Sweet Worker.

四季ラチア

第一章

第1話

カラフルに溶けたゾンビを見たことはある?



砂糖猫と呼ばれる種族の彼らは、お菓子を食べて生きていた。

砂糖やミルクや、小麦、卵、カカオ、はちみつ、時には果物。彼らはそれだけで生きていた。

いつかのアタマの良い奴は、あまりの糖類の摂取量に恐怖なんかして、病気になるんじゃないか、なんて言ったりしたが、砂糖猫は昔々から砂糖で生きてきた生き物。病気とは縁がない。

逆に、古い健康書物には、別の種族が摂取しているという獣肉や海産物を砂糖猫が食べると、致死率の高い食中毒や内臓の重病を発症したと書かれていた。砂糖猫は、糖類のみでしか生きられないのだ。


しかし、そんな砂糖猫の世界には、遥か昔からおぞましい奇病が広がっていた。


××


特徴的な黒のローブに身を包んだひとりの砂糖猫は、虹のようなカラフルな水溜りを見下ろしている。その水溜りには、たくさんの菓子が転がっていた。

キャンディ、クッキー、チョコレート…男の砂糖猫は生気のないその顔に、少しだけ不快を表す。

その菓子も、カラフルな水溜りも、元は同じ砂糖猫の体だったから。虹色の血液をぶちまけ、終いには身体全てがどろどろに融解し、眼球や歯牙や内臓を、完成された菓子に変貌させ死んだ…この男の砂糖猫が殺した、同じ砂糖猫だった。

男は傍に置いていた鞄を取り、カラフルな血溜まりの中に転がる菓子を拾い集める。完成された菓子類は血液を吸うことはなく、チョコレートはなめらか、キャンディはつるつる、クッキーもきっとサクサクのままだろう。

その食感を知りたくない男は、長い袖越しに菓子を手に取る。

集め終えた彼は、はたとローブに付着したカラフルな血液に気付き、ひとり小さく吃逆を発した。糖類で生きる砂糖猫の成れの果て、その血液はえずく程甘い砂糖の味。

男はローブをバタバタと叩き、袖を振り回す。だが逆効果。ねっとりと糸を引く砂糖の血液は汚れを広げ、そこら中甘ったるいにおいに包まれる。

その同じ砂糖猫を殺しても乱れなかった呼吸は、恐慌し喘鳴を発し、男は鞄を持ち、全力で走りその場を去った。


男の役割の名をスイートワーカーと言う。

スイートワーカーの仕事は、砂糖猫をおかす奇病「シュガー」感染者の始末、そして菓子の収拾である。


×××


奇病「シュガー」。いつからか砂糖猫たちは、そんな病に脅かされていた。

感染者は猛烈な飢餓感に苦しみ、糖分への欲求のあまり、砂糖猫を捕食しようとする。だが発症からしばらく経つと、患者の身体はあざやかな虹色となって融解し、食欲のみを抱いた生きた屍となる。

奇異のもうひとつは、シュガー感染者の体内からは、いくつもの完成された菓子が溢れ出てくるのだ。


××××


スイートワーカーの男、ブルーノは、収拾した菓子を詰め込んだ袋を、若い青年に渡した。受け取った青年は嬉しそうに笑う。

「ありがとう、スイートワーカー。これで、明日の子供たちのピクニックにたくさんのおやつを預けてやれる。助かったよ」

「…そう、か」

「ああ、ちょっと待ってて。お礼のお菓子なんだけど…」

「あっ、スイートワーカーだ!」

青年が一度、家の中へ引き返すと、小さな子供がふたり出てくる。ひとりは青年の方へ、ひとりはブルーノの方へ。

「ねえパパ、それ明日のおやつ?」

「そうだよ。スイートワーカーが持ってきてくれたんだ。ちゃんとお礼を言うんだよ」

「ねえスイートワーカー、ココア飲んでいかない? 今ちょうどお茶の時間だったんだ」

「いや、要らない…」

「スイートワーカーは疲れてるんだよ。ココアより、お風呂に入っていかない? ねえ、泊まっていきなよ」

「遊ぼう! 僕、スイートワーカー大好き!」

ふたりの子供はブルーノを前に無邪気にはしゃぐ。

ブルーノは他者と関わることを避けていた。とくに子供は苦手だった。スイートワーカーの隠し事、それを子供たちは知らない。スイートワーカーは狩猫かりゅうどであり、猫殺しだ。

「ねえ、スイートワーカー!」

「やめろっ」

片方の子供が、なんの悪気もなくブルーノの右腕を掴んだ。

ブルーノは本能的に子供の手を振り払った。青ざめた顔で、鋭い眼差しで、ブルーノは子供を見下ろす。ふたりの子供は、何をされたかのかも、ブルーノの異様な表情も理解できない。

その数秒の違和感の間に、青年が戻ってきた。

「スイートワーカー、こちら、お礼です」

「…ん、ああ」

「昼食の余り物で悪いんだけど、ティラミスです。どうぞ召し上がってください」

「ああ、ありがとう…」

「……大丈夫かい?」

「……ああ」

「パパ、スイートワーカーは疲れてるんだよ。ココアを飲ませてあげよう!」

「お風呂に入れてあげよう!」

「…ちょっと中に戻ってて」

呼吸を乱すブルーノを案じた青年は、ふたりの子供に囁き、その場を去らせる。

「ねえスイートワーカー、僕もおとなになったら、スイートワーカーになる!」

…子供の残した言葉に、ブルーノは目を見開いた。すかさず青年は頭を下げる。

「…ごめん。あいつら、バカでごめん」

「いや…いいんだ」

「貴方が罪悪感を覚える必要はないよ。もしも、貴方が苦しい思いをしているのなら…僕はあいつらに、真実を伝えることにする」

「やめろ。何故貴方が、あの子たちが、犠牲になる必要がある」

激しい吃音でブルーノは答える。

「スイートワーカー…僕は、」

「何も知らなくていい。何も知らないふりをしろ。何も知らない方が幸せなんだ。あの子たちは、まだ幼い。真実を知る必要なんかない。幸せなままでいい」

「……」

「ただ、スイートワーカーには成るな…それだけは教えてやってくれ」

ブルーノはティラミスが入った箱を鞄にしまい、青年に背を向けた。

青年は一度、ブルーノを呼び止める。

「スイートワーカー、貴方はとても、優しい猫だ」

「……またの依頼を」

ブルーノはシュガー殺しを好まない。それでもスイートワーカーであり続ける。またの依頼を…その言葉に嘘はない。ただ純粋に、誰かに幸福であってほしい。それだけの意志で彼は生きている。

明日、あのふたりの子供は、ブルーノが渡した菓子を食べる。それが元々、同じ砂糖猫だったとは知らずに。それは幸福なこと。しかしどうしても、罪悪感を覚えずにはいられなかった。

感情の矛盾と鞄の中の食物への恐怖を抱え、ブルーノは歩く。


×××××


道中、出くわしたシュガー感染者を、ブルーノは引き千切り、殺害する。その長い袖から伸びるカラフルな触手こそ、ブルーノの右腕である。

スイートワーカーであるブルーノもまた、シュガーの感染者であった。



─── Sweet Worker.───

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る