第18話 黒猫の餌付けと舞姫の尊厳

 バステトは、ルルとラファが所属する歌劇団が借り切っている、港町ハーフェンに向かう馬車に同乗させてもらうことになった。

 テトラと偽名を名乗り、2台の馬車の内の若者ばかりの1台に同乗させてもらう。

 テトラは、ケイリッヒの学園に留学していた商家の娘だが、クーデターの影響で国境が封鎖される前に、急ぎ親にマレに呼び戻されたという設定だ。


『じゃあさ、テトラも舞を踊るのー?』

『ん、マレの女のたしなみだな』

『一緒にやってみたいー。うちは、ナディアの歌とイーサーの舞踏が人気なんだよ』

『ああ、ナディアの歌に合わせて、俺とルルが劇中で舞と舞踏を行うんだ』


 くるくるのくせ毛でよく似た容姿のこの男女の双子は、一座で舞い手を務めているらしい。

 この一座の主役を張るのは、ナディアという歌姫で、舞い手の舞は、ナディアの歌を引き立てる役割のようだ。

 馬車の端の席に座るナディアは、自分の名前が話に出てくると、こちらを見てにこりと微笑んだ。20代半ばと思われる彼女は、とても落ち着いていて美しかった。


 馬車の中は、座り心地の好い椅子はなかったが、荷物を入れる箱などに、敷布をかけて座りやすくしてあり、快適だった。

 バステトに声をかけてくれたイーサーとルルという双子の兄妹は、バステトの左右に座って、バステトに気を使わせないように、色々と話しかけてくれる。

 はしゃぐ双子の妹ルルに、その兄であるイーサーが微笑みを浮かべて会話を合わせてくる。

 バステトは、このイーサーが時折、ルークと同じような胡散臭い笑みを浮かべるのがどうも気になる。あの笑い方は、何か企んでいないか、どうしても気になってしまうのだ。

 しかし、ルルは無邪気で可愛いし、イーサーもルルとやり取りしているときは、自然な感じだ。バステトは、勘ぐりすぎの自分を反省し、特に気にしないことにした。

 


 同年代の人々に囲まれたハーフェンにつくまでの半日の道のりは、思いもかけず楽しい旅路となった。



『ねえねえ、テトラは学園に行ってるんでしょ?』

『ん』

『じゃあさ、じゃあさ、バステト皇女様に会ったことある?』

 ルルは興味津々といった体で身を乗り出してくる。

『……、も、もちろんだ』

 同じ学園で同じマレ人なのに会ったことがない方が不自然だと思い、そう言ってしまった。違う学園だと言えばよかったことに後から気づいたが、時すでに遅し。


『神殿の舞姫様が、実はバステト皇女様だったんでしょ?あの素敵な舞姫様が、なんとほんとのお姫様だったなんて!!もうびっくりだよね』


 マレにおける、神殿の舞姫とは称号のようなものだ。

 バステトは、18人いる皇女の一人であり、皇女としてはさして有名ではなかったが、神殿の舞姫は違う。

 国や、地方の神事の際には必ず声がかかり、多くの国民の前で舞を披露するのだ。数年の間、全国を回った。

 国民にとって、宗教上の信仰と崇拝、そして娯楽としての楽しみとが融合した神事における「舞」。

 それを芸術の域で披露する舞姫には、それこそ熱狂的な信者が各地にいたのだ。

 そして、今まで身元や本名を明かされていなかった舞姫の素性が、バステトがケイリッヒの学園で舞を舞ったことで、ばれてしまったのだ。

 それが、皇女だったということで、皇家の人気が上がり、マレの国民は大騒ぎだったと、ハサンの手紙にも書いてあった。


『素敵な方なんでしょうねー』

 うっとりとするルルを前に、バステトは、固まった。

『う、む、とても素敵な方だ……』

 おうむ返しに繰り返すしかない。


『じゃあさ、じゃあさ、テトラは王子様にも、会ったことあるんでしょ? すーーっごい、かっこいいんでしょ?』

『たしかに、かっこいい。やさしい』

 そこは、頷くところだ。ルークは、ケイリッヒだけでなく、近隣諸国まで人気の王子様なのだ。

 イーサーは面白くなさそうな顔をしている。確かに、王子の話なんか、男の子はつまらないだろう。

『いいなあ。テトラ。そんな王子様近くで見られてー』

 しかし、ルルの王子と皇女への憧れはすさまじいらしく、この話は中々終わらなかった。


『ねえ、王子様ってバステト皇女様を溺愛してるって有名だよね。やっぱり舞姫様だもん。どんな素敵な王子様だって、メロメロになっちゃうのかなー?』

『……』

 もうルルの舞姫崇拝は振り切れていて、どこにどうつっこんでいいのかわからない。

 バステトはそんなに素敵なお姫様ではないし、ルークがバステトにメロメロだったら、閨ごとのことであんなに悩んだりしない。

 そもそも何をもって溺愛などというのか、説明してほしい。


 ひきつった顔をするバステトを気にした風もなく、ルルは、テンションを上げながら、どんどん話を進めていく。


『ねえ、あまりにラブラブすぎて、周りの誰も近づけないんでしょ?』

 ……ラブラブは違うと思うが、確かに、誰も近づいてこない。

『だって、学園の皆の前で、王子様が、『俺の皇女に近づくな』って宣言したって!』

 そんな話、どこで作られたんだろう?

『……聞いたことない』

 ちなみに、バステトは剣の舞を披露したあの日、すぐに気を失ってしまって、円形劇場でのその後のルークの演説を知らなかった。


『ええー? 有名だよ。テトラってば疎いんだからー。私、興行の後ケイリッヒの女の子達に、皇女様と王子様の話、いっぱい聞いたもん!独占欲すごいよね!もうっ憧れちゃう。私も素敵な王子様に執着されたーい!』

『お前に王子様が寄ってくるわけないだろう? って、痛ってえ……』

 イーサーのあきれ気味の突っ込みに、ルルの物理的な突っ込みが入っていた。二人ともさすが双子、息がぴったりだ。


『そういえば、王子様、バステト様のことをマレ語で呼ぶんだって。テトラは知ってる?』

 それならば知っている。

『ん。黒猫 って呼ぶ』

 ルルはきゃー、とまた歓声を上げる。


 そう、ルークは、バステトを黒猫と呼ぶ。

 そこで、はたと気づいてしまった。

 黒猫。……猫はペットだ。

 ペットはかわいい。……バステトは、よくルークに可愛いと言われる。

 かわいいペットは、バステトだって自分だけで愛でたいし自分だけに懐かせたい。

 ペットを懐かせるのに一番いい方法は……


『……王子は、カフェでよくデザートを皇女の口に運んで食べさせてる……』


『きゃー、何それー!』


 いや、ペットを懐かせるために餌をやるのは、当然だ。

 あれは「餌付け」だったのだと、ルークの行為を妙に納得してしまったのだった。

 そして、自分が、妹枠ですらなく、ペット枠だったのかもしれないという、残念な事実に気づいてしまったのだった。

 まずはペット枠から、人間枠に格上げしてもらわなければならないのかもしれない。閨ごとへの道の長さにめまいがした。


『ルル、お前いいかげんにしろよ。テトラもルルに付き合って疲れただろ。これやるよ。王都の人気店の菓子。女の子に人気なんだって』

『ごめん、テトラー。でもちょっとだけ。王子様が皇女様に食べさせるってどうやるの? こんな感じ? ねえねえ、ほら、テトラ、あーん』

『ちょ、おい、ルル!』

 イーサーは、スティックの先にふわふわの焼き菓子がついている菓子をテトラに渡そうとしていたが、ルルはそれをバステトの口に運ぶためイーサーの手からつかんで奪い取ろうとしている。


 バステトが一人でぐるぐると考えていると、目前で、取り合いをされているその菓子がふらふらとゆれている。バステトは、つい、口を開けて食いついてしまった。

『ん。おいしい』

 自然に顔が緩む。もぐもぐとほおばっていると、ルルとイーサーは二人で、スティックを支えたまま、固まっていた。

 二人とも、真っ赤な顔をしているなぜだろう。

 何なんだろう、と首が傾いでしまう。

 

『そう、お、おいしいのよね、これ。ねえ、テトラ、次はこっちを食べてみない?』

『お、俺もやる。こっちも旨いぞ』

 顔を赤くしたルルとイーサーがそれぞれ手に持った菓子を出してくる。

 さすがに受け取ろうと手を伸ばしたが、取る間もなく口元に運ばれてしまった。

 つい食べてしまう。


 その後、口元を拭かれたり頭をなでられたりしてしまった。

 やっぱりこれは、餌付けなんだ……。

 これは、まずい気がしてきた。

 舞姫の尊厳にかかわるのではないだろうか?



  ◇◇◇◇◇◇


 

 テトラは可愛かった。

 特に菓子を食べさせた時はやばかった。

 食べさせる度にふにゃりと緩む表情もいいけど、菓子に食いついた時の、あの絶妙な角度で伸びる首筋とかもそそる。なんか捕獲したって感じがするというか、手懐けた感がぐっとくるというか、もう、たまらない。

 正直、王子は馬鹿だ。皇女様がどんだけ素敵な方だか知らないが、こんな可愛い奴が側にいるのに気づかないなんて。『黒猫』って呼び名だって、テトラの方が、よっぽど、似合ってる。くるくるの瞳で、仕草もすっげえ可愛い。

 いやいや、違う。王子様、気づかないでくれていてありがとう。おかげで俺にもチャンスがある。

『なあ、俺、まじかも。あの子落とす。ルル、お前、協力しろよ』

『いやよ』

『はあ!? さっきまで協力する気だったじゃねえか!』

『ねえ、イーサー。あの子、可愛すぎてやばいわ。私が仲良くしたいのよ。あんたみたいな遊び人の屑にやれないわ』

『だから、俺とテトラがくっつけば、お前家族になれるかもだぜ?』

『私と友達になればいいだけだわ! ……違うかも。私、ひょっとしたら、女の子が好きだったのかも』

 『はあ!?』

 何言いだしてんだこいつ。やばい、ルルの奴、目がマジだ。

 突然の妹のカミングアウト宣言にイーサーは頭を抱えた。



  ◇◇◇◇◇◇


 

 楽しい道中は終わりに近づき、港が近いことをうかがわせる独特の海の香りが濃くなったころ、一行は港町ハーフェンへとついた。

 マレへの船がつく桟橋の方へ、馬車のまま進む。

 ルルの説明によると、桟橋近くの手荷物預かり所で馬車から荷物を下ろして、近くのチケット売り場で船への乗船手続きをするらしい。話しているうちに同じ船に乗ることになりそうだということがわかり、バステトも、一緒に手続きをすることになっていた。


 やがて、馬車は止まったが、バステトはあたりの様子に首をかしげた。

 バステトは、ハーフェンの港には、ケイリッヒに来るときに訪れている。

 しかし、今日は、その時と明らかに様子が違っているようなのだ。

 人や物で桟橋や港中があふれかえっており、怒鳴り声がそこかしこで聞こえ、慌てて走り回る制服姿の役人が大勢いた。


「マレへの船が出てないんですか!?」


 歌劇団の座長だというナディアの父が、役人と話をしているのが、中にまで聞こえてくる。

 ナディアが、幌を上げて外に顔を出し、バステトも後ろから外をのぞき込んだ。


「ああ、マレの方がきな臭くなってきて、今朝から出港停止になっている。もう船は出ないから、通行の邪魔にならないように、馬車をよけておけ!」


 まだ若い役人は、イラつくように声をはりあげると、すぐにその場を去ってしまった。


『そんな……』


 ナディアがその会話を聞いて、小さくつぶやく。

 ここに来るまでの間、ナディア達が急いでマレに帰ろうとしている理由を聞いた。

 先代の座長でもあるナディアの足の悪い祖母がマレに残っており、今回の軍のクーデター騒ぎで避難できるか心配で急いで駆けつけたいのだそうだ。

 王都近郊の郊外にいるらしく、近くに頼れる親戚などもいないらしい。


 そんな中、立ち尽くすナディアの父に、近づく男がいた。


「お前ら、困ってるのか?」


 そこには、首に布を巻き付けたよく陽に焼けた赤ら顔のケイリッヒ人の若い男がたっていた。

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