3話「Q:憂鬱になる時間は? A:朝」


 『一日で最も人間が憂鬱になる時間帯は?』と尋ねられた時、どう答えるかは人によるだろう。中には少し考える人もいるのではないだろうか。

 いろいろな意見があると思うが、僕はあえて断言する。朝だ。

 平日の朝はこれから学校や仕事があるという憂鬱感に包まれるし、土日の朝に早く起きてしまったら「もっと遅く起きてもよかったのに」と残念な気持ちになるし、遅く起きたら起きたで「時間を無駄にしてしまった」と感じる。朝の憂鬱さに隙はない。

 つまり何が言いたいかというと――


「――ある研究によると、朝十時よりも前の就労は拷問と同レベルなんだってさ」

「就労も何もお前は学生だし、火曜からそんな疲れ切ってて大丈夫か?」


 僕よりも一本遅い電車で登校してきた友人の小野おの将雅ゆうがは僕の前の席に鞄を置きながらそう言う。

 たまたま席が前後になった関係で仲良くなった相手で、体型は中肉中背。硬式テニス部に入っている関係で、少し日焼けしておりどことなく活発そうな印象を受ける。


「大丈夫なわけないじゃん。まだまだ慣れない高校生活に、どんどん難しくなる授業。それに――」

「それに?」

「い、いや。なんでもないよ」


 危ない危ない。ついうっかり「色々心配になる幼馴染」って言うところだった。

 僕とくるみが幼馴染なのはこのクラスの人の大半は知っていることだから、もちろん小野も知っている。だから、ここで幼馴染という単語を出せばすぐくるみのことだとわかるだろうし、深く聞かれるだろう。そうなったときにまさか「最近くるみが『誘ってくる』んだよね~」なんて言えるわけもなく、上手く誤魔化せる自信もない。

 だから、なんとか喉まで出かかったところで止めて正解だった。


「? まぁいいが。

 そういえば、これはさっき聞いたんだが、お前の彼女噂になってたぞ?」

「だからくるみは彼女じゃないって。で、噂って?」


 話していたら喉が渇いたので、鞄からお茶を出して飲みながら話を聞く。

 あまり喉が強くないので、こまめに水分を取らないとすぐ痛くなってしまうのだ。幼少期にあまり活発に会話するほうじゃなかったから、会話に使う筋肉が弱いのかもしれない。

 いや、水分を取って治るのは筋肉の問題じゃなくて発声の問題なのか?


「昨日学校で他の女子とゴム・・で遊んで先生に軽く怒られたらしい」

「ごふっ、げほっ、ごほっ、ちょ、は? げほっごほっ」


 昨日散々痛い目にあわされた原因であるアレ・・の隠語が急に出てきて、思わず入っちゃいけないところにお茶が入りむせて死にそうになる。不適切なところに侵入したお茶をなんとか咳で押し出した後、覚悟を持って改めて聞く。


「待って、ほんとにわけがわからないんだけど。どういう過程があったらそうなる!?」

「俺もさっき近藤こんどう――三組のやつに聞いたんだが、なんでも昨日の昼休み中庭でゴムを使っていろいろ遊んでたんだと。で、学年主任の内藤ないとうに注意されたんだと」

「……あのさ、間違ってったらいやだから一応聞いておくけど、その『ゴム』っていうのは、かつてイザナギとイザナミが国を産むときに執り行ったとされる行為を人間が真似するときに使うことがあるアレでいいんだよね?」

「ああ。通称コンドー――」

「全部言わんでいい!

 ……はぁ、全くあのバカは。というかよく注意で済んだな。自由な校風にしたって自由すぎでしょ……」


 その時に使っていたアレ・・は、十中八九昨日『気になったから一つ開けちゃった』と言っていたものと同一だろう。

 てっきり一人でこっそり開けたものかと思っていたが、まさか友人達とそんなことをしていたとは……マジで馬鹿だ。

 そんなことしたら、それを何処で何の為に手に入れたのか周りが気にするに決まっている。そうなったら――


「で、お前、ついにヤッたのか?」

「そう言うと思ってたよ!! 断じて何もしていない!」

「今のお前は欲望で汚れ切った身体なわけではないのか?」

「まだまだ清い身体だ!」

「いや、別に胸張っていうことじゃないぞ?」


 何を言うか。責任を持てない行為には及ばない模範的な高校生であることを主張しているのだから、胸を張らなくてどうする。


「というか、お前が何もしてないんならなんで文野ふみのさんがそんなもの持ってるんだ?」

「あれは僕の外堀を埋めようとする勢力がくるみに渡したものなんだよ。だから今君が僕のことを疑っているのも作戦の内かもしれない(そこまで考えてたかは知らないけど)」

「そんなことするやついねえだろ……もっとましな嘘を吐けよ」

「嘘だったらどれだけよかったことか……嘘じゃないんだよ」


 まぁ僕だって信じてもらえるとは思ってないから信じてもらえなくてもそれほどショックを受けていないが、これはこれで困ったことになった。

 付き合っていないのにヤルことはヤッてるってただのクズな男じゃないか。そんな風に思われるのは心外だ。

 ――じゃあ付き合っちゃえばいいじゃん! とかいう声がどこかからか聞こえた気がするが気のせいだ。


「仮に綾人の言うことが本当だとして、やっぱり疑問は残るんだよな」

「何?」

「いや、文野さん見た目いいだろ? そのうえ絶対お前のこと好きじゃん。なんで付き合わねえの?」

「それは……」

「いや、なんかやむを得ぬ宗教上の理由とかなら無理に答えんでもいいんだが」

「別にそう言うわけじゃないんだよ。ただ……うーん、何て言ったらいいかな……いろいろあるんだよ」


 僕らが男女の営みをしていると勘違いされたくないから付き合っていない、というのももちろんあるが、恥ずかしいというのも理由としてある。

 ただ、それだけが理由というわけではない。

 何故かエッチなことをしようとしてくるくるみに対して、今更告白したら『僕がそういう目的のために告白した』みたいに思われるんじゃないかという懸念があるのだ。

 仮に迫ってきている張本人相手だとしても、思ってもいない勘違いをされるのは癪だ。

 とはいえ、そう説明するわけにもいかず何と言ったらいいか迷っていたのだが、それをどう勘違いしたのか、


「お前なぁ……ヘタレかよ」

「まぁ僕がヘタレだという自覚はある。その通りだし」

「あのな――ん?」


 呆れた顔で何かを言おうとした小野だが、横に誰かが立ってこちらを見ていることに気が付いて言葉を止める。

 たしか――同じクラスの布川ぬのかわさんだったかな。間違ってるかもしれない。

 どうして僕らのところに来るのだろうと不思議に思っていると、教室の少し離れたところで女子の集団がこちらを見てニヤニヤしている。

 ……大方、僕に何か聞きたいことがあって、代表(?)として布川さんが尋ねに来た、というとこだろう。問題は、その内容だけど――


「ねぇ、急にこんなこと聞くのも変だと思うんだけどさ……



 ……くるみちゃんとどこまで行ったの?」

「やっぱりその質問か……」


 その後、暫くしてくるみが来て「まだ・・何もしていない」と言ったことで事態は一応収束したものの、かわりに「まだ」という言葉が一人歩きしていろいろ面倒なことになるのだが、それはまた別の話。


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