第21話 それぞれの進むべき道 

 深い森に左右を挟まれた街道沿いの道を騎馬の一隊が駆け抜けていく。

 ケイリッヒの王太子ルーク=フォン=ケイリッヒと護衛達の一行は、キーランとマレとの密約を秘密裏に破棄させるため、マレの隣国キーランに向かっていた。

 密約の内容は、軍事支援の対価に、マレ西部の油田地帯をキーランへ割譲することだと王太子ルークは読んでいる。先行させた影の騎士団からもそれを裏付ける情報が入りつつあった。


 ケイリッヒとキーランは、国を一つ隔てた陸続きだ。ケイリッヒの西、友好国であるカヘルを南へ抜けるとそこはキーランである。

 影の騎士団は、大陸の各地に拠点を設けている。その拠点を利用し、馬を乗り換えながら、最速でのキーラン入りを果たすべく、一行は早朝から馬を駆っていた。



 その日の午前中、短い休憩をとるため、一行は森の脇の泉へと立ち寄った。

 一行の面々は、王子ルーク、近衛騎士であり学園でも王子の護衛を務めていたエルマーと近衛隊からの精鋭が5人。そしてキーランより送り込まれた元暗殺者ミケーネだ。同時に出発した影の騎士もいたが、彼らは、すでに王子の指示を受けて先行している。


 各自思い思いに体を休める中、新顔のミケーネは、少ない顔見知りであるエルマーに話しかけてきた。ミケーネの本名は他にあるのだが、学園での立場や都合上、この名前で通している。


「いやさー、なくないー? あの王子、きれいな顔してやることゲスいよね。飴玉が空気に触れるととけるとか嘘教えて、皇女様にすっごいキス教えてるんだよ。いたいけな皇女様だましてひどくない? 王子のやることじゃないよねー」


 朝から馬で駆けさせられて、近衛騎士であるエルマーでさえも疲れ気味なのに、ミケーネは今日も元気だ。この偽子爵令嬢は、身体能力の高さとものを覚える能力には秀逸なものがあるが、体力もすさまじい。

 男性物の騎士服を身にまとったその姿は、ケイリッヒ人に多い金髪に青い瞳で、トレードマークであったベビーピンクの髪もなければ、品のよさそうな令嬢の面影はどこにもない。

 束ねて脇に足らした金髪に整った面立ちは、中性的でどこか男装の麗人を思わせるようだが、表情とセリフで台無しだった。


「あの子、食べさせる関係になると、途端にガードが甘くなるから。王子、他にも色々やってるんじゃないの?」


 エルマーは、目を逸らす。

 ミケーネの話す内容は不敬罪ものだが、それが事実な分、目も当てられない。  

 話を逸らすことにする。


「……ミケーネさんも姫さんに色々教えてませんでしたっけ?」


 エルマーが頭二つは低いミケーネに胡乱なまなざしを向けると、彼女はさらに力説する。


「違うの! 王子がやったらだめでしょって言ってんのよ!」

「はあ……」

「私が色々教えたかったのに!! お姫様にさー、手取り足取り教えてあげてさー、こう、頬をぽっと染めたりなんかするところが見たかったのに!! ついでに、こう、女同士でいけないことしてる背徳感みたいなのを味わってみたかったのに!!」


 きれいな顔して言っていることはひどい。王子の事を言えたものではない。


「こういうの、五十歩百歩とかいんじゃないっすかねえ」

 全くどこのエロおやじだ、というように 思わず蔑む視線を向けてしまうと、ミケーネは勝ち誇ったように腕を組んで目の前の大男にどや顔を向けた。


「あんた、私のことをそんなゲスを見るような目で見ながら、そのセリフって、王子がゲスだっていってるのとおんなじだって、わかってんの?」


「そんなの元からわかってんじゃないっすか。ミケーネさんがそれと同レベルだっ……て」


「エルマー、君、よっぽど王都が嫌いなようだね」


「ああ、いえ、あの……」


 背後に冷気が忍び寄っていることに、また気づくのが遅れた……。



  ◇◇◇◇◇◇



 ルークは焦っていた。

 かなりのスピードで行程をこなし、先を急ぐ。

 一行に無理を強いているのもわかっていたが、それでも止めることができない。



 ――キーランに、マレへの干渉から手を引かせてほしい。

 義父であるマレ皇帝より提示された結婚への条件はこれだった。


 クーデターの起きる時期は予測していた。あと半年以上先だと見越しており、それを事前に防ぐ計画は入念に進めていたつもりだった。この計画がうまくいけば、当然のように、マレとキーランとの油田地帯割譲に関する密約は破棄される予定だった。

 しかし、クーデターの起きる時期を読み違えてしまった。当初の計画を早めて実行する予定だが、予想以上の速さで進む事態に対し、十全なリカバリーができていない。本当はこの事態になるまでに、やっておきたかった下準備はいくつもあった。

 休憩のたびに、先行して入っている影の騎士たちに鳥を使い指示を飛ばす。


 計画通りに行かないことに苛立っている自分をなるべく客観的に見るように心がける。

 しかし、絶対に失敗できないというプレッシャーが、ルーク自身を不安定にしていた。

 失敗したら、バステトは――ルークの『黒猫』は、取り上げられてしまうかもしれない。

 いや、取り上げられないまでも、彼女の今の立場は維持できないだろう。


 彼女が婚約よりも重要視している血の誓約は、マレではどうであれ、ケイリッヒにおいて婚姻を確約するものではないのだ。ケイリッヒで彼女との婚姻を保証するものは、婚約者という肩書だけだ。

 彼女が後ろ盾のない亡国の皇女になったら、彼女をそばに置くことを許されても、王妃にすることは許されないかもしれない。側室制度のないケイリッヒでは、婚約者という肩書はたやすく取り上げられてしまう。政略結婚などそんなものだ。

 おそらく、血の誓約を結んだ彼女は自分の側を離れないであろう。

 しかし、そんな日陰の身になったら、彼女は屈託のない無邪気な笑顔をまた自分に向けてくれるだろうか?

 そんな忸怩じくじたる思いが、ルークの焦燥をさらにかき立てるのだった。



 カヘルからキーランへの国境を前に、2度目の休憩をとった時、その知らせは舞い降りた。


 影の騎士団は、連絡に品種改良したハトを使う。特殊な音を聞き分けるハトを飼育し、暗号文を持たせ放つ。

 騎士団は、人間の耳に聞こえない音を常時鳴らせておく小型の装置をもっており、移動中もハトを使って常時連絡が取れるようになっているのだ。

 

 ルークは、ハトによってもたらされたその知らせをぐしゃりと丸めると、その暗号文をエルマーに渡し、体を放り出すように木にもたれ、ずるずると座り込んだ。

 片手で目を覆い隠す。

 人に見せられない、ひどい顔をしているに違いない。


 また、読み違えた。

 暗号には、バステトが、国を出てマレに向かったとあった。

『信じて、待っていてほしい。必ず、君が幸せになれる道を勝ち取る』

 あの日、そう伝えたのに。


 自分は、信じてもらえなかったのか?

 情けなさにきつく唇をかむ。

 自分の手の届くところに置いておきたかった。

 自分の手の中で、囲って、閉じ込めて、何一つ危険のない安全な場所で、真綿にくるむように抱きしめて大事に、大事にしたかった。

 それなのに、『黒猫』は、自分の作った囲いをするりと抜けて逃げていってしまった。


 守りたいのに、なんで守らせてくれない。安全なところで、待っていてほしいのに。

 自分は、彼女のために、彼女を守るために、こんなにも手を尽くしているのに、なんで待っていてくれない。

 自分への怒り、歯がゆさが、相手への苛立ちに変わりそうになる。


 そんなルークの思考を打ち切ったのは、エルマーののほほんとした明るい声だった。


「いやあ、さすが姫様っすねえ」

 なになに、どうしたの、とやってきたミケーネに、エルマーはバステトの状況を伝える。

「ええ、お城出ちゃったの!? やるじゃん、姫様。姫様らしいわー。さすが行動派!」

「夜番にヴァルターしかついてなかったらしいっす。だから姫様、逆にヴァルターに守られてすんなり国を出ちゃったみたいです」

「えー、何。普通止めるでしょ? あいつ馬鹿なの?  でも、姫様、行動できる元気がでたってことでしょ。よかったー。従弟がクーデターの主犯格だって聞いてから、ずっと落ち込んでたからさー」


「どういうことだ!! 何で知っている!?」

 ルークは、ミケーネの発言に聞き逃せない部分をみつけて顔を上げて、立ち上がった。

 バステトの従弟ハサン。彼が、クーデターの首謀者の一人だということは、バステトには知らせないよう指示を出したはずだ。

「へ? 文官たちが話してたよ……って、王子、あんた、皇女様にそれ、伝えないつもりだったの?」

 ミケーネの声が、低くなる。ミケーネは臆することなく、ルークの瞳を見る。

 

「それってどうなの? 大事な情報隠して……あの子さ、この国で頼る人、あんただけしかいないのに、そのあんたに隠しごとなんてされたら、誰も信じられないじゃん!」


 ミケーネの言葉に何も言えなくなる。

 彼のことをあえて伝えなかった、それは事実だからだ。 

 ひと時でも気に病んでほしくなくて、全てが終わったら、何も心配がいらない状態で彼女に伝えたかった。


「あの子、おかしかったよ。ずっと、あんたを探してさ、執務室の前、用もないのにうろうろして。しょっちゅう泣くし」


 ミケーネから語られるバステトの様子に胸が痛くなる。


 ルークは、城を出る前の彼女の様子を思い出した。

 泣きたくて、でも泣けなくて、何かを我慢しているような表情を浮かべていた。

 思い詰めて、不安で押しつぶされそうな顔で。

 自分の元にすがるように飛び込んでくることも、いつもの彼女なら絶対にしないことだ。


「何も伝えないで閉じ込めるのは、守ったことになんないっすよ。国を出たってことは、姫様が殿下にしてほしかったのは、それじゃなかったってことなんすかね」

 黙っていたエルマーが口を開く。


 何も知らせなかった?

 知らなければ、傷つくことがなかったからだ。


 閉じ込めていた? 

 違う、守りたかった。


 けれど、何も知らせず囲うことは、本当に守ったことになるのか?

 彼女は、本当にそれを望んでいたのか?

 選択肢を与えないことは、そのすべてに蓋をする行為ではないのか?


 彼女が、自由にのびのびと過ごせるように、その幸せを手に入れるためにこの道をたどっているのに、その目的のための手段を間違えて過ぎていた?


 

 ――焦りすぎて、周りが見えなくなっていたことにやっと気づいた。

 

 何よりも大切な彼女自身さえ。


 ルークは、木にもたれたまま、顔を隠すように腕をあげた。


「ああ、私、わかった。あの子が考えてることわかっちゃったかも」

 ミケーネは、気を使っているのか、ことさらに明るい声で話し出す。

「王子が隠し事するからさ。あの子、ショック受けて、愛想つかして出てっちゃったのかっと思ったんだけど」


 ルークは息をのむ。

 ミケーネが狙ったように、にやりと笑みを向けた。


「逆じゃないかと思うんだ。あの子さ、いい子だからさ。王子に隠し事されてなんかされないように、王子に自分を認めてもらいたくって出てったんじゃない?何か、自分にできることをしようとしてるんだよ! きっと!」


 愛されてるんじゃない、と語るミケーネの言葉に、少し目頭が熱くなったことは悟られていないはずだ。


「他の影の騎士が向かってますし、大丈夫ですよ。信じましょう。姫様は、姫様がやるべきだと思ったことをきっとやりにいったんです。姫様は、籠の鳥じゃないっすよ。守られてるだけの姫様なら、殿下は、惚れなかったでしょ?」


 ああ、彼女は、人を動かす。

 彼女の舞は、ルークの心さえも動かして、落とした。


「ありがとう。礼を言う」

 ルークは、顔を隠したまま礼を告げた。

 頼りになる臣下二人に大事なことを気づかされ、不覚にも元気づけられた。


「まあ、殿下は、姫様のことになると途端にポンコツっすからねえ」


 そして、いつも通り、この男の最後の一言で全て台無しだった。



  ◇◇◇◇◇◇



 数日後、ルーク達は、キーランの王都に入った。

 カヘルを南下すると、空気は乾燥し、ぐっと気温が増す。

 キーランの気候はマレに近く、この国の民は、主に遊牧を生業とする。

 すでに、この地には半年以上前から斥候として影の騎士たちが表向き、商人としての拠点を築き、地盤固めをしていた。


 ミケーネは生まれた街の空気をのびのびと吸った。

 この件が一段落したら、スラムの子供たちの顔を見に行く許可は取ってあった。

 ふと視線を感じ、そちらを振り向く。

 しかし、誰もいない。


 気のせいか?


 この国に戻ることは、組織からの報復行為を受けることを恐れ心配だったが、その組織は既に影の騎士団により壊滅している。

 それに仮に組織の残党に気づかれたとして、ケイリッヒの影の騎士団とともにいるミケーネに手を出してくる命知らずがいるとは思えなかった。

 それ以上、気に病むのはやめることにした。

 それよりも、この都でミケーネは為すべきことがあるのだ。



 その夜、皇都の古びた家屋の一室で、顔合わせが行われる。


「彼は、キーラン王国の王弟ナシール」

 

「彼女が、マレの舞姫、皇女バステトの一番弟子、ミケーネ嬢だ」

 

 目深にかぶったフードをばさりと払うと、金髪の美女は、妖艶な微笑みを浮かべた。

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