第19話 動き出す影① ある男

 ◆???◆



「……私はね、息子に人を殺させたんだ……」


 ここは貧民街。

 種族の垣根を越えた貧しい人々が暮らしている。


 気がつけば私は、そこに住む一人の少年にこんな話を聞かせていた。

 少年の纏う雰囲気が、どこか昔の私に、そして──あいつに似ていたからかもしれない。


 

 

「息子? あんた、17歳くらいじゃないの?」


 赤い髪の少年は、私を見て不思議そうにつぶやいた。

 ……そうか、若い姿だと完全に忘れていた。

 未だに前世の頃の感覚でいる。大きな悔いを残した証拠だと、自責の念に包まれそうだ。


「正解。私は17だ」


 私は少年に笑いかけ、その辺りの話を誤魔化そうとし……違和感はあれど、成功した。


「ふうん。でも」


 少年の目は濁っていて、それでも真っ直ぐな目で、私の胸中に深く仕舞い込んであるものを正面から貫いた。



「なんでそんなことしたの?」



 体に緊張が走り、ドクン、と、心臓が呼応する。


 それははたからみればただの会話だろう。だが、そこにはただの会話とは思えない奇妙な感覚が込み上げていた。

 なんだ、この息が詰まる感覚は。

 

「うーん……どうしてだろうね」


 少年に聞かれたことは、実はこれまで、あまり考えないようにしていた。


 自分を正当化してしまいそうで、責務を果たさずに自分の好きな人生を送ってしまいそうで、とても怖かったからだ。



「きっと、私は…………」



 意味もなく空を見上げて、再び少年に焦点を当てた。


 目の前の少年に、あいつの面影はどこにもない。

 なのに息子と話している気がして、今なら素直な気持ちが出てくるんじゃないかと思った。


 後悔してももう遅い。そんなことは分かっている。


 だが、ここではっきりと言葉に──どんなものでもいい、とにかくカタチにすべきだと、何かに背中を押されたような感覚がした。



「私は、あいつが────。」



 口から出た言葉は、本当に私のものとは思えなかった。自分でもこんなことを感じているとは、思ってもみなかった。


 だが、放った言葉に抵抗はない。

 間違いなく、これが私の本心だ。


「そっか」


 少年は、まるでそれが何も特別なことではないかのように、平然と相槌を打った。


「なら、仕方ないね」


 しかし、その言葉たちには確かな共感や同情──憐憫が込められていた。



 不意に、冷たい何かに肩を触られた感触を覚えた。そういえば、空気が湿っている。そんなことを思いながら、再び私は空を仰いだ。


「雨か……」


 少年はおもむろに手を空にかざし、堪えきれなくて少しずつ泣き出した雨のように、ぽつりと呟く。


「おじさんの心にも、雨が降ってるのかな」



 少しの間をおいて、空の流した小雨のような涙は、私の頬にも落とされた。


 上を見上げれば、雲が集まって曇天になり、今にも崩れ落ちて堪えきれず慟哭どうこくしてしまいそうな──でも、自分が崩れてはいけないと、責任と苦痛の狭間で雲が揺れ動き、顔を歪める表情の空がある。


 どこまでも雲という分厚いもやがかかっていて、しかし晴れてもそこには何もない。


 そんな空虚な存在ですら、こうして私を見下ろしている。


「そうかも知れないね」


 ため息を吐くように、私は同調した。



 二人、スラム街の雨に打たれている。

 ……ああ、皮肉なことだ。あまりにむごすぎる。


 空の流す涙は、スラム街に蔓延する感染病やら汚物やらまでもを洗い流し、人の積み重ねた悪い衛生環境をクリアにしている。その涙は田畑に恵みをもたらし、あろうことか人々はお前の涙するのを心から喜び、また望んでいる。


 その事実が……私を無性に悲しくさせる。


 空よ、私はお前を誤解していた。

 お前はどんなときも私を上から見下ろして、いとわしいだと感じていた。


 ときには私の体調を崩すお前を、心から憎んだこともあった。生まれてから死ぬまで私を見下ろすばかりで、私が苦しいときにも金貨の一枚も寄越さずあまつさえ雨を垂らしてくれたお前が憎かった。



 そうか。

 お前の涙に悲しむ人は、いなかったのだな。




 この空は、私と同じだ。



 胸を埋め尽くすほどの、同じ高みに誰もいないという孤独。精一杯の太陽の輝きを演出して希望を与え、自分一人が泣くことで人々の健康を、部下の生活を守り、自然という社会を維持し……それでも誰かの救いの存在にさえなれず、また人知れず涙を流す。


 それがお前の……私の涙の正体だ。



 安心はできなくてもいい。でも、聞いてくれ。

 私を見下ろす大きな空よ、曇天よ。



 見守ってくれて、ありがとう。

 私は、お前を理解した。




「おじさん?」

「ん?」


 少年の声で意識が現実に戻された。

 そして、少年は私に質問をした。


「どうして泣いてるの?」



「それはね」



「空が泣いてるからだよ」


「空が泣いてるから、私も一緒に泣いてやるんだ」



 この異世界に来て、私は変わった。

 いや、変わったというより、多くを思い出した。


 異世界への転生は私に「失っていたこころ」を取り戻してくれた。


 ……そして、私はセンチメンタルから意識を離し、今度は少年と向き合った。

 私はかねてより用意していた質問を、スラム街の少年に投げかけた。



「君。私とともに、ここを出てみないか?」



 私と少年との旅は、少しだけ歪な形で始まった。

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