第30話 追手(4)人形
狭霧はねこまんまに行き、直葉に朝ごはんを食べさせると、帳面を広げた。飛騨高山には高度なからくり仕掛けがあるのは知っていたが、えれきてるというものを使ったからくりが、西洋にはあるらしい。
えれきてるの仕組みについてはおおよそ学習したので、今度はそれを利用して、何かできないかと考え中だ。
(客寄せになるようなものとかないかなあ)
考えていると、戸が開けられた。
「あ、済みません。まだ開店前なんです」
顔を向けて言うが、そこにいたのは、12くらいの子供だった。
見た目では狭霧も同じくらいだが、狭霧は16だ。
「どうしたの」
「……」
「迷子かな」
その子はガラス玉のような目で、無表情なまま、首を傾けた。
何の感情も読み取れない。
「番屋へ行く?」
訊くと、こっくりと頷いた。
なので狭霧は帳面を閉じた。その狭霧に、その子がとことこと近付いて行く。そして、無造作に片袖に隠してあった短刀を掴んで、狭霧に向かって突き出した。
「だめだよ。気付かない訳ないだろ?」
狭霧はその手首を掴み、苦笑していた。
「何でわかった?」
「殺気は消せてなかったからね」
奥の部屋で、直葉が気付いて、いつでも動けるように警戒しているのがわかる。
「君、久磨川の子だよね。よそから連れて来られた」
その子は無表情のままこっくりと頷き、
「瀬名」
と言った。
「名前?そう。
じゃあ、瀬名。どうして殺しに来た?」
「命令」
「おかしいな。八坂はそんな命令は出していない筈だけど」
瀬名は首を横に振ると、答える。
「槐様が言った。ぼくは槐様の人形だから、槐様に従う」
狭霧は、眉をしかめた。
かどわかされて里へ来た子のうちの何人かは、感情や意思を失ってしまう。そういう子は「人形」と呼ばれて、従順な部下として使われていた。
「その必要はないのに」
「それ以外に、生きる意味はない。だから、お前を殺す。死ね」
予備動作なしに、もう片方の腕を突き出して来る。その手には、キリが握られている。
片足で腹を蹴り飛ばし、距離を取る。
瀬名は痛みも感じていないような顔付きで立ち上がり、再度飛びかかって来る。
「来い」
狭霧はそれをスイとかわし、表に飛び出した。
瀬名は直葉に気付いたが、命令は狭霧だったので、迷わず狭霧の後を追って飛び出して行った。
狭霧が走り、それを瀬名が追う。誰かが見ても、子供が追いかけっこをしているようにしか見えなかっただろう。
そのまま2人は人気のない雑木林へと駆け込み、向かい合って足を止めた。
「瀬名。人に戻らないか?家に帰りたくないか?」
「家は無い。おいらは久磨川衆に拾われたんだ。槐様が全てだ」
「そうか。なら、ぼくは瀬名を殺すよ。ぼくも死にたくはないからね」
会話は終わり、2人はぶつかった。
瀬名の短刀を狭霧は筆で受け、キリをもう1本の筆で払う。そして、互いにグルグルと回り合うようにしながら何度も攻撃し合う。
瀬名は、多少傷付いても平気なのか、痛いという顔もしない。それに、疲れというものも感じないのだろうか。
お互いに淡々と、攻撃をし、相手の攻撃をいなす。
(ふうん。クスリで興奮状態にしているのか。疲れも感じないで、糸が切れたようにばったり倒れるまで戦い続けるぞ、これは)
瞳孔を見て大体のところがわかった狭霧は、強引にでも終わらせないと、体力負けするのは自分だとわかった。
なので、右足をトンと踏んで回転させ、その足で回し蹴りを放つ。
瀬名は蹴りを受けてたたらを踏んだが、攻撃を再開しようとして、がくりと膝をついた。そしておもむろに蹴られた胴体を見下ろす。
深い傷口ができて、溢れるように血が流れ出ていた。
狭霧は右足の先から出た刃をしまいながら言った。
「草鞋とかじゃ、安定感が悪いな。西洋の人の履く革靴とかいうやつならいいんだろうな」
瀬名は何とか攻撃しようとしたが、口からもどっと血が溢れ、そのまま倒れた。
「瀬名。殺しにかかるなら、殺される覚悟もできてたよね」
瀬名は何かを言ったらしいが、声にはならなかった。
「さよなら」
瀬名は倒れた姿勢で、狭霧を見た。
顔は逆光になって、よく見えない。それが、かすかな記憶と結びついた。
誰かが自分を見下ろしている。誰だろう。笑っている。
「――吉」
ああ。これは父親か。自分の忘れた名前は、何とか吉だったらしい。
それを最後に、瀬名は息を引き取った。
「何で、かどわかしなんてできるんだろう。里のやり方は、やっぱりおかしいよ」
狭霧は、自分が痛そうな顔をして、瀬名に背を向けた。
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