11
施術からの帰り道、わたしは海辺のあずまやに座り、もらった大判プリント写真を眺めた。
まとわりつくような生温かい潮風が写真の角をはためかせ、わたしの顔をしかめさせる。曇り空は憂鬱で、誰もいない静寂は不安を呼ぶ。
わたしは写真をトートバッグに仕舞い、アギンに電話をかけた。
「おう、サヤ」
のん気なアギンの声が聞こえた。
「アギン、いつ帰ってくるの」
わたしの不機嫌な声に驚いたかのようにアギンは答える。
「明日だよ。夕方の新幹線で帰るって言ったじゃん」
「あんな電話したんだから、普通すぐに帰ってくるでしょ」
「普通ってなんだよ。予定通り、レコーディング終わって帰るよ」
「わたしのこと、どうでもよくなっちゃった?」
「そんなことないよ。ごめんって。俺、ちょっと鈍すぎだったかな。そんなにサヤが怒ると思わなくて」
「怒ってるわけじゃないけどさ……不安なの」
「なにも不安がることないよ。俺は全然変わってないから」
「本当に?」
「本当だよ。明日帰るからね」
「あのね、今日、ジビさんに、潜在意識分析をやってもらったの。特別サービスで」
「え? なんでサヤが?」
「興味あったから。そしたらね、翼の生えてる蛇の絵が出てきたの」
「翼の生えてる蛇? かっこいいじゃん」
「かっこよくないよ。わたし蛇大嫌いだもん。でもね、妙に納得したの。子供の頃、よく遊んでた藪の中に、蛇がいたことがあって、もうそこでは遊べなくなったの。その蛇にそっくり」
夢の中で、世界が自分から遠のいていくような感覚から目覚めさせたのも、その蛇だった。模様とか形がどうだとか、そんなことは重要ではない。とにかく、現れたデザインの蛇はその蛇だったのだ。
「へえ。でも翼が生えてるってことは、別のものになってるってことじゃん?」
「わかんないよ。ジビさんに訊いても、わからないって。意味は自分で考えていいものだからって。でもわたしこわい」
「なにもこわがることなんてないって」
「アギンも、デザインを見た時に納得した?」
「うーん。確かに納得感はあったかも。まだ見ちゃだめだからね」
「うん……」
その時、スマートフォンに速報が入って驚いた。
『新型兵器キャウカジが我が国の領空に侵入したN国の無人小型戦闘機十機を撃墜』
それが画面に表示された文字だった。まただ。速報入った?とアギンに言うと、アギンは「うん。びっくりしたね」とまったく驚いていないような口調で言った。
「ねえ、これヤバいのかな。戦争?」
「いやいや、大丈夫だって」
「どうしてわかるの?」
「俺、元兵士だからわかるんだよ」
「嘘」
「あはは。とにかく、明日帰るから。電話する」
「ほんとに電話してよね」
「はいはい。じゃあね」
通話が切れると、ため息をついた。
アギンの言う「大丈夫」に安心できないことは珍しかった。
わたしは無知だからなにもわからない。わたしの身の回りに降りかかることの中に、一つでも本当にその理由に納得のいくことはあるのだろうか。
夜、ネットで現在の国防状況について調べた。理解はしたが、納得はできなかった。どうして平和にできないのだろう。
兵士がいなくなり、自動新型兵器だけが国防に当たることになったという情報が海外へ漏れ、攻撃の機会だと思われているらしいことも初めて知った。しかし、そんな考え方はナンセンスだというのが国内の主な論調らしい。新型兵器は強力であり、所詮人間でしかない兵士がいなくなったところで防衛力が弱まったということはまったくない。実際に、攻撃は一切領域内に及んでいないという。
しかし、わたしが読めるのは国内向けの情報のみだ。翻訳機能を使ったとしても、情報操作されている可能性もある。得られる情報は本当に事実なのだろうか。
まあ、事実というのは、見る人によって解釈が違うこともあるだろうし、結局わからないのかもしれない。いろいろな解釈を知ることが最善なのだろう。
そこまで考えて、面倒になった。やっぱり諦めよう。最近のわたしは諦めてばかりかもしれない。
やはり悔しくなって、わたしはスマートフォンを手に取った。
どうしてこんなことを考えるのだろう。フジカゲが言ったことを思い返す。絶対にもう関係を断ったほうがいい。そうに決まっている。わたしの手はだらりと下がる。なにかほかのことをして気を紛らわせよう。
なにも思い浮かばない。やめておけ、そんなことをしてなんになる、と思いつつ、わたしは再びスマートフォンを持ち上げた。
フジカゲに電話をかける。
「はい」
相変わらず冷静な声が聞こえた。
「フジカゲさん、突然お電話してすみません」
「いいえ」
「あの、ニュースを見たんですけど」
わたしは、新型兵器が他国からの攻撃を防いだというニュースを見たことを早口で伝えた。
「はい。僕もニュースで見ました」
「元調整者のところには、詳しい情報とかは伝わってこないんですか?」
「僕はもう一般人ですから、公表されていること以外は知りません」
「普通の一般人とは違うでしょう」
再生能力はなくなっても、頭の中は一般人とはまったく違っているはずだ。
「ええ、そうですね」
少しだけ、叱られた子供がしょんぼりするようなニュアンスがその言葉にはあった。ともかく、わたしは質問をぶつける。
「この国は大丈夫なんでしょうか」
「新型兵器は強力です。他国と戦って負けるということは考えにくいと思います」
彼はネットにあった情報とまったく同じことを言った。口調は確信に満ちているように思える。
「そうでしょうか」
彼がわたしを安心させるという言葉は実現されない。
「仮に不測の事態が起きて、この国が他国に占領されたとしても、それは重要なことではないと思います」
「え?」
彼は思いもかけないことを言いだした。
「物理的なことは問題ではないのです。大切なのは精神の問題です」
「どういうことですか?」
「精神を守ることが本当に人を守るということです」
「それは、占領されても文化が守られればいいということですか?」
「違います。僕が言いたい精神というのは、文化を言い換えたものではなくて、肉体と不可分な精神のことです」
「肉体と不可分なら、肉体を守ることイコール精神を守ることじゃないんですか?」
「それが違うんです。僕の精神はもとの形を失ってしまいました」
「ああ……そういうことですか。戦争なんかよりもっと大きな問題が国内で起こっているということですか」
「まあそういうことです。この前変なことを言ってしまったのも、そのせいなんです」
「いいんです。なにを言おうと自由ですから」
「実はあれは出まかせだったんです」
「出まかせ?」
「あなたを守りたいと思いまして。暴力性をなくす精神的治療を受けているせいだと思うんですが、他人を守ろうとする気持ちが強すぎになっている気がします」
「なんでわたしを守ろうとして出まかせを言うんですか?」
「彼氏さんがあなたを傷つけていると思ったんです。でも余計なお世話ですね」
「そうですね……」
「物理的なことより精神が大事なのはサヤさんと彼氏さんのことにも当てはまるはずですからね」
「……あの、今日、ジビさんに特別サービスで潜在意識分析をしてもらったんです」
「ほう」
「そうしたら、翼の生えた蛇のデザインが出てきたんです。それは精神的にだめってことなんじゃないかって思って」
「どうしてだめなんですか?」
「その蛇は子供の頃に藪の中で見た蛇なんです。トラウマがそこに出てくるって、なんかすごく嫌で」
「そこには自分が現れてるっていうことじゃないですか」
その瞬間、くだらないことを話してしまったことを後悔した。フジカゲは分析不能だったというのに。
「すみません」
わたしは不格好に謝った。
「なにがですか?」
フジカゲは本当にどうして謝っているのかわからないようだ。
「いえ、なんでもないです」
数秒間沈黙が続いて、わたしは「メロンちゃんは元気ですか?」と尋ねた。
「今日、包帯が取れました」
「よかったですね」
「守ろうとする気持ちが強いとか言いながら、犬には全然なつかれません」
もしかすると、珍しく冗談的なことを言おうとしたのかもしれないが、わたしは上手く返すことができなかった。
また数秒の沈黙が続いたあと、「じゃあ、切ります。お元気で」とフジカゲが言い、通話が切れた。フジカゲの最後の声は、かすかに震えているように聞こえた。
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