っただけでしょ。わたしは、くるみちゃんの友人として文句を言いたいだけだから」
しばらく睨み合う僕たち。だけど、先に折れたのは僕の方だった。
一つ溜息を吐くと、席を立って言う。
「わかったわかった。どこ行けばいい?」
「着いてきて」
そう言ってスタスタと歩き始めた寧々さんを追う。
連れてこられたのは空き教室。自由スペースとして解放されていて、昼休みには弁当を食べる生徒で賑わう場所だが、朝のこの時間帯には誰もいなかった。
「で、何が言いたいの?」
「まず……事情はぜんぶくるみちゃんから聞いたよ。で、その上で文句を言いにきた」
ずい、と無遠慮に僕との距離を縮めてくる。
「本気で、自分の方が先に死ぬからくるみちゃんを幸せにできないって思ってるの?」
「もちろん思ってるよ」
「じゃあ今すぐその考えは改めるべきだよ。だって、いつか別れが来るなんて当たり前じゃん。
当たり前だけど、その瞬間が来るまでの間を精一杯楽しみたいから恋するし一緒になりたいって思うんだよ。
だから、先に死ぬってのを理由にするのはおかしい」
「……そうだね。その短い間を楽しもうって気持ちを否定しないし、ある意味正しいと思うよ。それを選んだ僕の両親や叔父と義理の叔母を否定する気もないし。
ただ、それだけが正解じゃないと思うし、僕はその後を知ってるから」
父もあかりさんも、死んだ人間のことを忘れてはいないし、そこから抜け出して第二の人生を歩めてもいない。
いつまでも、死んだ人間が心の大部分を占め続けている。
そんな必要、どこにもないのに。
きっと、死んだ二人はそんなこと望んでないだろうというのに。
「僕が30歳で死ぬとして、日本人の平均寿命から考えればくるみには50年以上時間があるんだよ。
その間、新しい恋をすることなく、ずっと死んだ人間に思いを馳せながら生きてくの?
うん。それも一つの美しい生き方だろうと思うよ。でも、僕はくるみにそんな生き方をしてほしくない」
「それはエゴ以外の何物でもないじゃん!」
「そうだよ。それを否定する気はない。実際、僕はくるみにそう言ったし」
もちろん、エゴだ。この話を聞いても、くるみは僕と一緒になりたいって言ってくれるかもしれない。
でも、その選択肢を奪おうというのだから、それはエゴだろう。そんなことはわかっている。
「……納得できない」
「別に、寧々さんに納得してもらう必要はないよ。これは僕の意志だし、だからこそ他の人は何も──」
と、そこまで言ったところで予鈴がなる。5分後には朝のホームルームが始まる時間だ。
「……納得できない」
寧々さんはそう言うとスタスタと歩いて行き空き教室を出る。
──だから、寧々さんが納得する必要はないんだって。
僕は溜息を一つ吐くと、寧々さんを追うように教室に戻っていった。
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