第6話 本物の天才②
とりあえずカナが目覚めるまでは待っておく。
そろそろ荷物が届いている頃合いだろうから、ここにストックを置いておけばいつでも大学には通えるわけだ。
実に効率のいい移動手段だ。
……まあ中身しか移動できないが。
そろそろ昼食を作り始めよう。
そういえば、《シルビア》が帰ってきたときはすごい反応だったな。
「なにこれ!? 弟子くん、家があるよ?! 普通にきれいな家だ!!」
頭がよわい子なのだろうか。
たしかに師匠は生活力がなさそうだから、きっとご飯も外食や軽食で済ませてしまうのだろう。
今朝も仕事帰りに買ったパンを俺にくれた。
俺が育ち盛りだからか、いつもより多めに買ってきてくれたらしい。
しかし、俺にも掃除や洗濯、自炊くらいの生活力はある。あとまた弁当など買われても困る。
ちなみに便箋の話をしたあと、俺は許可を取って廊下だけでなくあらゆる部屋を掃除した。
彼女の寝室はダメだそうだ。あとで目を盗んで入ってしまおう。
その後、俺は彼女に何か認めてもらったらしく、以降《シルビア》に「弟子くん」と呼ばれている。
「というわけで師匠」
「どういうわけだい弟子くん」
今は出来る子アピールの時間である。
「ランチは作ったほうがいいかな?」
ほら、師匠の顔を見てごらん。
今回もその無垢な青い目をキラキラさせて、身を乗り出したうえ期待に満ちた表情をしているよ。
ちょっと目のやり場に困るのでテーブルに身を乗り出すのはやめてほしい。アングルがだな……。
《シルビア》が意図していないことはわかるが、それでも胸が強調されるような体勢を取らないでほしい。その、なんだ。困る。
「――っ! ぜひ!」彼女はそのまま前のめりでそう答えた。
「任せてください!」
こんなにかわいい「ぜひ!」は初めてだ。
どうせだったらおいしく食べてもらいたい。
「そうだ、好物があれば作りますよ」
「じゃあじゃあ、買ってきたパンもあるしシチューがいいな!」
「りょーかいです。ちょっと話したいことがあるので、テーブルでかけていてください」
ちょっと頑張って作ろう。
「話したいこと?」
「はい。師匠の今夜の予定が気になって」
含みを持たせて師匠に微笑む。
ほんの一瞬だが、師匠の視線が鋭くなった気がする。その意味に気がつくのは、さすが暗殺者といったところか。
だが、こうした際のポーカーフェイスさえ身についていないのはいただけない。俺は訓練してきたが、彼女は気を付けている、くらいの認識だろう。
「へえ、気づいてたんだ」
呼応するように師匠の顔にも含みがあるような笑みが現れる。
「さすがにタイミングが良すぎますよ。まあ、その辺りの話は昼食のあとにとっておきましょうか」
「最高の
「シチューに合うかはわかりませんがね」
◆◆◆
作ったシチューとパンをテーブルに並べ、スプーンを用意する……あ、忘れてた。
「いただきますっ! ……弟子くん?」
俺のイスの前に食事がないことを疑問に思ったらしい。
「テーブルにつけるのは有権者だけ」前世だったら当然の光景だと思っていたが、転生してようやく、俺の家が異常だと知った。
「師匠。俺はあとで食べるので、師匠は冷めないうちに食べてください」
「え、どうして?」
すっかり失念していた。
よく考えたら当たり前だ。
「急に俺が来ちゃったから、食器類が間に合わなくて……」
さすがに客人用食器を使うわけにはいかない。俺は彼女の部下であり、本来テーブルに着く権利がないからだ。それに、こういった職をしていると客人用の食器にも色々と仕掛けを施すものである。
というか、食器はあれどスプーンやフォークの類がないのだ。
「あー……その、ごめん……」
手を合わせて謝る《シルビア》。
「大丈夫ですよ。シチューは逃げませんから」
それに、飯抜き自体は精神的に慣れている。
転生してからはきちんと食事を取っていたから、これを機に肉体のほうも慣れさせておいたほうがいいだろう。転生する前は水さえあれば5日はなんとか生きられることをこの身で証明したし、1食抜くくらいなんの問題ない。
――このときの俺は油断していた。
――それは、ほんの一瞬の出来事だった。
師匠はいたずらっ子のように無邪気な……いたずらっ子は邪念か。
とにかくそんな表情を浮かべると──
「じゃあさ、一緒に食べれば解決だよね」
「むぐっ!? ……(ゴクン)」
まず、口の中に伝わるシチューの熱さ。そして、差し出されたスプーンの優しく引き抜かれる感触。
「どう? おいしい?」
最後に、微笑みを浮かべる《シルビア》の綺麗な瞳に映る自分の呆け顔。
──俺の理解が追いつく前に、師匠はもっていたスプーンでシチューをすくい、俺の口にさしこんだ!
一瞬何が起こったのかわからなかったが、とりあえずシチューがうまくできててよかった。
ついでに、《シルビア》は銀色の髪に青い瞳。私服も白と青を基調とした服が多いから、顔を赤らめると分かりやすいことが判明した。
……同時に、自分の顔が段々シチューの熱を帯びていくのも感じた。
「どう、おいしい? ……私が作ったわけじゃないけど」
「おいしい、です……。」
「弟子くん弟子くん、顔、赤いよ?」
「そういう師匠だって!」
このままやられっぱなしも悪くないが、どうせならやり返してみよう。
「……で、弟子くん? どうしてそんなに意地の悪そうな顔を浮かべているんだい?」
「いやぁ、察しがよくて助かりますよ」
俺は鮮やかに師匠のスプーンを奪い取り、流れるようにシチューをすくってから反抗の一撃を与えた。
「はい、師匠♪」
「ふぇっ!? ……(もぐもぐもぐ)、んん♪」
一口目を食べ終えた《シルビア》はとても幸せそうな顔で、見ていて自分も幸せな気分になった。
もはや自分がスプーンを持ったときにシチューを食べた覚えがない。ずっとお互いに、相手の口へと運んでいた。
そうしてバカップルでもない俺たちは、出会って二日の相手とよく分からないイチャイチャを楽しんだ。
「……俺、あとで食器買ってくる……」
「察しがよくて助かるよ……」
そして、恥ずかしさでめちゃくちゃ後悔した。
◆◆◆
昼食後、洗い物もすべて済ませてから再び席についた。
先ほどまでのやりとりは、俺の中では文字通り水に流した。
「それで……察しの良い君はどこまで気づいてるのかな?」
なに、とても簡単なことだ。
「ほぼ全て。タイミングが良すぎたから」
「タイミング? ……ああ、そういうことか」
俺は自分の推理を語った。
まあ、そんな大仰なことではないが。
「師匠……《シルビア》は俺と出会ったとき、すでに仕事のための変装をしていた。あのときは朝だったし、隣町から向かったとも言っていたから、あなたが仕事をしている頃にあの事件が起きたのだろう」
師匠の眉がピクリと動く。
ほーら、ポーカーフェイスを崩さぬように。
「そして、今朝も《シルビア》は仕事に行った。あんな早い時間から仕事に行くというのは、当然仕事の内容にもよるが、面倒事を早く済ませたいというあなた自身の性格によるところが大きい。暗殺は基本ターゲットが起きている時間帯に行うほうが事故にみせかけるには見せかけるには理に適っているからだ。」
今度はそれがどこか居づらそうな表情に変わる。
……もはや表情でごまかす気ないな。
「よって、暗殺の依頼が立て続けに来ていたのを今朝消化したのではなく、依頼を組織の構成員に分配する際に、突発的な依頼という
ついには落ち込んだような表情へと変わった。
どうしようもねえな。
「へえ、よく分かったね。当たりだよ」《シルビア》はそう返すと、一息つこうとして――
「ここまでは誰でも分かる。問題はここからです」――俺が邪魔した。
「え、まだあるの?」「もちろん。あからさまにそんな苦虫を嚙み潰したような顔しないでください」
「気を取り直して。そのメッセージの内容は────入団試験ですね?」
入団試験。
彼女の属する組織はとてもじゃないがお日様の下で活動できる組織ではない。
仕事の内容はデリケートだ。信頼できる人間にしか任せられない。
であれば、誰かが勝手に組織の入団を認めてくれたとしても、実際に入れるはずがないのだ。
言葉を続ける。
「試験の内容は、あなたが隣町で未遂に終わった案件の処理」
間髪入れず、俺は続ける。
「具体的に言えば、麻薬を流した裏切り者の暗殺で、今朝の仕事はそれに加担した共犯者の粛正」
彼女が息を呑みこんだのが感じられた。
「試験は今夜、ゲリラ的に俺にさせるつもりだったんでしょう?」
《シルビア》の視線がさらに鋭くなる。
少し喋りすぎかもしれないが、この人にはこれくらいが丁度いい。《シルビア》は俺をもっと警戒すべきなのだ。
なにしろ、俺はここまで言っておきながら一番肝心なことだけは言っていないからな。はてさて、それに師匠は気づけるだろうか。
「その通りだよ。あはは、まさかそこまで分かっているとはね……」
ほぼ看破されたことが相当ショックだったのか、一連の顔芸のしまいには自嘲気味に笑ってみせた。
もう終わりだと思っているようだが、もう少しだけ付き合ってもらおう。
「あなたは仕事が早い。今朝は家を出て3時間で帰ってきたし、四日前の仕事も、やろうと思えばすぐに終わったはずだ」
「しかし、あなたがそうしなかったのは、俺と騎士たちの魔力干渉で仕事に影響が出たからですね?」
有無を言わせず全てを告げる。
「密売人の処理はそう難しい仕事じゃない。だが、チップを受け取って犯人を逃す可能性もあり得る。だから入団試験にはちょうどいい」
1も聞かずに10を当てられた師匠の顔は、まさにドン引きだった。
「ねえ、ひょっとして弟子くんは私のストーカーとかだったりするのかな」
「ただの天才ですよ。というわけで、さっそくその仕事に出かけます」
この件について、最初は俺もすっかり忘れていた。この数日間あまりに激動だったからな。ここまで全てこのように推理して、少ししてから事の真相を思い出したのだ。
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