彼らの日常、ときどき戦争 ~異世界出身オジサン家政夫&美術商ガールの不可思議な日々~

カネヨシ

第一章 行き倒れの男

第1話 少女は男を拾う


「こんにちは、オニイサン。ここはうちの敷地なんですけれど、何か御用ですか?」


 焦茶色の長髪を三つ編みにした少女が問いかけた。浮かび上がるほどに白い肌とスカイブルーの瞳が印象的な少女だ。太陽が南中を過ぎた頃で、春の強い日差しが彼女の白いブラウスと黒のスラックスのコントラストを際立きわだたせていた。


 少女に話しかけられた男は敷地を取り囲む塀に背を預けて座り込んでいる。少女は男の顔色をうかがうように少しかがむが、男は憔悴しょうすいした様子で返事をしない。


「オニイサン、昨日からずっとここにいますよね。流石に心配だったので声を掛けに来たんですが……」


 少女は考え込んだ後、「ちょっと待っていてくださいね」と言って小走りで塀の内側へ戻っていった。


 十分ほど経って、少女は車椅子のようなものを持ってきた。椅子としても使えそうなそれには車輪がついており、加えて武骨ぶこつな見た目をしたアームが背もたれの後ろに付いていた。

 「失礼します」と言うと少女は車椅子についたボタンを操作した。すると、アームが動いて男を持ち上げ車椅子に座らせた。

 男はされるがまま、座らされてもぐったりとして動かない。わずかに胸が上下していることと、時折ゆったりと瞬きをすることだけが彼の生存を表していた。


「医学には明るくないんですが、素人目に見てもあなたは危険な状態だと思います。医者を呼びましたので屋敷内で待っていてください」


 返事をしない男にも構わず少女は話しかけた。

 よいしょ、と男を乗せた車椅子を押す。電動式であるのか、一度押した後は大した力を入れずとも進んでいくようだった。



 タイルで舗装された道を辿たどっていくと大きな門があった。門は少女たちが正面に来ると自動で開き、通り抜けるとまた閉じた。シンメトリーの見事な前庭を越えれば、庭に負けない大きな屋敷がそびえたっていた。バロック建築を彷彿ほうふつとさせる造りだ。クリーム色の外壁が雲一つない青空に映えていた。


 太陽光線の熱を和らげるような涼やかな風が吹き、一つにまとめられた少女の三つ編みが風に弄ばれた。背を押すように吹き続けるそれに従って少女は屋敷へと歩いていく。車椅子に乗せられた男は項垂れるようにうつむいたまま、半端に伸びた髪が頬をでることも気に留めなかった。

 屋敷の正面扉を開けるとひらけたホールがあり、二階へと続く階段が真ん中にあった。少女たちは階段を通り過ぎて奥の部屋に向かい、車椅子を操作して男をソファーへと降ろした。


 男はやはり疲憊ひはいしているらしく、体に力が入らないようだった。

 男の服はくたびれていて所々何かの染みがあり、屋敷に来るまでの道程で付いただろう土の汚れが見て取れた。べたついている髪と、手入れされていない眉やひげ、こけた頬に乾燥で割れた唇。明らかに不審者然とした訳ありの人物だった。


 何故少女はこんな人物を家に招き入れたのか。それには彼女なりの理由があった。




 少女は昨日の夕方に男の存在に気付いた。外出して帰ってきたときのことだ。その際は、遠目に見ても関わるべきではないと判断するに十分だったため、座り込む男に気付かないふりをして放置した。基本一人で屋敷にいる少女は屋敷の警備を自動化しており、塀や門を越えようとすれば即座に確保できる設備が整っていた。

 何かしようものなら警察に突き出し、何もしないなら勝手に去って行ってもらおう。明日になればどちらかに落ち着く。それが少女の考えだった。


 しかし、彼女の予想に反して男は翌日もそこにいた。どうやら姿勢も変わっていないように見えた。

 ひょっとしたら死んでいるかもしれないと思った少女は塀に設置してある監視カメラを確認した。記録をさかのぼると、男はおぼつかない足取りで塀まで歩いてきて倒れこむように塀の前に膝をつき、その後、塀を背にして寄りかかるような体勢になり動かなくなった。ちょうど先程までの男と同じ体勢である。少女は映像を早送りして男が一晩中微動だにしなかったことを確認すると、リアルタイムの映像を拡大し、男がわずかに呼吸していることを認めたのだった。


 事件性がある可能性を考えると少女は容易には行動できなかった。そもそも、男相手に少女がたった一人で話しかけるのは危険である。

 やはり警察を呼ぶべきだろうか、と考える一方で、それでも少女は自らが話しかける選択肢を捨てられないでいた。

 彼女は一人暮らしである。家事や警備の自動化をしても、人の手が欲しいと思うことはままあった。つまりは、何とかして男を使用人にできないかと考えたのだ。


 少女は何もできない幼子ではない。十代も後半であり、まだまだ学ぶべきことを多く残しながらも、一人前に仕事をこなしている。彼女は美術商なのだ。

 彼女は両親の趣味を引き継ぎ、幼くして美術品の扱いを始めた。当初は潤沢じゅんたくな資産に物を言わせるだけのパトロンだったが、経験を積むにつれて作品や作家を見る目が養われ、今では優れた審美眼を持つようになった。


 彼女は多くの人に支えられて地位を確立してきた。今もなお、支えられることで成長を続けている。しかし、否、だからこそ、彼女は大きな屋敷に一人で暮らすことに少しの寂しさを抱いていた。彼女自身が気付かないほどの、ほんの少しの寂しさだ。


 設定した時刻ぴったりに一人分の食事が用意されていたとき。毎日寸分の狂いもなく整えられた寝室に入るとき。些細ささいな喜びや悲しみをつぶやく相手がいないとき。


 そうした寂しさが積もる中、一人暮らしで使用人を欲する気持ちと、人を見る目があると思い込んだ若さゆえの傲慢さを持って、少女は男に話しかけるという選択をした。

 自分に言い訳をするように監視カメラを確認してから昼前まで粘ってはみたが、結局耐え切れず、のこのこと話しかけに行ってしまった。もし近くに分別ふんべつのある保護者がいれば、すぐにでも警察を呼ばれて終わっただろう。しかし、少女は楽天的でうかつだった。おかげで男は助かることになるのだが。




「素人の見立てだと、脱水症ですかね。あとは栄養失調とか。医者に診てもらったら必要なものを用意しますね」


 男はゆるりと視線を少女の方に向けた。少女もその視線に気付いたようだった。少々の警戒をにじませながらも、彼女はそっと話を続けた。


「もしかして、あんまり話さないほうがいいですか。すみません。あと五分くらいで到着するはずなので、しばらくお待ちください」


 そう言った後は沈黙が続いた。

 少女は今になって、男を招き入れたことが正しかったのかと考え始めた。一方、見た目通り疲弊していた男は、久方ぶりの柔らかなソファーの上で意識を落とした。

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