小さな現実幻想~ローファンタジー掌編集~

豆腐数

わたしはだあれ?

「クイズ! わたしはだあれ?」


 ──嘘でも怒らないから言ってごらん。


 続けてうながす女は、手に持ったスカイアンブレラを回す。雨雲みたいな真っ黒い布が、雲の浮かんだ青空に被さって、くるくるブレる。それを律義に目で追っているうちに、空太郎そらたろうは軽いめまいを覚えてしまった。


 めまいがすると言えばこの状況からそうだ。高校からの帰り道、予報通りに雨が降り出して、傘があったから事なきを得たかと思えば、連日の晴れ空を挟んだ雨空は今まで追いやられていた鬱憤を晴らすように勢いが強いと来たもんだ。帰ったら制服を乾かさないといけない。風邪を引かないよう、風呂にもさっさと入らないといけない。その手間を考えるだけでもかったるいのに、ヘンな女が通行止めしてくると来たもんだ。変な女は空太郎と同い年っぽいが、この年になるとやる人もだいぶ減ってくるツインテールに、これまた夏を先取りしたひまわり柄ワンピースなどを着ていて、なんというかちょっとイタイ子って感じだ。


「知らない」


 一言で切り捨てて、横を通り過ぎようとしたら、思いの外デカい「待って!」の声に縫い留められてしまう。風と雨の勢いにも負けない声だった。


「ホントーにわからないの?」

「わからんもんはわからん」


 こういうわけのわからん奴は無視が一番なのに、どうして最初の問いかけに律義に答え、今も返答をしてしまうのか。空太郎にもわからなかった。ああ、頭痛がする。めまいも止まらない。早く家に帰ろう。空太郎の後を女がついて来ているようだが、家のドアを閉めてしまえば、流石に着いて来れまい。


「ソラタロー君はそんな冷たい人じゃなかったじゃない!」

「お前がオレの何を知ってるってんだよ」


 風が雨を横殴りに変えて、空太郎を余すことなくずぶぬれにした。ああ、イライラする。余すことなく水を吸ってしまった靴で、水たまりを蹴っ飛ばす。


「知ってるよお、お絵かき帳に自分の名前とおんなじお空を描くのが得意で、それをわたしにこっそり見せて笑う顔が優しくて、お弁当のプチトマトをこっそりわけてくれて、夕日はあんまり空らしくないから嫌いで、それから、それから……」


 女は何やらまくしたてた後、すぐに行き詰って、それから。


「……わたし、空太郎くんの今の事、なあんにも知らないや」

「いい加減うっとおしい。タヌキだかキツネが化けてるなら、正体を見せろ」

「そうだよね、知ってるわけないや、だって空太郎くんは──」


 止まった言葉を、うるさい雨音が埋めた。風の加減で、ザアザアが、ザアアア、ザアア……。と、揺らぎを帯びる。


 それはレイニーブルーのざわめき。

 空太郎と、

 女の、

 悲しみ。


 

「空太郎くんは、もう大人のお兄さんだものね」


 頭上の雲がパカッと割れた。青空が覗いた。晴れ渡るというよりは、わめいて引き裂いたかのような唐突さ。女は傘を回すのではなく、今度は自分自身がクルリと回る。一回転が終わると、そこには──ツインテールと、ひまわりのワンピースがピッタリの、小さな小さな女の子が、不釣り合いに大きな傘を持っていた。


「今更出てきちゃって、ゴメンね」


 大人用の大きな傘に耐え切れないというように、春野雨はるのあめは、春の雨と共に消えた。一本の開いた、スカイアンブレラを残して。


「──本当、今更出てくんなよな」


 空太郎が幼稚園の頃。仲の良い女の子がいた。子どもがクレヨンで殴り書きした空の絵を綺麗だと言って、苦手なプチトマトを押し付けてるのをプレゼントだと思い込んで、夕日は空っぽくないなんて、理由のない子どもの理屈に頷く、素直でバカな女の子が。


「お前なんか、今の今までせっかく忘れてたんだから」


 春野雨が残したのは、空を内包した傘だけではない。オプション料金として、さっきまでの春の雨の代わりのように。空太郎の感傷が、彼の頬を伝っていった。




2代目フリーワンライ企画より……(かんしょう(変換自由) レイニーブルーのざわめき 嘘でも怒らないから オプション料金 正体を見せろ

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