白陽シャインズ物語~弱虫ピッチャーと急造キャッチャー~
@aenZZ
第1話 それぞれの10/26
二〇XX年 一〇月二六日 都内某所のホテルの一室で行われたプロ野球ドラフト会議で、新たな伝説が作られようとしていた。
『第一回選択希望選手 東京タイタンズ 成沢涼(なるさわりょう) 十八歳 投手 白陽高校』
その名前がアナウンスによって読み上げられた瞬間、静寂に包まれていたドラフト会場は、一挙に沸きあがった。
記者たちはしきりにカメラのシャッターをきり、興奮をそのままメモに走り書きする。
おそらく、明日のスポーツ紙の一面はこうだろう。
『ドラフト史上初! 大物ルーキー成沢涼 全球団から一位指名!』
「やはり、タイタンズも指名してきたか」
いまだに興奮冷めやらぬ会場の隅、小さな机の前に座っていた男が呟いた。
がっちりとした体格に黒のスーツを着こなし、座っていても、その体躯の大きさがはっきりと目に映る。
それに加え、顔に刻まれた、歴戦の跡を思わせる年輪が、男の静かな威圧感をにじみださせていた。
男の名は古家昭二(ふるやしょうじ)。プロ野球球団、白陽シャインズの監督である。
現役時代、数々のタイトルを獲得した大打者で、二〇年間の選手生活を、ずっと第一線で活躍してきた。
実力と比例するようにその人気も高く、世間からはミスタープロ野球と呼ばれ、総理大臣の名前は知らなくても、この男の名前なら知っているというくらいだ。
「よし」
古家はイスからゆっくり立ち上がり、右手を握り締めると会場の中央へと歩き出した。
会場中央には、箱が一つ置かれていた。その後ろに、全球団の監督が横に並び、各々がけん制をし合っているようだ。古家もその列に加わると、その箱を視界にとらえた。
箱の中には抽選くじが十二枚。そのうち一枚ある当たりくじを引けば、成沢涼との入団交渉権を獲得することになる。十二分の一という、きわめて低い確率だが、必ず誰かが当たるのだ。古家はもう一度、右手を強く握った。
「だいぶ緊張されてるんですね、古家さん」
ふと、左のほうから声が聞こえた。振り向くと、そこには長身で細身の男が、少し笑った顔で古家の右手を見ていた。
「あ、いや。これは失礼しました。氷室さん」
氷室剛(ひむろつよし)。常勝球団、東京タイタンズの監督であり、現役時代は投手で、古家最大のライバルであった男だ。
彼らが対戦する試合では、いつも球場は満員だった。観客は古家が氷室からホームランを打つ場面を見に、また、氷室が古家から三振を奪う場面を見にやってくるのだ。
その一球一球に場内は色めき立つ。地割れのような歓声が、球場を飲み込む。そうなれば、もう試合の結果などどうでもいい。観客は、ただ二人の勝負に魅了されていた。
古家は右手の力を抜くと、苦笑いしながら頭をかいた。
「いえいえ、気持ちはわかります。どこの球団も欲しいですからね、成沢は」
そう言って、氷室は箱を一瞥した。穏やかな表情、落ち着いた口調。誰が見ても、温厚な性格だという印象を氷室にもつだろう。
だが、長く同じプロ生活を続けてきた古家にはわかる。この表情、口調の端々には静かな闘志が宿っているということ。そして、その闘志で選手たちを鍛え上げ、三年連続日本一という結果を残しているということを。
『静将』の呼び名はだてではない。
「この抽選を辞退すれば、第二位の選手選択を優先的に決定できるというのに、誰もその気はないようですね」
「どこの球団も賭けているんでしょう、十二分の一という、一〇パーセントにも満たない確立に」
氷室がそう言い終えると、抽選が開始された。
右のほうから次々と、各球団の監督が箱の中のくじを引いていく。
古家は最後から二番目、そして最後が氷室というわけだ。
すぐに古家の順番が回ってきた。箱の中に手を伸ばす。残りのくじは二つ。深呼吸して、右のくじを手に取った。
最後に氷室が残りのくじを取り終えると、アナウンスによって開示の指示が出された。
――こんなに緊張するのは、高校受験のとき以来だ。
そんなことを考えながら、古家はゆっくりと二つ折りのくじを開いた。
その瞬間、今まで上昇していた体温はすっと引いていった。代わりに、全身を駆け巡る寒気が古家を襲う。
「だめだったか……」
古家は何もかかれていない、白紙の抽選くじを握り締めて、落胆した。
周りの監督もそうだった。悔しがって頭を抱える者、白紙を渋面をつくって見る者、あきらめて自分の席に戻って行く者……。ただ一人、古家の左隣の人間を除いては。
氷室は交渉権獲得の文字が書かれたくじを開いて前方に見せた。とたんに、何百ものカメラのフラッシュがそれをとらえる。
氷室は交渉権を獲得したというのに、表情一つ崩さず、相変わらず淡々とした笑みを見せていた。
この瞬間、誰もの脳裏に浮かんだだろう。色とりどりの紙吹雪が舞う中、歓喜の渦とともにグラウンドの中央で胴上げされている、氷室剛の姿を。
悠々と去っていく氷室の背中を見ながら、古家は思った。
なぜ、あのときもう一方を選ばなかったのか。実は十二分の一が、二分の一にまで確立が上がっていたというのに。
それが結果論でしかないことは、古家自身よくわかっている。しかし、あと少しのところでツキを逃がした、己の勝負弱さに、思わず奥歯をかみ締めた。
「残念でしたね、監督」
席に戻ると、チーフマネージャーの森田が苦々しげに話しかけてきた。
「ああ。だが、悔やんでいても仕方ない。代わりの選手を指名するぞ」
「ええ、わかってます。あの選手ですね?」
森田は用紙に選手の名前を書き込んだ。しかし、その表情はどこか腑に落ちないものだった。
「どうした?」
「いえ、ほんとうにいいのかなって……」
「成沢の交渉権が得られなかったときは、この選手を代わりに指名すると約束したんだ。私はスカウトの評価を信じる」
古家がそう言うと、森田も納得したのか、用紙を前に提出した。
しばらくして、会場の大型スクリーンに指名選手の名前が表示される。
『第一回選択希望選手 白陽シャインズ 能美心(のうみしん) 十八歳 投手 白陽高校』
少し間が空いて、会場にどよめきが起こる。しかし、それはさっきまでの期待と興奮の混ざったものとは違う。
どの人間も首をかしげたり、なにやらこそこそと話し合ったりしている。
そんな中、古家だけは腕組みをしながらスクリーンに映された名前をじっと見ていた。
どの球団のスカウトの目にも留まらなかった、この無名選手の可能性を見極めようとするかのように。
◆
同日同時刻。白陽シャインズ二軍選手、村野敦(むらのあつし)三塁手は、都内にある球団事務所の扉の前に立っていた。扉の丸い曇りガラスをぼーっと眺めながら、昨日家にかかってきた電話を思い出す。
『明日、事務所まで来てください。オーナーからお話があるそうです』
球団職員の事務的な口調。村野は力なく『はい』と答えた。
契約更改というには早いこの時期に呼び出されるということは、彼自身どういうことなのかわかっている。
『戦力外通告』
そんな単語が頭の中をちらつく。村野は自嘲するように笑った。
「仕方ない……か」
今季、一軍での試合出場はわずか十試合。たいした成績も残すことができなかった。
高校からドラフト六位で入団し、一軍と二軍を行ったり来たりのプロ生活。トレードやトライアウトで何とか選手生命をつなぎ、今年で三六歳になる。
こんな自分が、十八年もプロとしてやってこれたのは、ほとんど奇跡だった。が、それも今日で終わりだ。
(いいかげん、潮時だろうな)
村野はネクタイを締めなおすと扉を開けた。
「失礼します」
「やあ、わざわざよびだしたりしてすまなかったね」
視線あげると、白髪の老人、不動優(ふどうすぐる)オーナーが菩薩のような笑みを湛えて村野を出迎えた。
不動は、その才気でシャインズの親会社である不動建設を一代で大企業に育て上げた人物である。
また、その人柄の良さから、会社の職員はもちろん、選手、球団職員、さらには裏方の人間にいたるまで、彼に深い尊敬の念を抱いている。それは村野にも同じことだ。
二年前にトライアウトで不動に拾われて以来、彼のことを父親のように慕っていた。
その不動から解雇を告げられるのだ。それだけでも、自分は幸せなのかもしれない。
「じゃあ、そこに座ってください」
不動に促されるまま、村野は応接用のソファーに腰をおろした。
「非常に、言いにくいことなんだがね……」
村野に向かい合うように座った不動は、ゆったりとした口調で話を切り出した。
(きたか……)
村野は目をつむり、固唾をのんで不動の次の言葉を待った。まぶたの裏では、十八年間のプロ生活の思い出が走馬灯のように流れていく。
自分の野球生活に悔いはない、そう自らに言い聞かせていた。
しかし、不動の口から出た言葉はまったく予想もしていなかったものであった。
「君にはもう一年、プロを続けてもらおうと思っている」
「……は?」
村野は肩透かしを食らい、間の抜けた声をあげる。
まぶたの裏のビジョンはかき消され、代わりに笑顔と、困った顔が半々に混ざっている不動がいた。
「どういうことでしょうか? 私はてっきり解雇されるものだと……」
「君には確か、息子さんが二人いたね」
「え、ええ」
「いくつくらいだい?」
「上の子が、今年小学校に入学して、下は三歳ですが……」
「そうかそうか」
不動の真意が村野にはまったくわからない。霞でもつかんでいる気分だ。
「それで、君はここを辞めた後、どこに就職するか決めてあるのかね?」
「いえ、まだですが」
「そこで相談なんだが、君には再来年、シャインズの二軍コーチになってもらおうと思っているんだ」
「私が、ですか……?」
「本当は来期にでもやってほしいんだがね、今のコーチとの契約がまだ一年残っているんだよ。そこでだ、もう一年、選手として働いてもらいたい。君の齢や体、家族のことなんかも考えれば、君には少々酷なことかもしれないんだが……」
驚きを隠せない村野をよそに、不動は立ち上がり窓を開けた。一〇月のまだ少し青さの残る涼風が、不動の白髪を揺らした。
「球団を解雇された選手たちが、再就職を果たすのはなかなか難しい。みんな、人生を野球に費やしてきた人間ばかりだからね。そんな選手たちの面倒を最後まで見る、それが私のポリシーなんだよ」
「オーナー……」
「君はまだ三六歳だ。社会では働き盛りの年齢だろう。それなのに、就職先も決まらず、二人の子供と奥さんを養わなければならないというのは、私としても心苦しいんだ。だから、君にはもう一年選手としてプレーして、その後はコーチとして若手の育成に取り組んでもらう。これは、十八年も長い間、野球界に尽くしてくれた君へのお礼でもあるんだ」
清水が流れていくような不動の言葉が、村野の心に染み入ってくる。わけもなく、涙があふれた。
「ありがとうございます……ありがとうございます……」
村野はボロボロと涙を流しながら、何度も頭を下げた。
不動の笑顔が、涙と逆光でぼやけて見えた。
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