第2話 辻斬り(1)ねこまんま

 人、人、人。江戸の真ん中は、どこを見ても人であふれていた。

 その片隅にあるその長屋は、「化け猫長屋」と呼ばれている。

 別に化け猫が本当に住んでいるわけではないが、住み着いた猫ならいる。それがある日、追われた泥棒が逃げ込んで空き部屋に隠れ潜んだのだが、翌朝青くなって表に飛び出して来ると、

「猫が、化け猫がぁ!」

と酷く怯えていたのだ。

 泥棒はすぐに捕まったが、それ以来、「猫長屋」と呼ばれていたのが、「化け猫長屋」と呼ばれるようになったのである。

 何があったのかは、未だよくわかっていない。

 その化け猫長屋の一軒で、一番新しい入居者である3人兄弟が、朝ごはんを食べていた。

 炊き立てのご飯にしじみの味噌汁、菜っ葉と大根の浅漬け。

「料理屋も上手く行きそうで良かったよなあ」

 そう言うのは長男の隼太郎こと疾風だ。

「本当よね。ここも上手く借りられたし。

 というか、上手く里を誤魔化せたし。流石は狭霧ね」

 八重こと八雲がそう言ってご飯をかきこむ。

「でも、油断はできないよ。ばったり会うかも知れないし、やっぱりバレてるかも知れないし」

 狭霧こと左之助が言う。

 八雲に任務が決まった後、3人はすぐに相談して、計画を立てたのだ。

 まず狭霧が弱ったふりをして、逃げるのも難しいと思わせる。そして崖の上で、

「長崎へ行く」

と宣言すれば、誰もが信じると考えた。

 そして、川に飛び込んだ振りをして崖下にぶら下がり、里の人間が血相を変えてその場を後にしたら、すぐに反対へ――東へと逃げ出したのだ。

 弱った狭霧を連れて激流に飛び込んだので、死んだかと思うかも知れない。

 無事に生きて流されたとしたら、どこかで岸に上がって長崎へと向かったと思うだろう。

 そう思っての計画だ。

 今の所、上手く行っているようだ。山の中を通り、道なき道を行き、何度も進む方角を変え、ようやくたどり着いた江戸だ。

 そこで、身元を偽って長屋に住み、任務中に見つけて隠しておいた財産を使って料理屋を開いた。

 料理屋の名前は「ねこまんま」。料理人に扮した事もある疾風が料理をし、八雲と狭霧が運んだり会計をする小さな店だが、近所の藩邸や剣術道場の人間も常連になって、繁盛していた。

「そうだな。名前を呼ぶ時も気を付けろよ。

 ご馳走様。

 さあ。今日も元気に、目立つ事無く、無事に過ごそう」

 疾風が言い、3人揃ってご馳走様と手を合わせると、一日が始まった。


 3人は表に出ると、井戸の周りに集まって喋りながら用事をしている長屋の住人に挨拶をして、店へと出かけた。

 店は、テーブルが6つに小上がりがひとつ。それと一応、調理場の前を通って行くと離れがある。ここは兄弟が着替えたり休んだり、備品を置くのに使っている。

 メニューは、日替わり一択。そうメニューを絞った事が、無駄も無いので値段を安く抑える事につながり、早く出て来るので急ぐ人には喜ばれる。

 夕方以降は酒の提供もし、この時は、肴も数種類用意していた。

 本日のメニューは、アサリごはん、えんどう豆の卵とじ、厚揚げと野菜の煮物、小アジの開き。

 次から次へと客が来て目の回るような忙しさだが、間違いなくそれを捌いて行く。

 やっとピークを過ぎた昼過ぎになると、同心の垣ノ上彦馬が、小物の文太を連れて入って来た。

「よお!」

「いらっしゃいませ」

 常連の1人で、騒がしい所もあるが、いい人だ。偉そうにしないのは、ここの常連には自分よりも上の武士もいる事と、八雲に少なからず気があるからである。

「垣ノ上様、お疲れ様です」

 愛想よく八雲が声をかけ、狭霧は調理場の方へと行く。

「いやあ、暑くなって来ていけねえな」

「もうすぐ梅雨ですぜ、旦那。もっと蒸し暑くなりますぜ」

 八雲の返事を期待していたのに文太が返事をし、垣ノ上は少々ムッとした。が、気を取り直して話しかける。

「八重ちゃんたちは、京から来たんだろ。あっちはどうだ?暑いのかい?」

 兄弟は京都から来たという事になっていた。

「ええ。夏は暑いし冬は寒いし。こっちの夏は初めてですけど、暑いんでしょうねえ」

「そりゃあな。

 まあ、暑い日に涼を取れるような所とか、教えるぜ。花火もあるし。どうだい。一緒に」

 八雲は笑って、

「まあ、花火ですか。きれいだし見事だと聞いていますよ」

と言うが、

「はい、お待たせしました」

と狭霧が盆に乗せた食事を2人前運んで割って入る。

「左之助……」

 垣ノ上は文句を言いたいが、八雲の弟なので――と逡巡し、

「お、卵とじじゃねえか」

とそちらに気をとられて忘れてしまった。

「ごゆっくり」

 八雲と狭霧は、さっさとテーブルを離れた。

 そのいつもの光景に、疾風は苦笑を浮かべる。

「ああ。今日は暑くなりそうだな」

 疾風は、窓から空を見上げてそう言った。



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